第39話 貞操の危機


「違う!」


 焦りから、声を張り上げて否定した。

 そんな俺を冷やかすようなカゼマルの視線に、背筋がゾクっとした。


「よし! 決まりだな。よーしよしよし。それじゃあ簡単だ。俺の魔法でおまえに惚れさせてやるよ。何なら、この場で犯しちゃいなよ。それで女もおまえもハッピーだ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺はこいつに殴りかかっていた。

 だが虚しくも返り討ちにされて、吹き飛ばされてしまう。


 それでも俺は、すぐさまやつに突っ込んでいき、再び拳を振るう。

 悔しいが返り討ちに会い、壁に激突した。

 その俺の腹に、追い打ちの蹴りが飛んでくる。


「うがー!」


 腹を足で踏みつけながら、カゼマルがニヤニヤした顔で俺を見下ろした。


「がははは! おまえ、まさかとは思うが。魔王のくせにアレか? まさかまさか。おいおいおいおい。ははは、まさかとは思うが……アレなのか?」


 言いながら、カゼマルが足の裏をさらに俺の腹へめり込ませてくる。


「があああぁぁぁあああああ!」


 痛みと苦しみが腹の奥から込み上げ、口から血反吐が出た。


「童貞か?」

「死ね、クソが!」


 カゼマルが足をどけた後、その足で俺の横顔を蹴り飛ばした。

 全身の力が抜けて、身動きが取れない。


「冗談きついぜ。魔王様ともあろうお方が童貞とか。さすがにそれじゃ恰好つかんだろう」


 あきれ顔で、転がる俺の元へと歩いてくる。

 そして顔を近づけてきて、耳打ちしてきた。


「知ってる? 一発ヤレば自信がついて、女にもモテるようになるんだぞ。ほら、ちょうど惚れてる女を犯すチャンスなんだぜ。初めてってことは、俺とおまえの秘密にしておいてやるからよ」


 こいつのクソったれな言葉に反吐が出る。

 殴り飛ばしたいのに、体がいうことをきかない。

 ただ、睨み返すことしかできない。


「はぁ、これだから童貞は……。仕方ねぇなあ。俺がやり方を実演してやるから、しっかり見ておけよ」


 カゼマルが横たわるレイナックへと向かっていく。


 こいつ、絶対に許さん!

 くそ!

 なんで俺の足が動かない!

 這ってでもやつを止めねば!


 手で床を這いずり、やつの足にしがみつく。

 しかし顔を蹴り飛ばされ、地面に転がされた。


 カゼマルはレイナックの前に立つと、彼女に手のひらを向けた。


「まだガキくせぇが、なかなか整った顔じゃねえの。たまにはこんな女も悪くねえかなあ。がははは!」


 やつの手のひらから放たれた赤い光が、レイナックの体に流れ込む。


「や、やめ……」


 声を出すと、口から血が吐き出された。

 そんな俺を見ながら、やつがレイナックの上半身を腕で抱き起こし、嫌らしく笑みを垂れる。


「ほうら。これでこの女は感度ビンビン。全身性感帯だ」


 反吐が出るような台詞を口にし、レイナックの首筋を人差し指でなぞる。

 彼女の体が、ビクッビクッと痙攣しだした。


「な、便利だろ。俺の色欲魔法。誰の肉棒だろうが、欲しくて欲しくてたまらない体になっちまうのさ。ほうれほれほれ」


 そう言ってカゼマルが、レイナックの腕や胸を指でつつく。そのたびに彼女の体が反応していた。


「はーい、それじゃあ本番入りまーす。よぉおおく見ておけよぉ童貞君! 大先輩の俺様が女を喜ばせる手ほどきを、しっかり見せてやるからな」


 カゼマルが舌を出して上下に動かし、レイナックの唇に近づけていく。

 それを見た瞬間、俺はキレた。


 意識がぷっつり途切れて、時間が飛んだような感覚だった。





 気付いたら俺は、レイナックの側に立っていた。カゼマルの姿が見えない。

 どうやったか自分でも覚えていないが、右こぶしに感触が残っている。


 カゼマルを殴り飛ばしたのか。


 グレインが麻薬漬けのレイナックを連れてきたときと同じだ。

 あのときも意識は途切れ、気が付くと倒れているグレインを見下ろしていた。

 そういえばあのとき意識が戻ったのは、レイナックのおかげだった。彼女が放つ暖かい光を感じ取り、そのおかげで意識を取り戻したのだ。


 そして今、あのときと同じ暖かさを感じる。


 自分の体をよく見ると、黄金の光が包み込んでいた。

 幼いころ、魔獣どもに追われて死にかけていた俺を助けてくれたのも、この光だった。


 しばらくして、俺の背中にぬくもりを感じた。

 この暖かい感覚はレイナックか。

 彼女が今、俺の背中に身を寄せているようだ。


「タロウ……さん……」


 背中からレイナックの声がした。

 しかも、俺の名前を。

 まさか彼女は、俺の正体に気付いているのか。


 振り返ると、レイナックがうつろな目で俺を見つめていた。

 この目、はっきり意識があるわけじゃない?


「人違いだ。俺はタロウという者ではない」


 そう言うとレイナックは悲し気に微笑み、うつむいた。

 俺にしがみつき、立っているのもやっとといった感じだ。


「そう……ですよね。ごめんなさいです。あなたに似た人がいて、いつも私を守ってくれて……笑わせてくれて、優しくしてくれて。もしかしたら、あの日の魔族の男の子が、私に会うために来てくれたのかもって……期待して。もしそうなら、嬉しいなって」


 息を荒くし、途切れ途切れな声でレイナックがつぶやいた。


 そうだよ。君に会いに来たんだ。

 彼女にそう伝えてしまいたかった。


 だが俺は、彼女の言葉を黙って聞くしかなかった。

 魔族と人間の恋は、悲劇しか生まない。歴史がそう証明している。


 そのくせ会いに来てしまったのは俺の罪か。

 でも俺はただ、側で君を守ってあげたかっただけなんだ。


「そんなはず、ありませんよね。あのときの男の子は魔族で、タロウさんは人間。そんなはずない」


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