第2話
先生はアプリでマッチングした男と、日曜日にごはんを食べに行くことになったらしい。
相手の男には申し訳ないけど、先生はメッセージのやり取りとか全部見せてくる。
「上原さん、返事はこれでいいでしょうか」
『僕はビールばかり飲んでいますが、お酒は飲まれる方ですか?』
『いいえ』
「いや、塩すぎ! 〇×テストじゃないんだから!」
先生の返信はとても素っ気なく、相手がしょげてしまいそうなのでテンプレの返信を教える。
「『あまり飲みませんが飲み会の雰囲気は好きです』……これでいいでしょうか?」
「たった一言返すだけなのに、毎回こんな苦労するの凄くない?」
交際経験がなくても、普通はこれくらいある程度のコミュ力があればできると思う。先生友達いないって言っていたけど、なんか理由がわかった気がした。
☆
いよいよ明日が先生の初デートの日だ。あたしはコスメポーチからファンデを取り出し、椅子に座る先生を真正面から見つめる。今日はメイクを教えるからだ。
「……やば。先生、マジでスッピンじゃん」
「日焼け止めクリームは塗っていますよ。私はメイクとかお洒落は全くわからないので、やり方は上原さんに一任します」
いや、肌綺麗すぎない? 二十四歳でしょ? ファンデ要らないなんてあり得るの?
「……じゃあ、眼鏡とって」
サイズの合わない変な額縁の眼鏡を取った先生を見て、不覚にも目が離せなくなった。
丸くて大きな瞳に、綺麗に引かれた平行線の二重。鼻筋も薄めの唇もバランス良く配置されている、形の良い小顔。
今まで気づかなかった。いや、もしかしたらこの学校で知っている人はいないかも。
――先生が、とても美人だってこと。
「上原さん?」
呼びかけられてハッとする。思わず見入ってしまったなんて、自分でも信じられない。
「ご、ごめん。目瞑って」
従順に目を閉じた先生の肌に、薄く粉を塗る。アイシャドーで立体感を作って、瞼の際にアイラインを引くと一気に派手な印象を与えられる。睫毛が長いからビューラーが使いやすい。簡単に上がった睫毛にロングマスカラを塗ったら、完成だ。
「先生が一人でもできるように、なるべく簡単に仕上げてみた。先生の年齢とか雰囲気に合わせてメイクしたつもりなんだけど、どう?」
鏡を見た先生は、いつもと違う自分の雰囲気に戸惑いつつも満足しているようだった。
「これなら、相手の男性に喜んでもらえるでしょうか?」
普段とは違う、照れの入った声音。いつもの先生なら、絶対に言わないであろう言葉。
生徒に対して笑った顔なんて見せない先生が、いま、無防備に頬を緩めてる。
「ちょっと待って」
「なんですか?」
メイクを直すからという名目で、もっと見えるように先生に近づく。ロングマスカラはブラウンにして正解だった。虹彩の薄い先生の瞳を際立たせるように、睫毛は光を取り込んで透けていた。我ながらいいセンス。あたしは先生の柔らかそうな頬を撫でる。
「上原さん?」
「やっぱダメかも」
「え、メイク失敗しちゃったんですか?」
「ううん」
メイクは完璧だ。ダメなのはそっちじゃない。
「あたしが可愛くした先生を」
思ったことを正直に伝えたら、先生はどんな反応をするのだろう。
「他の男に見られるのが」
ゆっくり顔を近づけてみると、先生は少し体を引いて眉をひそめた。
「あたし、説明書とかも読まないタイプなんだよね」
「ダメです」
「『先生』だったらさ、生徒に教えてよ」
「誰かに見られたら大変です」
「別に、困るのは先生だけじゃん?」
「まだ解雇されたくありません」
「試してみても、いい?」
あたしのことが嫌だったら「ダメ」じゃなくて、「キライ」と言えばいいのに。そうじゃないとあたしは暴走する。この先を望んでもいいのかって、勘違いしてしまう。
先生の華奢な肩を押さえると、強張っていることが伝わってきた。
「先生、拒否んないの?」
「……困ったことに」
「うん」
「拒否する理由が“立場”しかなくて」
「つまり?」
「……人に見られなければいいのではないかと、思ってしまって」
他人に対して、こんな気持ちで我慢できなくなるって初めてだったかもしれない。
唇を近づける。やってみなくちゃわからないことだってあるし。
「う、上原さん。動かないでください」
「え、なんで⁉ ここまできてやっぱりダメとか、あんまりじゃ――」
完全に不意打ちだった。抗議する気満々のあたしの頬に、温かくて柔らかいものが触れた。
先生にメイクをしたとき、グロスを塗らなかったことを後悔する。頬に赤い跡を残せたら証拠になった。あとで鏡を見たときに、キスされたと実感できたのに。
「……年上がするものでしょう、こういうことは」
「年上ぶってるくせにキスはほっぺとか、子どもすぎるでしょ」
心臓が破裂しそうなくらいドキドキしてるあたしも、同じくらい子どもなんだけどさ。
「あ、あのさ、先生。明日……」
明日、デートに行ってほしくないって言いたかった。でも、「やってみなくちゃわからない」ってあたしだけ試しておきながら、先生にダメとは言えなかった。
「……デート、頑張ってね」
上手く表情を作れていたかはわからない。あたしは自分のモヤモヤを隠しながら、先生のいつもと違う華やかな目元を見ていた。
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