第9話 とあるシェイプシフターの一生①

 生まれた時の事まで、覚えている。

 大げさではなく、生まれたその瞬間の事。

 忘れもしない、あの瞬間。生まれたその瞬間は、確かに「自分」は愛されていたと、記憶している。

 母親の、疲れきっているのに、どこか満足気な表情がとても印象的だった。

 抱き寄せられた自分は「自分」としての意識はあっても言葉を知らず、泣く事しか出来なかった。

「自分」が泣けば泣くほど、母親は強く「自分」を抱き寄せてくれ、それが嬉しくて、嬉しくて、泣き続けた。


 母親はシングルマザー。女手ひとつで「自分」の面倒のすべてを見ていた。

 どうやって「自分」を育てるための資金を集めていたのかは今となっては知る由も無いが、母親は常に「自分」の傍に居て、常に「自分」の事を気にかけてくれていた。

 友人や家族との繋がりは希薄で、母親が暮らしていたアパートの一室には、母親と「自分」以外の人間が足を踏み入れた事は「自分」の記憶の中では一度も無い。

「自分」は母親さえ居ればそれで満足だったのだが、今思えば母親は、寂しかったのではないかと思う。母親は夜になると、時々泣いていた。そして毎晩「自分」に、身の上話を話すようになった。

 その中でも、強烈に記憶に残っている事がある。それは「貴方の父親はどこの誰だかわからない」といったものだった。

 超絶美形の男性と、一夜の関係を持ったそうだ。そうして出来たのが「貴方」だと、言っていた。

 当時は何の事だか全然理解出来ていなかったのだが、今ならわかる。母親が知りえなかった事まで、わかる。超絶美形のその男の正体さえも、わかってしまう。

 ソイツは、怪物。比喩や例えではなく、文字通りの怪物。子孫を残すために母親へと近づいた、シェイプシフターだ。


 母親が「自分」を見る目が変わったのは「自分」が生まれてから半年が過ぎた時の事だった。

「自分」の性別は、生まれた時は男だった。しかし「自分」は、ある時を境に女になったのだ。


 母親と一緒に旅番組を見ていた時、黒人の赤ん坊がテレビに映し出された。

 それを見た「自分」は体がむず痒くなっていくのを感じ、体をウネウネと動かしていた。

 痒さによるストレスが限界に達したその時、自分の体が爆ぜるような感覚に襲われた。ビチャビチャという、まるでゼリーが地面に落ちた時のような音が聞こえてきて「自分」はその音のする方へと視線を向けた。

 視線の先には、壁にへばりついている、赤い人間の皮膚のようなものが見えた。

 その瞬間、母親の聞いた事の無かった絶叫が聞こえてきた。母親の悲鳴は「自分」に向けて、発せられていた。 


「自分」はその時、生まれて初めての脱皮を、していた。


 人間は、脱皮なんてしない。せいぜい老廃物として垢がおちていく程度。

 脱皮とは、自身の皮を全て取り払る事。生物によっては、それで成長をする。

 しかし「自分」の場合、成長はしない。そのかわり、変化をするのだ。

「自分」は日本人の男児から黒人の女児に、変化していた。


 つまり「自分」は、人間では無かったのだ。

 母親は「自分」よりも先にその事を知り「自分」を恐れるように、なった。

 愛されない期間が、唐突に訪れた。

 母親は「自分」と、距離を取って生活をするようになった。

 母親が夜毎に語り掛けてきていた「自分」にとっての楽しみだった時間は、二度と訪れる事は無かった。


「自分」は幼少の頃、何度も体のむず痒さを感じ、その度に脱皮をし、変化をしていた。

 テレビを見ては変化をし、他人を見ては変化をする。

 あまりにも頻繁に変化をするので、母親は「自分」を家の外へと出さなくなった。

 当時は不満を抱いたものだが、物分かりの良かった「自分」は、すぐにその理由に気が付いた。

「自分」のように脱皮をして変化をする生物は、普通ではない。脱皮をする生物なんて、良くて蛇。悪くて虫。そんな気色の悪い息子、あるいは娘を、ひと様の目に晒す事なんて出来ない。

 当然の思考である。

 だから「自分」は「自分」の正体を隠す術を身に着けようとした。つまり「変化の操作」だ。

 好きな時に、好きな容姿になり、それを維持するというもの。それさえ出来れば「自分」は人間として、生きていけるかも知れない。

 母親のためにも「自分」のためにも、頑張ろう。

 そう決意したのは「自分」が四歳だった時の事。教育テレビを観て、英語のほとんどを理解出来るようになった時の事だった。


 裸の状態でお風呂場に引きこもり、変化の練習を連日続けたのだが、それは過酷を極めた。

 今までの人生の中で「自分」が最も苦労し、最も努力をした期間だと言える。

 四歳当時の「自分」の体は、平均的な男児、もしくは女児と変わらない大きさで、母親のファッション雑誌を参考に大人へと変化をしようとしても、その結果は歪な体系となり、とてもではないが人間と呼べる代物では無くなっていた。

 腕だけが短かったり、左右の乳房の大きさが極端に違ったり、皮の内側がむき出しの状態になったりと、どこからどうみても、化け物そのもの。

 それに加え、それまでは本能的に変化をしていたので気付かなかったのだが、全身の皮を取り換えるというものは、多くのカロリーを消費する。

 なので、練習を始めてもすぐに脱力感が「自分」を襲った。

 しかし母親は、毎日違う形の「歪で醜い体」となって風呂場から出てくる「自分」を恐れてか、一日に一回、菓子パンをひとつ「自分」の部屋に投げ入れてくれるだけ。

 それ以外の食糧に手を付ける事は、許されなかった。

「自分」は、常に空腹に悩まされていた。


 ある晩、外側から施錠された真っ暗闇の自室で「自分」はもがき苦しんでいた。

 自身の体が燃えるように熱くなり、喉を焦がすほど水分が枯渇し、耐えきれないほどの空腹が「自分」を襲っていた。

 このままでは、死んでしまう……そう直観した。

 昼間の限られた時間以外、開く事が決して無い扉へと、体当たりをした。すると扉はいともたやすく、壊れた。

「自分」は自身の飢えと渇きを満たすため、台所へと向かい、蛇口をひねり、シンクに顔を埋めながら、水を飲んだ。

 続いて冷蔵庫を開けるのだが、冷蔵庫の中には「自分」が求めているようなものは、入っていなかった。

「自分」はあの時、生肉を欲していた。

 生肉を食べたくて食べたくて、仕方がなかった。

 

 一瞬、母親の寝室が目に入り、立ち止まった。

 立ち止まったが、すぐにまた歩き出し、外へと出て行った。


 裸足のまま、ペタリペタリと、暗い深夜の町の、さらに暗い場所を、歩き回った。

 路地裏の、エアコンの室外機の、上に寝転がっている猫が、目に入った。猫は「自分」に気が付き、様子を、伺うように尻を上げた。

「自分」はノタノタと、猫、に、近づく。猫はいよいよ、腰を上げ、逃げようと、した。

「自分」は思い切り、地面を蹴った。すると「自分」の体は、想定していた以上の速さで、猫へと、接近していた。その速さは、猫の反射神経を、上回っていて「自分」の右手は、猫の頭を、鷲掴みに、していた。

 頭を持ち上げて、地面に、叩きつけた。

 その瞬間、猫は生肉へと、変わった。

 

 ひとくち噛むと、血が滴り落ち、口いっぱいに生肉の甘美な味が、広がった。

 空腹が、満たされていった。そして精神的なナニカも、満たされていった。

 生きている実感が沸いた。体に力が漲っていくのを感じた。

 生まれて初めて、満たされるというものを、知った。

 残骸に、手を合わせて、感謝をした。お陰で「自分」は、生きていられる、と。

 今でも、思う。命を奪い、命を糧に、生きるという事は、絶対に、感謝は必要だ。

 これは「自分」が生まれて六年が過ぎた時の事。


 生肉への渇望を感じたその日以来「自分」は夜な夜な生肉を求め町を徘徊するようになった。

 生肉を食す事が出来た日は大変調子が良く、何度でも変化をする事が可能になり、脱皮後の姿も徐々に人間のソレへと近づいていた。

 ただし、母親のファッション雑誌ばかりを参考に変化をしていたためか、変化できるレパートリーは女性ばかり。

 生まれた時は男だった事から、違和感と疑問を抱かずにはいられなかった。

「自分」は一体、何者なんだ? 男なのか女なのか? 人間なのか違うのか?

 外部からの情報がほとんど入ってこない「自分」がそういった疑問を抱くのは、当然の事だった。

 今でこそ「怪物」であり「シェイプシフター」であるという事が分かってはいるのだが、当時の「自分」はいくら考えても、答えは見つからなかった。

 何故なら「自分」は、母親以外の人間と接触をした事が、幼少の時以来、一度だって無かったからだ。参考になるものが、一切無かった。

「自分」はそういった疑問に対するストレスを、日に日に募らせていった。


 そんな日々が続いていたある日、事が起きた。

 それはあまりにも突然で、唐突で、衝撃的なものであった。


 日課になっていた夜中の徘徊から帰ってきて、アパートの玄関を開いたその時。

 部屋の中から黒い影が飛び出してきて「自分」の左肩を、刺した。

 黒い影はそのまま「自分」の体を突き飛ばし、壁に押し付け、今度は「自分」のお腹を刺した。

 続けて右肩。頬。太ももを、刺した。

 あまりにも手際よく、流れるような動きで、次々と「自分」の体を傷付けていく黒い影。それも的確に「自分」の動きを封じるような箇所ばかりを、狙っていた。

  痛みこそそれほど感じはしなかったが、「自分」は死を意識せずにはいられなかった。

「うぐぁあぁっ……」

「人は美味いか?」

 黒い影の正体は、黒いロングコートを身にまとい、黒い帽子を被った、頬と顎に白い無精髭を生やした、初老の男性だった。

 その男は自身の腕を「自分」の首に押し付け、壁を利用して「自分」の体を浮かせた。

 この時の「自分」の身長と体重は、成人女性とそう変わりない。身長は百六十を超え、体重は四十数キロ。もしかしたら五十を超えていたかもしれない。

 それなのにこの男は、壁を利用しているとはいえ、腕一本で軽々と「自分」を、持ち上げている。

 さらに先ほどの、相手に何もさせないまま無力化させる、恐ろしく洗練された、戦闘術。

 戦って勝てる相手とは、思えなかった。

「人は美味いかと、聞いている」

 やたらと大きな青い瞳を持つ男は、眉間にシワを寄せて目を光らせた。

 美しく澄んだ青い目が「自分」の事を見透かしている。何を言っても、見抜かれてしまう。そう感じた。

「……食べた事、無いです」

「ほ。その口の血は?」

「……鼠を、食べたの」

「人を食べたいと思った事は?」

「……ありません」

「人が怖いか?」

「……はい」

 男は「自分」の首から腕を離し「自分」を開放した。

「自分」は太ももを傷つけられた所為か、立っている事が出来ず、腰を落とす。

「命拾いしたな」

「ちょっとっ……! 殺してよぉっ! 専門家なんでしょっ! その化け物を早く殺してっ!」

 男の捨て台詞のすぐ後に、母親の甲高い声が、聞こえてきた。

 その声を聴いて「自分」は、心に傷を負ったのを、感じた。


 今まで頑張って、変化を操作しようとしていたのは、母親のためで、あったから。

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