ねえ、先生。あたしのこと、好きになってよ。 ~恋を知らないギャル、地味教師にオトされる~

日日綴郎

第1話

「ちょっとネカマしたら永遠に語り継がれるとか、黒歴史すぎてかわいそー」

「上原さんは今日の補習の理解が足りていないようですね」


 先生の言う通り、あたしは今日の補習でやった『土佐日記』をよくわかっていない。かな文字は女が使うものだから女のフリをして書いたとか、紀貫之謎すぎてウケる、くらいにしか思ってないし 。


「作者って偉い人なんでしょ? やっぱストレス溜まるのかな」

「まさか、ストレス発散のために女性のフリをしたと解釈しているのですか?」

「違うの?」

「明日もう一度復習しましょう。さすがに紀貫之が不憫なので」


 放課後の教室にはあたしと先生しかいなくて、課題を提出し終えたタブレットはすでに電源を切って机に置いてある。今日の補習はもう終わったけど、親友の涼香ともちょっと違う先生との距離感がなんだか心地よくて、どうでもいい会話で時間を潰していた。


 だから、質問に深い意味はなかった。

 赤点をとったせいでこれから一週間マンツーマンで補習を受けるわけだし、先生は新卒二年目で歳も近い方だし、仲良くしておこうかなって。まあ、ちょっとしたコミュニケーションの一環だった。

 

「ねえ。先生って彼氏いるの?」

「いいえ。私、人を好きになる気持ちがよくわからなくて 」

「……え?」


 先生は言いよどむことももったいぶることもなく、淡々と答えた。

 皆から「何を考えているのかわからない」と言われている温度のない瞳の奥からは、嘘や誇張といった感情は読み取れなかった。……どうやら、本当の話みたいだ。


「何着持ってんの? 教育実習生?」とツッコミたくなるくらい、いつも同じグレーのスカートに白いブラウス。遊び心もなく、一度も染めたことのなさそうな一つに括られている黒髪。

 真面目な性格とその容姿が相まって、先生は『地味でつまらない古典教師』として生徒から揶揄され、ナメられている。そんな先生は今まで、恋愛したことがない?


 思いもしない形で見つけた同族に、あたしは言葉を続けられずにいた。

 同感、共感、親近感。どういう単語を当てはめていいのかわからない。だって、根本的には同じなんだけど、同意するのは少し違うと思ったから。


 恋愛経験がないって言うと、高二のあたしですら「まだなの?」みたいな、ちょっと見下される空気になる。だから皆嘘をつく。好きな人がいる。彼氏がいる。セックスの経験がある。プレゼントに何を貰った――それがステータスの一つっていうか、羨ましがられる要素になるから。


「……っていうか、そんなプライベートなこと普通生徒に言う?」

「上原さんが質問してきたんじゃないですか」

「いやそーなんだけど」

「生徒の質問にはできるだけ答えたいと思っているので」

「だからってさ……」


 雑談目的の生徒の質問なんて、嘘ついて適当に流せばよかったのに。薄っぺらい見栄すら張れないなんて、大人として隙がありすぎる。そんな不器用で誠実な人、見たことない。


 だからあたしに同情される。だからあたしに付け込まれる。


「……実は、あたしも。好きになる気持ちって、よくわかんないんだよね」


 誰にも言ったことのないあたしの告白に対して、先生は少し驚いているようだった。


「意外ですね。上原さんは綺麗で目立つ容姿をしていますし、人気がありそうなのに」

「まあ、モテるのは否定しないけど。でもだからこそ、人の好意を素直に受け取れない自分が嫌になるっていうか」

「なるほど……とても真面目なんですね。評価を改めないといけません」

「いいよ別に。外見で判断されるのは慣れっこだし」


 スカートを短くしたり派手な格好をしたりするのは、あたしが好きでやっていることだ。それなのに「ギャルでしょ?」と中身まで一括りにされて決めつけられるのは、しょっちゅうだ。

 ギャルとかオタクとか教師とか、属性に対する偏見って結構皆持ってるっぽくない?


「ねえ、先生はあたしと違って結婚とかも意識しないといけない歳じゃん? 彼氏いないのって焦らない?」

「焦りません。……ですが、親がなんとかしようと動き始めているので困っています」


 友達は彼氏がいるって話をすると親が反対してくるからウザいって言うけど、適齢期になると親も真逆の反応になるのか。……なんか、納得いかない。


「先生はさー、今まで出会いが少なかっただけかもじゃん? マッチングアプリとかはやったことないの?」

「ま、マッチ……? なんです? それ?」

「え、そこから? ……ねえ、先生が恋愛できるように、あたし応援するよ。だからさ、恋する気持ちがわかったらあたしにも教えてくれない?」


 もし先生に好きな人ができたら、たくさん話を聞きたい。あたしも人を好きになれる方法が知りたいし。ちょっと打算的だけど、先生にとってもマイナスにはならないんだし、いいよね?


「とても難しい気がしますが……生徒から教えてと言われたら、やらないわけにはいかないですね」

「さっすが先生! 頼りにしてる♡」


 立場を利用したあたしのズルいお願いを、先生は評判通りの生真面目さで引き受けてくれた。


 学校の先生と秘密を共有しているっていう特別感? 新しいことを始める前の好奇心? うーん、なんだか上手く表現できない。


 あたしの胸の中は知らない名前の絵具をぜんぶ混ぜてみたような、見たことのない色が広がっていた。

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