魔王の遺し物

透水

魔王の遺し物

俺の前に立ちはだかっているのは、さながら魔界の門……いや、魔王のいる部屋への入り口だ。待っていたとばかりに、自動ドアのごとく開くのがお決まりってもんだが、あいにくこいつはそんな高性能じゃない。ただの物置だからな。冷たすぎて痛む指と一緒に握りしめている鍵がないと、誰が行ってもドアの中身はおあずけだ。


 いつもの曇り空に、もっと墨を混ぜたような黒い雲。きっと今夜は雪になる。つまり今までで一番冷えるということだ。その寒い日を乗り切るためには、人類を堕落させる魔王の神器に頼るほかない。

 吐いた息は真っ白になったかと思うと、あっという間に消えた。昨日はこんなにはっきり見えなかった。やっぱり今日は雪だ。


 赤くなりかけている指先は、今にも小さな鍵を取り落としそうだ。手袋してこいよって話だが、まだ必要ないだろうと高をくくっていたので、あいつらは依然引き出しの奥に押し込まれてる。というより、引っ張り出す時間ももったいなく感じていたんだ。そんな暇があったら、さっさとこいつを出してしまおうと。自分の身を守るパーツも、何でも代償にしても構わないと思考まで麻痺させるこの神器、やはり魔王の産物だ。


 やっとのことで鍵を差し込み、左に回す。開かない。逆だった。こんな初歩的なことまで忘れさせるとは、俺はどれだけ神器に陶酔してるんだ。

 右に回して錠の外れる音を聞く。当然のように、自分の口の両端が持ち上がった。我ながら気持ち悪い。


 一対の扉の取っ手に両手をかけ、待たせたな魔王! と叫ばんばかりにかっこよく開け放つ。が、左の扉が途中で引っかかった。台無しだ。誰も見てないからいいけど。とりあえず全開にする必要はないので、大きく開いた右半分から中へ入った。


 扉の中に魔王はいない。代わりに魔王が残した道具が一つあるだけだ。実際には布団とかおもちゃとかが詰められてるけど、魔王が己の手を使わず、間接的に俺たち人間を陥れるための道具。その存在感は圧倒的だ。


 角の丸い正方形の薄い台に、四本の脚を内側に折りたたまれ、無駄に汚れたりしないよう透明な袋で包まれている物体。そいつは自分自身では何もできない。別にエネルギーを必要とするのだ。その供給のための一本の紐は長く、そいつにとって唯一の生命線であることを表すかのように、縞模様に染められている。


「まったく……。こんなやつに頼らなきゃならないなんて、俺たちも落ちたもんだな」


 袋の上から台をつかむと、手のひらから冷気が伝わり腕を駆け登った。なるほど、こいつは俺たちに使われるのを拒んでいるんだ。いや、これは俺たちに対する最後の問いかけだ。本当に自分を使う気なのか。今ならまだ引き返せる、しかし一度手を出せば春が来るまで自分を手放せなくなるぞ、と。


 そんなことはわかっている。鍵を手に扉と対峙した時から、背を向ける気なんてなかった。あの居心地の良さを知ってしまったら、もう後には引けない。

 もう一度しっかりと抱え直し、神器を持ち上げる。


「さあ来やがれ。俺の相棒がお待ちかねなんだ」




 あらかじめ作っておいた隙間に足先を突っ込み、思い切り横へスライドさせる。その挙動だけで、俺と神器が安心して通れるぐらいにふすまは開いてくれた。


「来たぜ相棒! せいぜい神器の虜になるんだな!」


 ベッドに神器を立てかけて袋を取ってる最中に、やっと相棒が出てきた。あくびなんかして、また寝てたのかこいつは。

 神器をセッティングするのは手間だが、猫の手も借りたいほどじゃない。相棒には邪魔にならないよう、その辺をうろうろしてもらうか寝ててくれればいい。だと言うのに、なんでこいつは妨害行動しかとってくれないんだ。


「あ! だからお前そこで寝るなって! 毛がつく!」


 寝床の上に畳んでおいた、神器必須オプションの専用布団。神器が封印された扉に向かう前に、これだけ先に持ってきておいたんだ。さっきまでどこかで寝てたくせに、神器を眠りから覚ます寸前になってこんなことしやがる。せめて最初ぐらい、きれいな状態で起動させてやりたいじゃないか。


 沈む布団の感触を面白がるように、むつむつと四本足で縦断し丸くなる。お前はコアラか。一日軽く二十時間は寝っぱなしっていう。

 とりあえず相棒は無視して、神器の脚を立たせて布団を乗せるためにテーブル部分を取っ払う。


「さあ相棒、お前はその布団だけで満足してるのか? まだまだこれからだぜ。神器にべったりだった去年……と今年もだな、そんなお前のダレ切った姿は忘れてないからな」


 布団の端を引っ張って揺らす。揺すられた相棒は面倒そうに俺のベッドに降り立った。台に布団をかぶせてテーブルでサンド。あとはスイッチを入れるだけ。

 外部からのエネルギー供給開始だ。壁のコンセントにプラグを挿す。これだけでは神器はうんともすんとも言わない。最後のロックが残っているんだ。それを解除しなければ、本当の力は発揮されない。


 ロック解除。すなわち神器が真に覚醒する瞬間。この目でとくと見届けてやろうじゃないか。


「来いよ相棒。一緒に目覚めの時を眺めようぜ」


 神器の存在を思い出したのか、そばに来ていた相棒を抱えて、まだ冷たい布団の内側へ潜り込んだ。真っ暗だ。うつ伏せは辛いので、仰向けになって真ん中辺りまで入っていく。神器の中枢が真上になってるはずだ。

 エネルギー供給ケーブルを手探りでたぐり寄せ、スイッチを手中に収めた。相棒は顔の脇で大人しくしている。


「よっしゃ、いくぜ相棒。この冬も神器の威力にひれ伏せよ」


 カチリと音がしてすぐ、低くて小さい稼動音が聞こえ始めた。完全起動にはまだ時間がかかる。この期に及んで、まだ本気で私にすがるつもりかと試しているみたいだ。


 目を閉じる。今しばらくは、歩く湯たんぽでもある相棒の体で暖を取るしかない。ふわふわの毛並みはくっついていなくても心地いい。というか相棒をこの中に入れておけばいいんじゃないかとも思ったが、さすがに一匹じゃ足りないだろう。五匹ぐらい詰め込んだら、神器はただの入れ物として置くだけでもいいかもしれない。


 ぐるぐるごろごろと聞こえてきて、俺は目を開けた。腹の調子が悪いわけじゃない。相棒が喉を鳴らし始めたんだ。しかし百聞は一見にしかずと言うべきか、俺の関心は視覚に全部持っていかれた。


「うお! きたぞ神器が!」


 網目の奥で、オレンジ色の光がぼんやりと灯っていた。カーペットと布団の内側を同じ色で照らしている。見た目にもあったかい。


「なんつーカッコで寝てんのよ、あんた」


 いつの間にか入ってきていたねえちゃんにそう言われても、俺の目は熱源に釘付けだ。


「寝てねーよ! 見物してんだよ、神器の封印解除の瞬間!」

「頭隠して尻隠さずって知ってる? ほれ」

「いって、ケツ蹴んなよ!」


 膝立ててたのにピンポイントで狙いやがって! そのままの格好で腹まで外に出て、布団をまくり上げながらおどかしてやろうと、腹筋に全力を込め上半身を起こした。が、盛大にへりに頭をぶつけた。頭がテーブルの外に出きっていなかったらしい。


「やーい、おばかさん」


 身動きもできない鈍痛を体感しては、笑い声とからかいに言い返す気力も出てこない。うずくまる俺をよそに、相棒はまだぐーるぐーると喉を鳴らす。のんきなもんだ。


「あ、雪降ってる」


 神器からはい出た俺を迎えたのは、ねえちゃんのさらなる冷やかしではなかった。視線を追えば窓の外、夜にはまだ早いのに点灯している街灯の明かりと、そこにちらつく小さくて白いもの。


「ほんとだ! 相棒、雪だ雪!」


 相棒を引っ張り出して、俺は窓にはりついた。風はないようで、雪ははらはらと舞い落ちてくる。


「まだ積もんなそうだけどなー。あ、おい」


 普段から抱かれるのが好きじゃない相棒だ。前足で胸を押してきたので、仕方なく放してやった。すると相棒は神器に直行する。さらに言えば、神器の布団にとっぷり浸かっているねえちゃんのそばへ。……ん?


「ねえちゃんなにちゃっかりあたってんだよ! ねえちゃんのは別にあるだろ!」

「だってお父さん、まだ出してくれないんだもん」


 相棒はそんなねえちゃんの脇から、もそもそと中へ侵入していく。なんか悔しい。


「あんたも入んなよ、あったかいよー」

「誰が用意したと思ってんだよ!」


 でも入る。誰でも神器の大いなる力の前には無力だ。

 布団を押し上げた途端に、温風が誘いかけてくる。負けた。この時点でもう負けた。


 足を突っ込めば、中央に陣取った相棒が寝そべっていた。こちらに腹を向けていたので、両足を軽く押しつけてみる。さすがは毛皮つき生体湯たんぽ、予想通りの弾力。眠りにいざなう喉鳴らしの振動つき。


「あったけー」

「みかんないの?」

「ねーよ」


 確かリビングにあった気もするが、今の俺には何を言っても無駄だ。神器の餌食になり果てた俺にはな。

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