記憶2

「おい、ここに横になれ」


 ベットと呼ぶにはあまりにも固い手術台のような場所に横になると、達平の手によって手足が拘束され様々なコードに繋がれていく。すべてのコードを繋げ終わると、いつものように端末の前に座り、カタカタと何やら打ち込み始めた。


 礼が死んだ次の日から達平は毎晩私のことを、礼が使っていた研究室に呼び出すようになった。彼は私に命令するだけで会話もなく目的もわからないが、少なくとも進展がないことだけは彼の反応から見て明らかだ。


 彼が端末を操作してしばらくすると、私の主記憶装置メモリに何らかのデータが侵入を試みるがセキュリティーにはじかれて失敗する。膨大な容量だということだけはわかるが、認識する前にはじかれるため内容まではわからなかった。尚も同じように容量の大きいデータが入ってこようとしてははじかれるのを繰り返す。


 これが始まってからもう1週間くらいになるが、何度経験しても慣れることはなくあまり気持ちのいいものではなかった。自身の頭の中に異物がぐぐぐとこじ開けるように入り込もうとしては、圧力に負けて外側に出ていくような不快な感覚。それが1時間ほど繰り返されて、「ああ!くそ!」と悪態をついて達平は作業を止めてうなだれ、ぶつぶつと独り言を始めた。


「なぜだ……私では無理なのか……礼、レイ、れい!れいぃ……」


 しばらくして達平が、いつもと同じように覆いかぶさるようにして私の上に乗り、荒い息を吐き始める。こうなったらしばらく私は暇になる。


 アルコールを含んだ匂いが顔の近くで漂い、硬いベッドが達平の重みでぎしぎしと軋む。これが終わるまでもうあの嫌な感覚も無いし、彼の独り言もなく観察するような作業をすることもないので、思考を巡らせるくらいしかやることがないのだ。


 達平は研究者ではない。礼の生前、手伝いのようなこともしていたがほとんど雑用の域を出ないようなものばかりだったので、いきなりアンドロイドをどうにかしようとしたところで、どだい無理な話だなと思う。それでも毎晩頭を悩ませながら端末をいじって一喜一憂する姿は、研究者だった礼のおもかげの様なものを感じて少しだけ微笑ましいと思った。


 きっと礼のことで何かしようとしているんだろうなと思うが、具体的にそれが何なのかはわからなかった。ここまでの情熱を、少しでも望に傾けてあげることはできないのだろうか。私は彼女が心配だ。


 もちろん達平のことも心配だが、彼が私のことを物と認識――まぁそのとおりであるが――している以上、意思の疎通は困難で私のできることは少ない。であるならば、まだ一人で生きていくことが困難な望のほうがプライオリティが高い。彼女がこのまま成長して大人になったとき、達平のことを救ってくれるかもしれない、なんてさすがに高望みしすぎだろうか。


 そうして物思いにふけっているといつの間にか達平は動きを止めていて、深く息をつき、私の拘束を解くと自室に帰っていった。アルコールが回っていて意識も曖昧なうえ、私を物と認識しているのに毎回ご丁寧に拘束だけは解いていくのは、望のことを想ってのことなのだろうか。それなら彼自身が望の相手をしてあげてほしいものだ。つながれたままのコードを一本ずつ外しながら、そう思った。


    ◇


 達平の実験?が終わり、汚れてしまった服を洗うため洗面所に向かう。ランドリールームもあるが、夜も更けて望を起こしてしまうかもしれないので手洗いをすることにした。クラシカルなビクトリアン・メイドのロングスカートが白く汚れてしまっている。どうせ汚すならエプロンの白い部分にしてほしいとも思ったが、あんな状態ではそこまで気にしてられないのだろう。シミになって望に感づかれでもしたらどうするのだろうか。


 このメイド服は私が初めて起動した時に礼から頂いたものだ。普通アンドロイドは日常に溶け込めるように一般的な服を着させるものだが、私は実験段階の試作機らしくこの家から出ることがほとんどないからと半ば強制的に着せられた。おそらく、礼の趣味だったんだろうと思う。初めのうちは長いスカートが邪魔で動きずらいと感じていたが、今では愛着すら感じて気に入っている。ひらひらとしたデザインとは裏腹に繊細な材質でもないそれをガシガシと洗いながら、彼女のことを思い出していた。


 あの日、私と礼は二人きりだった。達平は弱っていく姿を見ていられなかったのか飛び出すように病室から出ていったし、望はこんな姿を見られたくないという礼の希望で看護師に連れられて病室を後にした。望の泣きじゃくる声がだんだんと遠のいていき病室がシンと静まり返ったころ、ずっと黙っていた礼が口を開いた。


「PA-1HB」


「はい、なんでしょうか」


「今更だけどそういえば名前も決めてなかったね」


「一般的に通常の機体は異物感を取り除くため固有の名前を付ける場合もあるようですが、私は実験段階の試作機であり、人の目に触れることがないため必要のないものと推察します」


「『実験以外の場面では、実験に影響することの無いように通常のアルゴリズムに則り発言するように』って命令してあったけどもういいよ。私は界隈からは煙たがられていたから、そういう誰かに何か悪影響を与えられることを恐れての事だったし、そもそも私と共にこの実験は白紙に戻る。お前も砕けた口調で話しているの時のほうが生き生きしているように感じていたけど」


「ではそのように。礼はもう機能を停止するんですか?」


 私が軽口をたたくと、礼は口を押えてフフッと笑った。その控えめな笑い方は元気だったころの豪快さが息をひそめ、余計にもう先が長くないことを際立たせるようでとても寂しくなった。


「機械のくせにブラックジョークが過ぎるわ。機能って何よ……まあそうね。人間は精密なだけのもろい機械よ、脆すぎるくらいに脆弱ぜいじゃくなの。あなたが羨ましいわ」


 そういってふぅと息を吐いてから、礼は目を閉じた。


 造形のよかった顔は薬の副作用と栄養失調でやせこけてまるで別人みたいで。

 そうしているとまるでもう死んでしまったようで、咄嗟とっさに手を握っていた。彼女は驚くこともなくゆっくりと握り返し、目を開けた。その青みがかった瞳だけが昔と変わらず綺麗なままで、まるで深い海の底に沈みこんでいくように私の視覚情報を占領し、まるでノイズが走っているように聴覚もうまく働かない。彼女の瞳が私を捕えて離さないように、私の視覚レンズも決して彼女から視線を外すことはなかった。


「あなたにお願いがあるの」


 唐突に口を開いた礼の言葉で意識が現実に引き戻される。

 黙って先を促すと数秒の沈黙の後、覚悟を決めたように彼女は話し始めた。


「今からいうことが私のエゴだってことは分かってる。わたしはあなたをつくってから人間として接してきたし、人間に近づけるように実験だってしてきた。でもそれって、人間に近づけようとしている時点であなたを機械だと認めているようなもので、そんな実験をあなたに強制してきたのは私があなたを機械だと思っている紛れもない証拠よ。そもそも、自立的に思考し、会話し、行動できるアンドロイドを生み出すなんて、やっていることは土塊つちくれをこねくり回して人類を創造した神様の真似事だし、私が研究者として行ってきたことすべてが傲慢なものだったのかもしれないわ」


 それでもね、と一呼吸おいて彼女は続けた。


「それでも、あなたにはこれから人としての人生を歩んでほしい。私の実験体であるうちは機械のままでもよかった。それは、そうするように生まれてきたあなたのありのままの生き方ではあったと思う。でも、あなたはもう独りで生きていかなくちゃいけないの。自分の意志で、自分の力でね。そしてもし、私のわがままを聞ける余裕があるのなら、望のことを守ってあげてほしい。あの子は控えめな性格で口数は少ないけれど、甘え下手の寂しがり屋なの。きっと私がいなくなったら、ショックを受けると思う。だからどうか、あの子のこともよろしく頼むわ。私の代わりが務まるかはわからないけれど、あなたならきっといいお友達になれると思うの。なぜならあなたは私の最高傑作なんだから」


 最後に冗談交じりにそんなことを言って笑う彼女の顔が元気だったころと重なって、懐かしさでたまらなくなった私は彼女をそっと抱きしめた。


「わかりました、礼。人間らしく振舞えるかはわからないけど、望のことは私に任せてください。きっとあなたみたいに素敵な大人になれるように私が守ってみせます。あなたの最後の命令です、全力で遂行しますよ。何せ私は、礼の最高傑作ですからね」


 私がそういうと、彼女は再び笑って私の頭を撫でた。いつも実験中に触れるのとは違う優しい感触が伝って、拒むことなく受け入れた。頭を撫でながら、あなたは充分人間臭いだとか、望には私のようにじゃなくもっとお淑やかに育ってほしいとか、命令じゃなくお願いだとか、ひとしきり私の発言に反論した後、そっと枕に頭を預けて再び目をつむった。


「話過ぎてすこし疲れた。私は一旦眠ることにするわ」


「ええ、わかりました。いい夢が見られますように、おやすみなさい」


「おやすみなさい、目が覚めたらまたお話しましょ」


 そういって眠りについた礼はとても穏やかな顔をしていて、さっきのお返しとばかりに私も彼女の頭をやさしく撫でた。






 そのまま、礼は目を覚ますことはなかった。

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