第6話 思いがけない恐怖と戦争悲話

 元革新学会のガードマンは、いきなり顔が青ざめながら、僕に言った。

「私が入っていた地区の革新学会の上層部に、革新学会をやめるという届をだし、やれやれと胸をなでおろしながら、家路に着く途中のことでした」

 えっ、何があったの?

「革新学会青年部と名乗る四人の連中に、取り囲まれました。

 見ると、上半身大きな刺青が入った奴ばかりでした」

 現在のタトゥーではな、大きな刺青ということは、まぎれもなくアウトローに違いない。

 ドスの聞いた声で「ワレ、辞めるんかい」

 そう言われたときはビビりましたが「はい、辞めさせて下さい」ときっぱり宣言しました。

 ちょうどそのとき、ラッキーにもパトカーが通りかかったのです。

 すると刺青だらけの青年部は「ワレ、月夜の晩ばかりだと思うなよ。暗闇の晩もあるんだぞ」

 典型的な脅し文句、実態のないことを言って、人に恐怖感を与え自分の思うがままにさせる。悪党のよく使う手段である。

 僕はガードマンに言った。

「そんなの、単なる脅し文句の捨て台詞ですよ。またパトカーが通りかかった途端に逃げるというのは、警察沙汰になるようなことを仕出かしてる証拠ですよ」

 ガードマンは安堵したかのように言った。

「それもそうだな。でも、革新学会の女性というのは変わった人が多いよ。

 たとえば、大きな身体の人間はベッドに寝るな。それが小さな身体の人間に対する思いやりとやさしさであるとかね」

 えっ、大きな身体がベッドに寝るなだと、そんな話は今まで聞いたことがないぞ。まあ、そういうおかしな常識外れの教えを強要し、一般社会から隔離させようとする魂胆なのかもしれない。

 結局、行き場は革新学会だけというふうに、受け身の女性を追い込んでいくんだな。


 しかし、そうした人の成れの果てはどうなるのだろうか。

 女性の場合、金集めなどに利用されるので、家庭不和の挙句の果て、ノイローゼになるという話を聞いたことはある。

 精神病院に送り込まれたりするというケースもある。

 会報や発行本も百部以上買わされ、それを自分で売りさばくという。

 まるでマルチ商法まがいである。


 ふとガードマンの表情が、陽がさしたように明るくなった。

「でもそんな状況においても、キリスト教を信じて救われたというケースもあるよ」

 へえ、イエスキリストは十字架で処刑され、死者から三日目に蘇ったというが、そんなことがあるんだな。

 そういえば、最初にイエスキリストの復活を伝えたのは、なんとマグダラのマリヤという売春婦だったという。

 極めて社会的地位の低い売春婦が、ましてや十字架処刑ののち三日後に蘇ったなどという荒唐無稽な信じられない話が、世界中に広まっていったのは、まさに人間ワザでは考えられない神の奇跡としか言いようがない。


 そういえば、イエスというのは肯定の意味、キリストというのは救い主という意味である。

 救うというのは、スプーンですくうように、自分が相手より下の立場にたって、相手を持ち上げることである。

 上から目線で意見を言ったとしても、相手には届かないケースが多い。

 イエスキリストは、神の一人子でありながら、人間の姿をしてこの世に降臨された。だからイエスキリストは100%神であり、また100%人間であるのである。

 人間の肉体をもったイエスは、肉体のもつ欲情や痛みを越え、人々に支持されたが、それが当時の権力者であったパリサイ人や律法学者の反感を買い、十字架に架けられた。

 最後には十二弟子にも裏切られたが、イエスはそれも承知の上だった。

 

 ペテロという口のうまい弟子がいた。

「私は決して、あなたを裏切りません」

 イエスは即座に「いや、あなたは鶏が三度鳴く前に、私を知らないというであろう」

 結局、その通りになってしまい、ペテロは号泣した。

「心は燃えていても、肉体は弱いのです」(聖書)


 ユダは銀貨ー現在の貨幣価値にすると五十万円くらいーでイエスをパリサイ人に売ってしまった。

「最後の晩餐」のとき、ユダはイエスに頬ずりしたが、それは親密を現すものではなくて「この人がイエスですよ」という合図だったのである。

 人は見かけによらない。見かけだけの美辞麗句やパフォーマンスにだまされてはいけないの典型であろう。


 ガードマンは話を続けた。

「私の知り合いの革新学会の元女性信者は、娘がぜんそくもちだったのを悩み、ぜんそくどころか癌も治すのが革新学会だという誘い文句を信じ込み、献金を強要された挙句、他の信者への献金を強要したり、早朝三時にたたき起こされて、会報配りをさせられたりした挙句の果て、ひどいうつ病になってしまいました」

 うわーっ。なんという悲劇の典型的パターンであろう。

 その本人は、娘のぜんそくを治したいという一心で入信したのだったが、運のツキだったのであろう。

 本人一人の意志や力ではどうしようもない、病気や家庭の不幸に付け込んで、さぞ味方であるかのような顔をして近づき、自分の意のままにさせようとする。

 革新学会が、病人と貧乏人の宗教であるといわれる所以でもある。


 ガードマンは、日陰のような暗い表情から、一瞬陽光が差し込んだような、明るい表情に変わった。

「そんなとき、娘さんが聖書の一節を口ずさむようになったのです。

「すべてのことは、イエスキリストに働いて益となる」(聖書)

「この世には悩みがある。しかし私(イエスキリスト)はこの世に勝っている」

(聖書)

 この御言葉を口ずさんだのがきっかけで、イエスキリストとやらを知りたくて教会に通い始めたのです。そこから人生の歯車が好転し始めました」

 僕は思わずガードマンに質問した。

「もしかしてその娘さんは、ぜんそくが完治する方向に変わっていったんですか?」

「それもあるが、ぜんそくって結構精神的なことが、大きな要因になっているケースが多いんですよ。だから、十歳過ぎたら治るというケースもあるんですよ」

 そういえば、秋元康も松田聖子も幼いときはぜんそく持ちだったという。

 特に秋元康は、小学校低学年のとき学校を休みがちであったが、一度もいじめにあわなかったのは、優等生だったからであるという。

 ガードマンは続けた。

「そういえば、私もキリスト教というのは、西洋の宗教だけどなんとなく信用できるものを感じていました。

 僕の祖父が、キリスト信者だったんですよ」

 へえ、そうだったのか。

「僕の祖父は、幼いときから優等生でした。戦争が始まると、軍隊の予科練の訓練を受けていました。

 戦争はもちろん日本が、圧倒的勝利をおさめ「大日本帝国をつくり、世界中を征服する予定である。するとキリスト教のような西洋のバタ臭い宗教など、あとかたもなく消えてしまうのだ。そのときになって、後悔しても遅いよ」などと言われていた時代だ」

 信じられない。そういえば、戦争中は鬼畜米英といって、数字やカタカナ語に至るまで、日本の文化以外のものは使ってはならなかったという。

 赤紙ひとつで軍隊に召集され、特攻隊のように片道切符であり、もう二度と帰宅することはできない。

 それがわかっていながら「お国の名誉のために戦って参ります」と敬礼し、戦争に出かけていき、家族は皆、その犠牲になるのである。


 ガードマンは話を続けた。

「僕の祖父は、軍隊の予科練では優等生でした。

 予科練というのは、成績、体力の優れた若者が七十倍の競争力に勝ち抜き、軍隊に選ばれたのである。

 早朝には真冬の海岸で号令の練習をし、軍事訓練を受けたという。

 誇り高い軍人であった筈だが、戦争は次第に悪化していき、負け戦(まけいくさ)が始まるようになってしまった。

 最後は特攻隊といって帰り道の切符のない飛行機に乗せられ、死を覚悟の上だったというが、戦死した人は多くいたという。

 しかし、終戦いや敗戦後の荒れた日本において、予科練時代に覚えた酒、タバコ、女癖は治りませんでした。いや日本は勝つと信じ、身も心も捧げていた祖父にとっては、なにもかも信じられなくなり、ますます自暴自棄になる一方で、ついに身体を壊し、入院する羽目になってしまいました」

 戦争の話か。十年昔迄はテレビドラマや映画のテーマにもなっていたが、徐々に減少していった。

 8月20日が終戦いや敗戦記念日だということを知らない若者は、二十年前から増加の一途を辿っている。

 NHKだけがドラマとして取り上げている。

 僕もつい先日、二作品を見たばかりであるが、実際の戦争は、もっと悲惨で残酷で暴力的な筈である。

 だからそれをあえて取り上げた「はだしのゲン」というマンガは、図書館でしか見ることができなくなってしまった。

 原因は、暴力的なシーンを真似する子供がでたら困るという理由である。

 しかし、ここだけの話、僕の推理では日本が外国にしたひどい仕打ちを公けにしたくないというのが本音なのかもしれない。


 そういえば、僕が小学校二年のとき、副担任(といっても2クラスしかなかったが)が、担任が休みのときに代わりに授業をしにきた。

 まったく何の授業もせずに、自分が体験してきた戦争の話だけをするのだった。

 僕は今でも記憶に残っているのは、副担任は戦争中、なんとシベリヤへ抑留されたとき、牢屋のなかで手の指の爪をみな抜かれてしまったという悲惨な話である。

 そんな暴力的なことをするのは、敵国であるアメリカ兵のしわざに違いない。

 しかし、副担任は淡々とした表情で、その話をしていた。

 僕達子供に、戦争の悲惨さを伝える必要性があると思ったのだろう。


 ガードマンは、淡々とした表情のなかに、糸筋の光を見出したように顔が輝いた。

「祖父は入院中、看護師さんが退院患者の読んだ本を処分しようとしていたので、僕にも見せて下さいと言った。

 大抵はエロ本ばかりだったが、そのなかに一冊の聖書が混じっていた。

 祖父が初めてみる聖書、戦争中には西洋の宗教だといって禁止されていたキリスト教の聖書がどのようなものであるか、興味を魅かれて読んでみました」


 









 


 


 

 

 


 

 

 

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