第2話 純情青年は謎の女の胸をみる
翌日。
俺は、再び目的を果たそうと例のビルの屋上にいた。
綺麗な夕暮れの景色。夕日に照らされたフェンスが規則的な影を落としている。赤い空には鴉が悠々と泳ぐ。俺は夕暮れが好きだ。
何だか、今日はより一層綺麗に見えた。
死ぬにはなんていい日だろう。
この女が居なければの話だが。
「もう、此処には来るなって言いましたよね。」
謎の女は相変わらずのニヤつき顔で俺を見上げた。
「だってー、せっかくだし見届けないと勿体無いジャーン」
昨日に引き続き、見物に来たと言うわけか。なんて女だ。
「昨日もいいましたけど、あんたがいる限り俺は死ねないんですよ」
「えぇ〜、ケチじゃない?」
何がケチだ。至極当たり前のことなんだが、この女には言っても伝わらないんだろう。
「じゃあ、もう帰ります。俺は、もうここに来ませんから。別の場所でも探すんで。」
せっかく見つけた場所だっただけに、惜しいとは思ったが、毎度邪魔されてちゃそれこそ本末転倒だ。
本当におかしい女だった。今度こそもう会うことはないだろうと出口に向かい歩みを進めていた。
そのとき
「待ってよ、
女が俺を呼んだ。知るはずのない俺の名前を。
「なんで、俺の名前知って…」
女はニタリと笑うと、手招きをしたのち、床をトントンと人差し指で叩いた。
横に来い。ということだろうか。
正直、もう関わりたくないという気持ちが強かったが、なぜ俺のことを知っているのかという疑問が俺を引き留めた。
俺は、仕方なく女の横に少し距離をとって座った。
「もっと、近くに座ってもいいんだよ❤︎」
甘えたような声で女は提案してきたが、是非とも遠慮したい。まともな人物ではないことはもう十分過ぎるほど知っているのだ。
「いや、遠慮します。」
「照れてんの?ぼーや」
女は相変わらずのニヒル顔を崩すことなく、揶揄うように言ってくる。否定したい気持ちは山々だが、突っかかった所で相手の思う壺になるのは癪だ。
それに、くだらないやり取りをするために留まったわけではない。俺が確かめたいのは一つだけだ。
「あんた、なんで俺の名前知ってるんですか。」
「…さぁ、なんでだろー?」
この女のことだ、簡単に教えはしないだろうとは予想していたが。揶揄うような言い方が無性にムカついた。
「教えないなら、話はないです。俺を引き留めたって事は、何か言いたいことがあったんじゃないですか。まぁ、その態度なら聞く気はないですけど。」
俺は、突っぱねるように言いながら腰を上げた。
「ちょっと待って、そんなカリカリしないでよ〜」
誰のせいだと思っているんだろうか。無視をして立ち去ろうとすると、女は俺の手を掴み上目遣いで見つめてきた。
襟の伸び切ったインナーから谷間が見えて、俺は思わず目を背けた。
俺のその姿を見て、女はニタリと笑うと、油断して力の抜けた俺の手を引っ張りそのまま床に座らせた。
「少しだけ、お姉さんの話を聞いてくれない?」
先ほどの余裕ありげな笑顔とは打って変わり、少しだけ憂いを帯びているような表情で縋る様に言う女。その姿に、俺は何も言えなかった。
「…で、話ってなんですか」
女の方を見ると、どこからか取り出したタバコに手慣れた様に火を着けると白煙を吐いた。と、同時にプシュと缶チューハイを開ける。
一連の動作は流れるようで、瞬く間であった。
「いる?」
呆気に取られて見つめていた俺を見て、欲しがっていると勘違いしたのか、ニヤニヤとしながら缶を差し出してくる。
「いや、未成年なんで。」
俺は、制服を着ている。どこから見ても未成年の人間に酒を勧めるなんてのは大体が冗談だろうが、この人はきっとそうではないだろう。
「っはぁ〜、真面目だねぇ〜!」
にゃはは、と笑う女。すでにアルコールと煙の匂いに包まれている。
「こういう、悪いこと、憧れたりしないの?」
若者が大人に憧れて、または悪いことをかっこいいと思うのはありがちなんだろう。ただ、俺は別にそういったことをしたいと思ったことは特に無かった。必要性を、感じなかった。
「特に思ったことないですね。」
簡潔に答えると、女はふーん。と一息置いた後、微かに笑った。
「君は、大人なんだろうね。」
「私は、子供だったからさぁ〜。煙草やら酒やらに憧れてたなぁ〜。」
女は懐かしそうに遠くを見ながら言った。
「でもね、大人になって気づいた。こういう娯楽が許されてるのは、それだけ大人の世界が残酷だから。縋るものを提供してくれてるんだってね。」
女は煙草を吸うと、胸の内を全て煙に乗せるように一息に吐き切った。
「なんて、大人ぶってるだけで、中身は全然大人じゃないんだけどね。ばばあの自分語りうぜーって思ったっしょ?」
女はニヤリと笑った。確かに、大人は若者によく語りたがるが、女の言葉は、俺に向けて。というより、自分自身に語っているような印象を受けた。
「ちょっと思いました。」
「おい!正直かよ!」
女は俺を小突くと楽しそうに笑った。こうみると、やばい人ではあるが少しだけ良い面もあるのかもしれないと思えた。
「湿っぽい話しはやめよー。思春期の男の子とする話って言ったらやっぱあれでしょ〜、エロい話。」
少し思い直していたが、やっぱり撤回する。ほとんど初対面の男にそんな話をするなんて、恥じらいとかないのか。
「あんた…恥じらいとかないんですか」
「恥じらいなんか、とっくの昔に置いてきたわ」
この人は、人間に大切な多くのものを置き去りにしてきているらしい。
「で、どうなの?」
「いや、どうなのって…」
女がじりじりと近づく。気づくと鼻と鼻がつかんばかりの距離だった。
「…ちっ、近い」
「キスとか、したことある?」
女が耳元で囁く。アルコールと煙草の濃い匂いがした。
身をよじりなんとか逃げようとするが、フェンス側に追い詰められ逃げ場を失ってしまった。
また、それだけでは終わらず、女は馬乗りになり俺をさらに身動きが取れない状況へと追い詰める。
「っおい!やめろって!」
必死に訴えるが、はなから聞く気はなさそうな様子で顔色一つ変えない。
「してみる?」
女の唇が近づく。そのまま彼女の手に目を塞がれ目の前が暗くなった。
女の香りが近づき、髪が頬にかかる。
やばい。このまま―
ちゅ。
とは、ならなかった。
キスの代わりに降ってきたのは、ふーっと吐き出された濃い煙草の白煙。思わず吸い込んでしまい咳こんだ。
「…ごほっ、あ、あんた…!」
咳き込みながら耳まで赤くなっている僕の姿はさも滑稽だろう。
女は、これ以上面白い事はないと言った様子で腹を抱えて笑っていた。
「いやー、ちょっと揶揄いすぎたね」
なんてやつだ。純情な青年の気持ちを弄びやがって。
「…っ、あんた。何やってくれてんの」
俺が睨みつけると、女は手を合わせ舌をペロッと出していわゆるゴメンネポーズをするが、全く反省が感じ取れない。
ふざけた顔はさらに俺を苛立たせた。
「はぁ〜…もういいです。」
女の話はもう十分聞いただろう。このままここにいてもまた何されるか分からない。
「じゃあ、もう帰りますね。」
俺は服の埃を払いながら立ち上がった。
「えー、もう帰っちゃうの?空。」
空。そうだ、女のペースに飲まれすっかり忘れていたが、女がなぜ俺の名前を知っているのか理由を確かめる必要があった。
「あの、今回は真面目に答えて欲しいんですけど。なんで俺の名前知ってるんですか。」
女は少し考えて、困ったように笑った。
「そうか、君は。私のこと…確かに…」
ぶつぶつと独り言を言っているが、声が小さく所々聞こえない。
しばらく独り言を続けていたが、怪訝そうに見つめる俺の目線に気づくと、ハッとしてこちらに向かい話し始めた。
「あぁ、ごめんね。それについてはっきりとは言えないんだけど。私は君を知ってる。そして、君も私を知ってるんだよ。」
何を言っているのだろうか。理由についてはっきりとは言えない?俺が彼女を知っている…?
俺は、この女と会ったことがあるのか?いつ、どこで?
巡る思考を断ち切ったのは女の声だった。
「空、もう、ここには来ないんだよね。」
夕日を背に立つ女の顔は逆光で少し仄暗く、どんな表情をしているのかよく見えない。
他にも言いたいこと、聞きたいことは山程あった。が、もう何も言うな。と釘を刺されたような気がして
「そうでしょうね。」
俺はそれだけを言い残し、屋上を後にした。
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