第19話 ほほ笑む姫


 怒りと暴力に身を任せていたという意識だけはあった。


 襲ってくるやつらを殴り飛ばす感触がとても快感だった。

 たぶん、魔王の血が俺をそうさせたのだと思う。


 戦っている最中は怒りの理由なんて忘れていて、もはや暴れることそのものが目的になっていた気がした。

 だが、やつらを殴り飛ばしながらも、なぜか殺すことを躊躇している感覚もあった。


 暴挙の限りを尽くしたい感情と、それを思いとどまる正体不明の感情が体内を駆け巡り、熱くてたまらなかった。

 浅い意識の中で、目の前に起こっているのが他人事のように思えていた。

 暴れている自分を、もう一人の自分が俯瞰で見ているような感覚だ。


 そして暴れている自分が何をしたいのか、客観的に考えていた。

 躊躇しているのは、たぶんレイナックの影響だと思われた。


 なぜか彼女は、人間だけでなく魔族の命も平等に図ろうとする。

 どちらが死ぬのも、悲しい目に合うのも嫌なのだ。

 人間と魔族が分かり合える日がくると、彼女は本気で信じていた。


 だから俺がこの場で誰も殺せていないのは、レイナックの意思なんじゃないか。

 そんな気がした。


 気が付くと俺は、壁にもたれてうなだれているグレインを見下ろしていた。

 俺が目の前に立っているのに気づき、グレインが顔を上げた。


 恐怖にゆがんだ、なんとも情けない顔をしている。

 どこか哀れに思ったが、レイナックに対して行ったことを思い出すと、再び怒りに震えた。


 この男だけは許すことができない。

 とどめを刺すべく右手に握る大鎌を持ち上げて、振り下ろした。


 だが、この期に及んで、俺は首の寸前で鎌を止めてしまった。

 殺すことを、俺は悪だとも正義だとも思っていない。


 殺さねばならないやつは絶対に存在する。こいつもその一人だと思っている。

 殺したいのに殺せない。


 しばらく身動きができず、あたりを静寂が包んだ。

 そのときだった。


 暖かい何かが背中に触れた。

 この感じには覚えがある。


 俺が初めてレイナックと出会ったあの日。

 彼女が放つ不思議な光に包まれたときの、心が安らいで気持ちが落ち着いていく感覚だ。


 振り返ると、レイナックが涙を流しながら微笑んでいた。

 目はうつろなままだが、彼女の心に微かな意識が残されている気がした。


 こんなやつでも、殺すなってことなのか?


 微笑む彼女の頬を手で撫でてから、俺は詠唱する。


解毒エーテルパージ


 力を失ったように倒れこむ彼女の体を腕で支える。

 俺は右手の大鎌を床に落とし、両手でレイナックを抱えた。


 床にずるずると崩れて横たわるグレインから背中を向け、魔王の間の出口へと向かう。

 その出口の前でグレインの部下たちが、後ずさりしながら構えていた。


「どけ……殺すぞ」

「ひ!」


 小さな悲鳴をあげて、グレインの部下たちが道を開ける。


「おまえら。まだ立てるやつは倒れてる連中の手当てをしてやれ。それが終わったら……ヴァディーゲ、アリエル。こいつら全員を城からつまみ出せ」


 呆然と様子を見ていたその場の全員に指示をしてから、俺は姫を抱えて魔王の間から出ていった。


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