第2話 復讐は人のすることではなく、神のすることである
結城節奈は、僕の顔をしげしげと眺めた。ということは、僕は結城節奈の息子節雄に似ているということなのだろうか?
だから、息子の代理として僕を呼び出したのだろうか?
僕は三年前の事件をふと振り返ってみた。
南国の島から転校してきたバスケットの好きな素朴な少年が、同じ町に住む十九歳の不良とつきあい始めて三か月もしないうちに、目を大けがをさせられ、殺害されるというなんともわけのわからないほど、残忍な事件だった。
容疑者少年は、十九歳という未成年にも関わらずマスメディアで本名と写真が公開されていた。
犯人はすぐ捕まり少年院送致となったが、一年間少年院に入院した後、不法労働者の麻薬中毒の外国人にナイフで刺殺され、あっけなく死んだというなんとも陰惨な事件だった。
目の前の結城節奈は急にすすり泣きを浮かべた。
ちょちょっと、オイオイ、これじゃあ、俺がこの中年女性を泣かしているみたいに見えるじゃないか。
幸い、カフェスプレモには、僕達しかいなかったのが不幸中の幸いであるが。
僕は「ご愁傷様でした」と言うしかない。
こういう場合、僕のような無関係の第三者の発言は、かえって見当違いの場合が多く、当事者を傷つけるだけである。
僕はただ黙って節奈おばさんを見守っていた。
節奈おばさんは三分ほど、泣き終わったあと、僕に信じられないことを言った。
「私は、犯人に復讐してやりたいと思ったが、今はもう殺されてしまった。
節雄はもう戻ってこないけど、節雄に瓜二つのあなた、この店で私とときどき会ってくれないかなといってもただ、他愛もない話をしてくれるだけでいいの」
僕は思わず身を乗り出した。
「なるほど。僕は今は亡き節雄君の身代わりというわけですね」
これも人助けのひとつかもしれないと、ほっと安堵する気持ちだった。
その途端、節奈おばさんは急に形相が変わり、目を吊り上げた。
「そうしないと私、節雄の身代わりとして、誰かを殺してしまいそうなの。
私を助けると思って、この店で私と会って下さい」
まるでサスペンス、いやホラー映画そのものである。
しかしだ。このカフェスプレモは、僕の唯一の憩いの場所である。
それを奪われることにもなりかねない。
しかし僕は、この節奈おばさんのサイコパス的なところに興味をひかれ、いつものようにカフェスプレモに通うことにした。
そうしないと、節奈おばさんは本当のサイコパスになってしまうかもしれない。
節奈おばさんは話を続けた。
「私にとって、節雄はたったひとつの生きがいだった。
DVを振るう高学歴でギャンブル狂の主人とは離婚したあと、節雄の為に私は生きてきたようなものなの。
私、こう見えても昔は高級ラウンジの雇われママをしていたのよ」
そういえば、節奈おばさんはどことなく色気があって垢ぬけている。
水商売特有の、タバコと酒で灼けたしわがれ声も庶民的である。
まあ、悪人といった匂いはせず、子供を思う母性さえ感じさせる。
「節雄は、いつも私の代わりに掃除、洗濯、料理をしてくれた。
私より上手かったわよ。私が提示した化粧品を買ってくれたわ」
フーン、節雄君は親孝行で、二人三脚で生活していたわけか。
節奈おばさん、いや節奈ママは、目を細めた。
「私は五時に家を出て、帰宅するのは夜中の二時頃。
節雄は小学校三年までは、近所の駐車場をウロウロしたりして、マンションの管理人さんに苦情を言われたりしてたの。
私も帰ってくると、節雄を怒る声、節雄の鳴き声が聞こえてきて、毎日が戦争のようだったわ。そんな日が三か月続いたあと、急に節雄は出歩くこともなく、家で勉強に励むようになったの」
僕は興味津々で聞いていた。
「節雄君は、なにかのきっかけで変わったのですか?」
節奈ママは誇らしげに答えた。
「クラスメートにキリスト教会の日曜学校に誘われ、初めてお祈りをしたときから、希望が見えたと言ってたわ」
そういえば、節奈ママの首には細い十字架のネックレスがキラリと光っている。もしかして節奈ママもクリスチャンなのだろうか?
そういえば、僕ー清田知紀(きよた ともき)も一度だけ、キリスト教会に行ったことがある。
たしか小学校二年のときだった。
クラスメートに誘われ、四月のイースターに行ったとき、茹で卵をもらったのを覚えている。
イースターというと、十字架につけられたイエスキリストが三日目に蘇った日だという。そしてそれを最初に広めたのは、マグダラ地方に住むマリアであり、職業はなんと売春婦であったという。
僕は小学校二年のときは、売春婦という言葉の意味すらわかっていなかった。
しかしその後、死人が三日目に蘇ったという事実を、現在でも社会的に極めて低い立場でしかない売春婦が広め、のちの世界中に広まっていったという事実が不思議としか言いようがない。
ということは、やはりキリストが三日目に蘇ったという話は事実なのか?
しかし、人間が死からどうやって蘇るんだ? ただの幽霊じゃないかという疑問が僕のなかには存在していた。
節奈ママは話を続けた。
「節雄はね、勉強もサッカーも人より少し遅れていたの。母親として節雄の将来が心配だったわ。でも私はラウンジの仕事が忙しくて、どうすることもできない。
節雄は、初めて手を組んでお祈りしたとき、暗闇の向こうから一筋の細い光が見えたと言っていたわ。糸のように細いけど、確かな輝きのある光。
僕は、その光に従っていこうと思ったと決心したと言ってたのが、妙に印象に残ったの」
なるほど。まるで絵に描いたようなきれいごとの世界だな。
しかし、僕はちょっぴり憧れでもあった。
節奈ママは、スナップ写真を机の上に置いた。
それは、僕に似た少年が右目のまわりに黒いアザをつくっている悲惨ともいえる写真だった。
「どうしたんですか。このひどいアザ、初めてみましたよ」
節奈ママが答えた。
「初め節雄に問いただしたとき、ただ転んだだけだと答えたけど、私には不自然だった。問いただしてみると、節雄は、公園で知り合った当時十七歳の無職の不良少年に、殴られたあとだったと涙ながらに言ったの」
僕は思わず尋ねた。
「その不良というのは、半グレと呼ばれる人ですか? まあ半グレの場合は組織化しているから、未成年に対してここまでひどいことはしないと思うけど」
節奈ママは答えた。
「いや、あとから警察から聞いたけど、組織などには属していない、孤立化したただの町の不良だったというわ。ただし両親は二人とも外国人だったらしいわ」
まあ、外国人が日本人と同様に、日本で生活していくのはある意味、困難である。
日本人以上に優秀な人もいれば、ほとんど日本語を話すことができず、極端にいえば数字すらも読めず、社会で活躍困難の人もいる。
「加害者少年は、小中学校とおとなしいいじめられっ子だったというわ。
定時制高校を中退して、バイトもすぐクビになり、いわゆる行き場のない少年だったらしいわ」
なるほど、行き場がない少年が、この島から転校してきた素朴な少年を世の中への恨みのターゲットにしたわけか。
節奈ママは、涙ぐみながら言った。
「節雄は島では、大人からもとても大切にされ、サッカーの好きな人気者。
小学校のときは、いつも学級委員だったのよ」
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