第17話 供物の姫


 魔王城に戻ると、ヴァディーゲと四天王のアリエルが出迎えた。


「グレインという魔王は、もう来ているのか?」

「いえ、しかしもうすぐ到着する頃でしょう」


 アリエルが淡々とした口調で答える。


 どうやら急ぎすぎて、俺のほうが早く到着したらしい。

 グレインたちを出迎えるためにアリエルを魔王城の入口へと残し、ヴァディーゲとともに魔王の間へと向かう。


「ヴァディーゲ。グレインは我が城に向かっているのだろう。物見のものを向かわせ、やつらの場所を確認させろ」

「すでに向かわせて確認済みです、ぼっちゃま。間もなく到着する見込みとのことでございます」

「そうか。ところで、やけに城の中が静かすぎやしないか」

「そ、それがですね、ぼっちゃま。なぜかほとんどの者が出払ってまして。魔王城に残っているのは私とアリエル以外は能力の低い使い魔ばかりなのですよ」


 どういうことだ?


 四天王のうちの二人は休暇を取らせたから城にいないのは分かるが、他の幹部たちまでいないというのは少し妙だ。


 まあいい。

 今はそんなことより、レイナックの行方だ。


 魔王の間にて椅子に座り、グレインの到着を待つ。


 まずはグレインとベスケットに接点があるか、そこからだな。

 もし接点がなかったとしても、やつが以前貢ぎ物として連れてきた人間の女たちに魔界の麻薬が使われていたのは明らか。

 そしてベスケットが裏で魔族と取引しているという魔界の麻薬とも、関連性があるかもしれない。


 グレインはまだか。

 気持ちが焦ってしまい、居ても立っても居られない気持ちになる。

 しかし、落ち着かねば。


「タロウ様。グレイン様がお見えになりました」


 アリエルが報告してきた。


「やっと来たか、遅い! さっさとやつを通せ!」


 焦りから部下にあたってしまう。


「いや、すまん。つい苛立ってな」

「いえ、タロウ様。そのくらいの態度でいてくれたほうが、私も安心します」


 アリエル、どうもつかみどころがなくて扱いづらいな。


「グレイン殿を、魔王の間へ通してくれ」

「は!」


 そう言ってアリエルは部屋を出た。


 しばらくして、魔王の間にグレインが姿を見せた。

 以前より多くの兵を従えている。


 グレインを連れてきたアリエルは俺の左側に立ち、右側にはヴァディーゲが立っている。

 こちら側は俺を含めて三人だ。


 対してグレイン側はざっと見ても五十人くらいはいそうだ。

 おそらくどいつも、グレインの側近だろう。

 なかなか腕がたちそうな者もいる。


 先ほどから静かすぎる魔王城内とグレインの従えている部下の数。

 この状況、何となく意図が読めてきた気がするぞ。


「タロウ様、再び謁見の機会を与えていただき、ありがとうございます」


 相変わらず、細い目と長い口髭が胡散臭い。


「要件の前に、おまえに聞きたいことがある。以前、貢ぎ物として連れてきた女たち。あれに使われている麻薬についてだ」

「おお。タロウ様もあの麻薬に興味がおありですか。でしたら丁度良い。今回もあなた様のために貢ぎ物を用意いたしました」


 なんだ?

 前回、貢ぎ物などいらないと突き返したはずだぞ。この期に及んで、どんな貢ぎ物を?


 不安が押し寄せてくる。


 グレインの部下が魔王の間の外から、一人の女を連れてきた。

 うつろな表情でゾンビのように歩く、見知った女。


「前回は申し訳ございません。今回はタロウ様にもふさわしい、高貴な乙女を連れてまいりました。王族の血を引いた娘ですので内在する魔力も濃度が高く、きっとタロウ様のお口に合いますでしょう」


 目の前が真っ暗になった。


 レイナックが貢ぎ物?

 いったい何の冗談だ。


 俺は椅子から立ち上がり、レイナックのもとへと歩く。


「泣いている……」

「どうやら麻薬を投与する直前の、こやつの感情が反映されているようですな。人間によっては麻薬の効果で快楽以外の感覚が奪われたあとも、感情を持ち続ける者がおります。例えば誰かに思いを寄せていたという感情が強い場合、このようなことが起こるのですなぁ。普通は麻薬の快楽に逆らうことはできないものですが、こういう人間の感情はスパイスになります。さらに美味でございますよ、ふぇっふぇっふぇ」


 俺はレイナックに触れようとした。

 しかしグレインとその部下が、俺の行く手を阻む。


「タロウ様、まだあなたの答えを聞いておりませぬ。大事な商品ですので、以前のように解毒されて解放となると、こちらとしても損害を受けますから。交渉前はおさわり厳禁でございますよ、ふぇっふぇっふぇ。タロウ様、いかがです? わたくしの組織を、あなた様の傘下に加えていただけませんか」


 ああ、もうだめだ。

 耳障りな声に、俺の我慢は限界を超えた。


 いや、変わり果てたレイナックの姿を見たときから、すでに限界は超えていたんだ。


「くくく……」


 限界を超えると、どうやら込み上げるのは悲しみではなく笑いなのか。それは俺が魔王だからなのか。


「どうかなさいましたか、タロウ様」

「きさまら、生きて帰れると思うなよ……」


 暴力的な血が全身を巡るようだ。


「はて。今、なんと申されましたかな?」


 グレインが耳に手を添えて、小ばかにしたように言った。

 しばらくの沈黙の後、ヤツはやれやれといった感じで肩をすくめ、首を振る。


「こちらの兵の数を見て、慎重に言葉を選びなされよタロウ様。そちらはあなた様を合わせてもわずか三人」

「きさまら、我らダルゴス一族に戦争を仕掛ける気か? そんなことしてただで済むと思っているのか?」


 グレインの言葉に、アリエルが脅しをかけた。


「ふぇっふぇっふぇ。ご心配めさるな。あなた方三人を葬った後は、新たな魔王様の配下に加えていただける手筈になっております」

「そうか、ドランだな! あいつが手をまわして魔王城を手薄にしたのか。ぼっちゃま、これは反逆ですぞ!」


 ヴァディーゲが叫んでいる。


 言い争っている周りの様子は視界に入っていたが、俺はそのとき別のことを考えていた。

 なぜか、レイナックと初めて出会った十年前のことが脳裏に浮かんだのだ。


 まだまだ未熟だったころ。魔獣に追われて殺されそうになった俺は、彼女の不思議な力に助けられた。

 さらに彼女の小屋まで連れられて、傷の手当までしてもらった。

 なぜ俺を助けたのかと尋ねたら、寂しそうに見えたからと答えたんだ。


 俺はあのとき、全然寂しくなかった。

 別れの日に彼女が見せた、寂しそうな顔が今でも忘れられない。

 寂しいのはお前のほうだろ、そう思った。


 魔族の俺なんかを、初めての友達だと言った。そのことからも、孤独な日々を過ごしているのが分かった。

 そんな生活は、今でも続いている。


 王や王妃、兄や姉と会うことも叶わず、姫の小屋で過ごす日々。

 レイナックは家族に貢献することに、自分の存在価値を見出している。

 だからこそベスケットという下衆な男との縁談も、必死に笑顔を作って受け入れたのだろう。


 その末路がこれってわけだ。


 俺が惚れた、可憐で優しき人間の姫。

 それを守れず、このような目に合わせて。


 魔王は涙を流さない。

 ただ感情のままに、暴挙の限りを尽くすのみ!


「きさまらまとめて、血祭りにあげてくれる!」

「調子に乗るなよ、七光りのボンボンがぁ!」


 グレインの言葉が合図だったかのように、左右にいた魔族が俺めがけて剣を振り下ろしてきた。

 その剣が俺に触れるより前に右の魔族を左手で殴り飛ばし、そのまま回転力を加えて左の魔族を右のこぶしでぶん殴る。


 そこで、俺の意識は途切れた。


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