013

 数分後。

 

「完全に眠ってやがる。睡眠薬入りのお茶、効いてるな」


「当然だ。俺が用意した即効性だぞ」


「さすがは慶太だぜ。オマエこういうことにまったく躊躇しなくなってきたよな」


 休憩室に、二人分の声が響く。

 京坂京は起きる気配がない。



 ……とでも、思い込んでいるのだろう。



 そうは問屋が卸さない。


 咄嗟の思い付きだったので少々手荒になってしまったけど、『違和感』の正体を探るためにボールペンを腕に刺して無理やり意識を明瞭にさせたのだ。


 故に自傷行為ではない、ということだけはご理解いただきたい。


 そんなこととはつゆ知らず、会話は続く。


 僕に薬を盛った目的はなんだ?


 まずはそれを知る必要がある。


「こんな冴えない野郎が、どうしてあの校内三大美女に気に入られてんだか、オレにはさっぱりわからないぜ」


「俺もさっぱりさ。だが、そのおかげで警戒心の強い三人を、こうしてスタジオに連れ込むことができたんだ。その点だけは感謝しないとな」


「そういやオレ、この前の秘蔵映像まだ見てねえんだけど」


「データはそこのノートPCに入っているぞ」


 片方は軽薄そうな男子生徒の声で、もう片方は六条先輩とおぼしき声だ。


「おほぉ、すっげえ」


「下品なやつだ。可愛い女の子の羞恥を楽しむのがこの動画の良さだろう」


「お前、こういう子たちをどうやって連れ込んでるんだ?」


「裏垢同士で繋がってるやつさ。撮影って名目で募集をかければ、承認欲求を満たしたい女がホイホイ湧いてくるんだよ」


「なるほどねぇ。んで、今回のターゲットはあの校内三大美女ってわけか」


 ……ターゲット?


「ああ。今までの女とは比べ物にならないほどの、上玉だけどな」


「ぎゃははっ。眠ってる間にひん剥いて、その高貴な身体とやらをたっぷりと楽しませてもらおうぜ。でも、まだ一滴もお茶を口にしてないんだろ、あの三人」


「次第にその警戒心も解けていくさ。そのために、身の回りの世話を麗良たちにやらせてるんだからな」


 ………………………………。


 ものの数分で、六条先輩の印象がガラリと音を立てて変わっていく。


「どのみちお前は今回、外回りだよ勇志」


「はぁ? な、なんで俺が」


「じゃんけんで決めたじゃないか」


「うへえ。忘れてた……。ここまできてそりゃねえぜ」


「まあそう言うな、地上の見回りだって重要な役目だ。それに4Kカメラで撮影すれば細部までしっかりと高画質で記録できる時代なんだ。あとで好きなだけ拝ませてやる」


「へへっ。それはそれでそそるもんがあんな」


「だろ」


「うし、なら行ってくるぜ」


「待て勇志。お前、外回りの役は初めてだったな?」


「おう」


「一から説明してやるからよく聞け。まず地上で何かあった時の連絡手段はLIENリアン電話を使え」


 勇志と呼ぶ男を呼び止めた六条先輩は、一呼吸置いたのちに説明を続ける。


「ここは地下だからワイファイでLIEN電話を使うことができてもキャリア電話は使えない」


 ……。


「体質によっては薬が効きにくい女もいるからな。万が一の事態に備えて一一〇番通報できないよう、地下のスタジオをレンタルしてるんだ」


 ……。


「出入り口には諌山を配置してるし、女が暴れて逃げ出そうとしても、まず大丈夫ってわけだ。全体像を把握しといた方がお前もスッキリするだろ?」


「はぇぇ。なるほどなぁ。用意周到なこって」


 確かによく練られている。


 六条先輩、いや六条の口ぶりから推察するに、きっとこの男は常習犯なのだろう。


 一刻も早く三人のもとへ駆け付けたいところだけど、もう少しだけ情報を引き出しておきたい。


 六条と勇志と呼ばれた男の会話は、現在進行形で『スマホで録音中』だ。


 僕はそのまま狸寝入りを続行する。

 

「ついでに、もう一個だけ聞かせてくれ。あの三人は警戒心が強いんだろ。眠ってる間にイタズラするにしても、その後バレないもんなのかね?」


 勇志と呼ばれた男が疑問を投げかけると、六条は鼻で笑った。


 その笑い方には、確かな自信が感じられる。


「その為に、人身御供ひとみごくうを用意したんだ。眠ってるそこの彼にすべてを押し付ければ、俺たちは労せずして美少女三人にイタズラし放題ってわけさ。麗良や万里香たちの証言も加われば、それこそ――彼の人生は破滅だな」


「ぎゃははっ、えっぐ。ホント、慶太って鬼畜だよな」


「おいおい、策士と呼んでくれよ」


 なるほど、今、すべての『違和感』の謎が解けた。


 そういうカラクリだったのか。


 電話が繋がらない地下のスタジオ。男女別々の休憩室。出入り口に立たせていたゴリラのような男。開封済みであることがわかる緩んだペットボトルのキャップ。


 そして、僕という生贄。


 勇志という男が部屋から退出し、この場に六条と二人だけになったところで、状況を整理した僕は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「ぜんぶ聞かせてもらいましたよ」


「ッ⁉」


 蘇った死人でも見たかのような声を上げ、六条はビクンと肩を震わせた。


「……ななな、なぜ起きている!? キミは睡眠薬で……眠ったはずだ!」


「痛かったですよ。ボールペンでぶすっとね、自分で腕を刺したわけですから」


 僕は持っていたボールペンをジャケットのポケットに戻しながら、ニヒルに微笑む。


「きょ、京坂くん……話せばわかる」


 もう遅い! 

 僕は長机の上に身を乗り出し、迷うことなく前進する。


 一歩、二歩、三歩。

 と助走をつけ、そのままの勢いで六条へと飛び掛かった。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「ぐわぁぁぁぁぁ……!!」


 とび蹴り(ライダーキック的なアレ)を受けた六条は悲鳴と共に椅子ごと後方へと倒れ込んだ。


 倒れた拍子に頭を強く打ち気絶したのか、そのまま動かなくなった六条を横目に、僕は会議室の扉を開く。


 ここは邪悪の巣窟だ。


 どす黒い陰謀が渦巻くこの場所から、三人を助け出さなければならない。


 今この瞬間が事実上の背水の陣になったことを認識しつつ、僕は更衣室の方へと駆け出す。スタジオの構造的に、更衣室は一番奥に配置されている。


 とにかく走れ。とにかく前へ。


 たくさんの視線を感じながら。


 その目がいつ牙を剥くかもわからない恐怖の中で、僕は目的の場所まで走った。


「みんな!」


「ちょ、ちょっとあなた。ここは女性以外立入禁止よ!」


「どけ」


 六条の協力者と思しき女狐たちの制止を振り切って、中へと踏み込む。


 更衣室のなかには、まさに今撮影用の衣装に着替え中の三人の姿があった。


 本来ならば、顔を背けて即座に退出すべきところなのだろうけど、そんな余裕はなかった。


 ……まずい!


「それを飲んじゃダメだ!!」


 今まさに、キャップを開けようとしている烏丸さんから、やや強引にペットボトルを奪い取り、床に投げ捨てる。


 ダンッ! と、鈍い音が鳴った。


 烏丸さんはもちろんのこと小野さんも醍醐さんも、何が起きたのかわからないといった様子で、唖然とした表情を浮かべている。


 当然の反応だ。


「ど、どうしたの京坂……? 怖い顔して」


 口許と胸部を手で隠しつつ、烏丸さんが不安げな声を漏らす。


「ごめん……みんな、よく聞いて。六条が用意した飲み物の中に睡眠薬が入っていた。この通りボールペンで腕を刺して、なんとか意識を保ってる状態なんだ……」


 ジャケットの袖をまくり黒ずんだ傷痕を見せると、三人は固まった。


「長居をするのは危険だ……詳しい事情は後で説明するから、僕を信じてついてきて欲しい」


 無茶苦茶なことを言ってる自覚はある。

 こんな説明でついてきてくれるはずが――


「オーケー、おけいはん。だいたい察した。キノコヘッドのクズがマジのゲスで、アタシらによからぬことシようとしてるって解釈で……ファイナルアンサー?」


「――え、あ。うん……ファイナルアンサー」


「京坂のこと信じるよ……でも、それが本当だとすると、怖いな……どうしよう」


「だ、大丈夫。落ち着いて行動すれば。僕がみんなを守るから」


 今にも泣き出しそうな烏丸さんを、励ますように説得する。


「うん、信じる……腕、痛かったよね?」


「ううん。これぐらい、なんてことないよ」


 僕は安心させるように笑ってみせた。


 その甲斐もあって、烏丸さんの瞳にも徐々に光が戻ってくる。


「私たちはどうしたらいい?」


「上まで走る。でしょ?」


 と、物わかりの良い醍醐さんが補足してくれた。


 流石だ。冷静かつ的確な判断である。


 って、いつまでみんなの下着姿を眺めてるんだ僕は!?


 三人に背を向け、ここから抜け出すイメージを膨らませる。


 とにもかくにも、地上へ出なければ、この危機を脱することも警察に通報することもできない。


 問題はこのスタジオの出入り口を塞いでいる、あの諌山というガタイのいい男だ。


 力技で強引に突破することはほぼ不可能。


 なるはやで身支度を整えた三人と一緒に更衣室を飛び出すと、「諌山ぁぁ……そいつらを止めろ!!」と叫ぶ六条の声が響いた。


 頭を押さえながら会議室から出てきたゲス野郎の最後の頼み綱は、やはりあの諌山という男らしい。


 スタジオ内がざわつく。


「京坂……」


「京坂くん」


「言ったでしょ。大丈夫、僕を信じてついてきて。正面突破する」


「お、おけいはん、あのゴリラみたいな男をどうやって突破するん?」


「任せて」


 僕はみんなの一歩前に進み出て、ゴリラ男を見据える。


「へへっ。なんだもやし野郎? この俺とやろうってのか?」


「あんたがパンチの打ち方を知ってるとは思えないけどね?」


「ぁん?」


「耳が悪いのかゴリラ野郎? 殴ってみろって言ってるんだ」


「こ……コロされてェのかテメエ!」


 安い挑発に、ゴリラ男の表情が苛立っているのは明らかだった。


「ごたくはいい」

 時間もない。


「来ないならこっちから行くぞ」


 僕は床を蹴り、一直線でゴリラ男に突進する。


「なめんなゴるぁッ!」


 拳を握り込み、大きく振りかぶってくる。


 速いな。だけど僕の方が速い。



 セシウム原子が九一億九二六三万一七七〇回振動するのに要する時間――

 およそ『一秒』の間に、僕の脳みそに膨大な量の情報が流れ込んでくる。



 小学一年生から中学一年生まで剣道を習っていた僕は、アナクロニズムな厳しい先生にみっちりとしごかれ、時代に逆行したスパルタ稽古を経験した。

 そんな道場だから、やめていく人の方が多かったのだけど、なかには剣道を本気でやりたいという子供もちらほらいて――僕も、剣道に打ち込んで、打ち込み続けて、気がついたときには、道場の中で誰よりも強くなっていた。


 全国大会でも結果を残せるようになった頃。


 母さんが他界したのを機に剣道はやめた。


 でも、先生の教えは今でも心の中に強く刻まれている。


『京よ。目を養え。相手の動作を読み、どこを狙ってどう打つべきかを常に考えろ』


 ――これは、その教えに従って導き出された答えだった。


 竹刀、またはそれに類するものを持たない丸腰の僕では、ゴリラ男と取っ組み合いになった瞬間に、確実に力負けしてしまう。


 なにせ僕は非力だ。

 だからパンチを打ってもらう必要があった。


 ポイントは拳を繰り出すときに踏み込む一歩。


 鍔迫り合いでぶつかる瞬間に相手を崩す要領で身体を当てれば、ゴリラ男は自らのモーションの勢いを殺しきれずにバランス感覚を失うだろう。


 そう踏んだ。


「なっ……あ!?」


 ゴリラ男は大きく前につんのめり、床へと派手に転倒する。


「走って!」


 僕がそう叫ぶと、みんなが一斉に走り出した。


「な、何やってんだ、諌山ぁぁぁぁぁあああ!!」


 そんな怒声が背後から聞こえたけど振り返らない。そして僕たちは地上まで全力疾走してスタジオを後にしたのだった。




 地上はまだ明るく青空が広がっていた。

 ビルの合間から覗く太陽に目を細めながら、僕は息を整える。


「……はぁ、はぁ、ごめん、みんな。謝らなければ……いけないことがたくさんあるんだけど、まずは息を……整えさせて」


 息が上がって、まともに喋れない。


 睡眠薬のせいで頭がぼおっとするし、全身が鉛のように重い。


 ようやく呼吸が落ち着いた僕は、三人に向かって頭を下げた。


 彼女たちを危険に晒してしまったから。

 僕が六条の話になんか乗ってなければ、こんな事態を招かずに済んだのに。


 本当に。本当に。

 申し訳ない気持ちでいっぱい、いっぱいだった。


 そんなことを思った矢先――三人は、目にいっぱい涙を溜めながら、僕に抱きついてきたのだった。



    *



 今回の事件の顛末について、僕から語れることはそう多くない。


 僕たち四人は交番に駆け込んで、スタジオで起こったことをすべて警察に通報した。


 眠ったふりをしながら六条の会話をスマホで録音していた僕は、その音声データを証拠として提出した。


 未遂ではあったものの女性三人を睡眠薬で眠らせていかがわしいことをしようとした、という動かぬ証拠。


 加えて、ものの数十分前に起こった出来事ということもあり、できるだけこと細かに状況を説明できたことが真実味を補強したのだろう。


 僕たちの訴えは無事に受理されて、六条とその取り巻きたちは洩れなく警察に身柄を確保された。


 ここからは裏話のようなものになるのだけど。


 六条の父親は、僕でも知っているような大手芸能プロダクションの社長だったらしく、やはり、ドラ息子でも刑務所には入れたくないと思ってしまうのが親心というものなのだろうか、三人に莫大な示談金を支払うことで話しがついたらしい。


 当初は『お金なんていらない』と、頑なに示談を拒んでいた三人であったが、ここでオトナの事情が働いた。


 それは、醍醐さんの存在だ。


 醍醐さんは京都で一、二を争うほどの名家の娘であるらしく、

 地元で名の知れたお嬢様が何かしらの事件に巻き込まれたということが公になるのを避けるため、最終的には示談金の受け取りに応じたという。


 烏丸さんも小野さんも異論はなかったそうだ。なんとも、友達想いな行動だ。


 僕は正直、釈然としていない。


 お金で解決できてしまう問題なだけに、こういった事例は後を絶たないのではないかと。


 六条の余罪もすべて執行猶予という形で闇に葬り去られて、これからも同じようなことが繰り返されるのではないか、と。


 ともあれ、六条慶太とその取り巻きたちは退学処分となり。


 沓涼高生たちは何かしらの憶測や噂話を交えながらも、それが校内三大美女を狙ったものだという真実に気づくことなく、事件は終幕を迎えたのだった。


 諸々の事後処理が済んだあと、僕はというと――。


 あれ以来、三人との距離が縮まって、よく話すようになった。


 放課後、遊びに誘われることも多くなったのだけど。

 やはり僕の根底にあるのは、あかりを大学に行かせてあげたいという、なによりも優先すべき目標だ。


 バイト、バイト、バイト。


 勉強に励むのは元より、僕の日常にそれ以外の項目はほとんど組み込まれていない。


 だから三人に対して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのだけど、どうしても誘いを断らないといけない場面が多々あった。

 それが、ただただ申し訳なかった。



 今も昔も、不器用な人生。

 だけど、少しずつ変わってきた部分もある。


 こんな僕にも、手を差し伸ばしてくれる人たちが、現れたのだから。



あとがき

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ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

嬉しいです。

下記は本書のページの告知となります。

https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024062002

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