第5話 すべてのことはイエスキリストにはたらいて益となる(聖書)

 いや、このことは偶然ではない。

 以前、教会であかしをした女性と節奈ママの女性とは同一人物に違いない。

 偶然ではないことは必然である。とすれば、僕はもしかして、その女性と出会うチャンスがあるのかもしれない。

 ふとそんな予感が僕の胸をよぎった。


 僕は、以前行った教会の近くの居酒屋に足を運んだ。

 なんと、居酒屋は閉店し、代わりにカフェになっていた。

「昭和のマイルドカレー テイクアウトOK ドロリとしたコクがあって 辛さひかえめ」ののぼりに魅かれるように、店に入ると香ばしいサイフォン珈琲の香りが漂ってきた。

 僕はいつものようにブラック珈琲を頼むと、後ろには五人くらいの団体客がテーブルを囲み、もくもくとカレーを食べていた。

 すると教会で覚醒剤の証しをした二十歳過ぎの女性が、団体客のなかに混じっていたのだった。

 なんという偶然。もしかして僕がこのオープンしたばかりのカフェに出くわしたのも、神の導きなのだろうか?

 

 僕は思わず、団体客の会話に耳を傾けていた。

 ある中年女性が

「ゆかりちゃん、大胆なあかし、勇気あるわねえ」

 ゆかりと呼ばれた女性は言った。

「はい、大変勇気のあることでした。でも、私はこのあかしをする前に、学院長の許可をとったのですよ。

 だって、麻薬って大金が絡んでるし、私が麻薬の売人であり、皆は麻薬に関与していると誤解されかねないから。

 すると学院長は「余計な心配は無用です。イエス様があなたを守って下さいます。今から祈りましょう」と仰った。

「神様、ゆかりさんは麻薬中毒で医療少年院に入院していたが、イエス様によって立ち直った過去をおあかしするつもりです。

 どうか、妙な誤解を生むことがないように、お守り下さい」

 だから私はすべてをイエス様に委ねて、おあかしすることにしたんです」

 ゆかりの向かいにすわっている、ゆかりと同年代の男性は言った。

「失礼なことだけど、麻薬って暴力団と絡んでるんだろう。切っても切れない関係だという話は聞いたことがあるよ」

 ゆかりは即座に答えた。

「その通り。よくご存じですね。実は私も暴力団組長とも通じていて、そこから覚醒剤を入手していました」

 みな、信じられないような顔で、あどけなさの残る彼女の顔をまじまじと見つめた。まるで赤ん坊のような無邪気な顔の彼女の口から、そんなセリフがでようとは。まさに現実は小説より奇なりである。


 ゆかりは淡々として表情で話を続けた。

「でも、私が母の勧めで教会に通うようになってからは、なんと組は解散したんですよ。まあ、暴対法の影響で不況ということも関係していましたがね」

 ゆかりの隣の中年女性は

「それは、ゆかりちゃんの影響というよりも、ゆかりちゃんのなかに宿っている神様の影響よ。

 まあ、昔から社会で活躍できない人が、暴力団に狙われるというのはよくある話ですがね。でもああいう人って執拗だというわね」

 ゆかりは答えた。

「やっぱり神様が働いていたんですね。だって二十歳そこそこの私が、暴力団を解散させることになったんですからね。

 でも、正直言ってフラッシュバックの方は、まだ完全に治りきっていないんですよ。でも神様に祈ると、いつかは解放されると信じています。というよりも、私は神様なしではフラッシュバックから解放されない。

 だから、私は一生神様なしでは生きていけない。そう思ってこの神学院に入学しました」

 あとの四人の人は、納得したように頷いていた。

 ゆかりは宣言した。

「これからの私は、イエス様がいるから大丈夫です!」


 イエスキリストか。

 そういえば、僕が六歳のとき、母親から初めて買ってもらった絵本が「偉人伝 イエスキリスト」だった。

 僕の家庭はクリスチャン家庭とは程遠く、いわゆる日本海側に多い仏教系であり、居間には高さ1m近い仏壇が飾られていた。

 月に一度の割合で、袈裟をきたお坊さんがお経を唱えにやってきた。

 十分ほどのお経が終わり、お坊さんにお布施を渡して帰ったあとの部屋には、独特のどろりんとしたような空気が漂っていた。

 僕はその空気に、なぜか不浄なものを感じたのであった。

 中学に入学した頃には、お坊さんを呼ぶこともなくなった。

 それ以来、部屋の空気がどろりんとよどむことも一切なくなった。


 僕は新興宗教ー革新学会にも誘われたことがある。

 現在は、入信者はひた隠しに隠している新興宗教であるが、一時はテレビCMまで流れたほどの巨大新興宗教だった。

 信者曰く

「神様って本当にいるの? だったら今、ここで見せてよ。

 目に見えないものを信じるわけにはいかない。

 私たちは目に見えるちゃんとしたものを信じるのです」

 目に見えるものが、果たしてちゃんとしたものなのだろうか?

 僕は思わずその言葉に、疑問と反発とを感じた。


 偽物は本物そっくりであり、見分けがつきにくい。

 しかしどこか一点、小さな部分が違う。

 それは目にみえる形状や色だけではなく、匂いやページをめくる音が微妙に違うケースがある。

 また「見る人が見たらわかる」の通り、平常な環境で育ってきた子供は気づかなくても、洞察力のある大人がみたらすぐわかるケースもある。

 聖霊を身体に携えているクリスチャンは、悪霊を見抜くことができるという。

 音楽を聴いただけで、悪霊が潜んでいると感じるという。

 できたら、僕もそんな鋭い洞察力を身につけたいものである。


 僕は、その新興宗教ー革新学会の信者からカフェで話をしたのを覚えている。

「あなたの顔は死んでいる。それはあなたが革新学会に入会していないからですよ」

 まるで亡霊が取りついたような、暗い固まった表情の三十歳くらいの男性信者は、向かい合わせのテーブル席につくなり、そう言った。

 それから、その男性の家を訪れることになった。

 どことなく暗い表情がぬぐえない女性三人が、仏壇のような形状のものに向って

「神様はこの中にいらっしゃるの」

 僕は思わずエーッと言いそうになった。

「こんな狭い暗い仏壇もどきのなかに、神様が存在してるなんて到底考えられない」

 それからその仏壇もどきに向い、土下座をしてわけのわからんお経を唱え始めた。

 僕はなんともいえない、不気味なものを感じ、カレーライス代千円を払ったあと、そそくさと退散した。

 この千円の意味は、もうこれで勘弁して下さいという意味での代金だった。

 私を誘った三十歳の青年は帰り際にこう言った。

「これから、あなたの新しい人生の門出が始まります。

 みんなはあなたの味方、あなたの力になってくれる人ばかりです。

 もしあなたが革新学会を脱退すると、あなたは死ぬほど後悔するでしょう。

 世間の正義と厳しさに頭を打ちまくったあと、泣きながら私たちにすがってくるでしょう。そのときまたお会いしましょう。さようなら」

 なんとも巧妙な脅し文句である。

 こちらの弱みを熟知し、一見庇い立てするような、慰めといたわりの演技をしながら、自分のペースに持ち込んで革新学会に入信させようとする。

 まるで「北風と太陽」の童話のように、一見やさしい味方のふりをしながら、自分の言いなりに従わせようとする、そんな魂胆が見え見えである。

 僕は、足早に退散した。


 翌日、バイト先のガードマンと話をする機会があった。

 なんでもそのガードマンは、革新学会の元信者だったという。 

 僕が革新学会の集会に行ったというと、急に顔が青ざめた。

 ガードマン曰く

「私は以前、革新学会の信者でした。毎月の寄付を要求され、困ったものです。

 ある日、寄付という名目で一万円必要だと地区長に言われたので、寄付だから強制ではないと思っていたら、なんと翌日、私とは違った地区の婦人部長と名乗る女性が、私の家の前に通せんぼのポーズをとり「一万円二週間以内に用意するように」と言われました」

 まあ、革新学会は昔から金取主義だというのは聞いたことがある。

 たいていの場合、新興宗教と言うのは金持ちから金をとるが、革新学会というのは貧乏人から金を絞り上げるえげつない宗教だと、恨みと愚痴交じりの話を聞いたことはある。


 ガードマンは話を続けた。

「その婦人部長は一週間続けてやってきましたが、私は断固として払わない、明日きたら警察に恐喝として訴えるぞ」というと、ピタリと来なくなった」

 なるほど。こういう場合、男性だったら本当に恐喝になるが、女性の場合だとうまくごまかせるということも考えられる。

「だいたい革新学会は、キリスト教の真似をしているわりには、キリスト教のあることないことを言いたがる。

 昔、韓国でキリスト教のリバイバル運動があったとき、革新学会はそのやり方を学び真似したそうだという。なのにキリスト教というのは聖書の御言葉に

「あなたの右頬を打たれたら左頬も差し出せ」などという、人間の本能とは逆らったことを言いたがる。ふつうは右頬を打たれたら逃げるものじゃないか。

 だからキリスト教というのは下っ端はノイローゼの精神病、上に行けば行くほどひどい二重人格者である」

 僕は思わず反論した。

「人間の本能に逆らっていて何が悪いんですか?

 神から離れた人間の本能は、エゴイズムと金銭欲、色欲にまみれたものじゃないでしょうか。それに逆らうことが、ノイローゼや二重人格者になるのですか?」

 ガードマンは、神妙な顔をして頷いたのち、ショッキングな話をした。

「ある日、私は革新学会を抜けようとして、上層部に届けを出しました。そうすると家路につくまでの五分後、恐ろしいことが起りました」

 

 

 

 

 

 



 


 


 

 










 

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