012

 広さ一〇〇平方メートルほどのレンタルスタジオに到着したのは正午過ぎ。


 地下へと続く階段を、小野さんの先導で下りていき、廊下を進んだ先の広々としたスペースに出る。


 フローリング張りの床。

 壁には大きなパネルミラーが横一面に設置されていて、三脚のカメラが何台も立っている。


 スタジオにはすでに六条先輩と、関係者と思われる十数人の姿があった。その中には女性も何名かいて、和気藹々とした雰囲気を醸し出している。


 ここが陽キャの巣窟か。


 僕たちがやってきたことにいち早く気づいた六条先輩が、手をあげた。


「やあ、みんな。よく来てくれたね」


「今日一日お世話になります、六条先輩」


「アタシら長話をしに来たワケじゃないんで、さっさと終わらせましょう」


 小野さんがぶっきらぼうに言い放つ。


「そうだね。キミたちの時間を俺が独占するのは申し訳なくもあるし、早速始めようか」


 六条先輩が僕たち四人を手招きする。

 彼に促されるままスタジオに入り、どういうふうに撮影を進めていくのか、段取りと決まり事を詳しく教えてもらう。



 詳細のその一。

 今回の撮影では、更衣室をメイクルームに見立てているらしく、そちらは女性以外立ち入り禁止とのことらしい。つまり、お化粧直しなど、三人のお世話をするのは六条先輩が招集した女性スタッフの方々ということになる。

 配慮が行き届いてるな、と、ちょっぴり感心。


 詳細その二。

 逆に男性陣は、スタジオの一番端っこにある扉から出入り可能な会議室を休憩ルームにしていて、水分補給など、自由に使用して構わないそうだ。


 詳細その三。

 撮影は三回に分けて行うらしい。初回である一回目の撮影がお昼過ぎに開始で、休憩を挟み、午後二時から二回目、午後三時から三回目を撮る予定になっているようだ。

 休憩の間にお昼ご飯を摂ることもできるし、着替えやメイク直しの時間に当てられてるとのこと。


 昼集合の夕方解散で報酬が五万円。破格だ。

 今日の献立は節約飯ではなく、すき焼きにして、父さんとあかりにうんと美味しいものを食べさせてあげよう。と、そう思った。


 詳細その四。

 スタジオのセッティングや備品の管理は六条先輩が責任を持って行い、僕たちは一切ノータッチでいくという取り決めになっている。


 

 六条先輩は、これらのルールを僕たち四人に教え終えると、壁際に設置されたパイプ椅子に腰掛けた。


「何か質問はあるかな?」


「撮影にそんな時間をかけるヒツヨーってあります?」


「司ちゃんは素人だから、わからないんだね。モデルの良さを十全に引き出す写真を撮るのには、かなりの時間を要する。俺はプロとして、この撮影に時間をかけるのは道理であると考えているよ」


 モデルの良さ。

 果たしてそれは、被写体の魅力によって生まれるものなのだろうか、あるいはカメラマンの腕によって生まれるものなのか。そもそもこの人はプロなのか?


 とそんな疑問が脳裏に浮かんだけれど、口にはしない。


 僕のような正真正銘の素人が口を挟んでいいような話題ではないし、きっと彼はプロとしての自負があるのだろうから。


「ま、理由があるならソレでいいです」


「そう言ってもらえてなによりだ」


 小野さんが納得し、六条先輩が満足気に頷いた。


「さて、ではこれから撮影を始めたいと思う。京坂くんは俺についてくれ」


「はい」


「三人はメイクルームで準備を。今のままでも十分に可愛いから、軽く調整してくれればそれでいい」


「メイクルームはこちらでーす。どうぞー」


 女性スタッフが三人をメイクルームへと案内する。

 

 僕はというと、六条先輩の指示通り、彼の後についていった。


「あの、先輩。あそこに立ってる人は何をしてるんですか?」


「ん? ああ、諌山のことか」


 スタジオの出入り口に突っ立っている、大柄な男子。ゴリラみたい。

 多分、沓涼高の三年生だと思う。


 筋骨隆々の身体にスポーツ刈りという威圧的な風貌で、じっと腕組みをしながらスタジオ内を睨みつけているその姿に、僕はちょっとした違和感を抱いた。


「ほら、最近は物騒なニュースも多いだろう? そんなわけで出入り口に用心棒として立たせているんだ」


 確かに、そんなニュースを見たかもしれない。


 若者が時計屋を襲って金品を強奪したり、教師が女子生徒を盗撮して脅迫したり、現実味を帯びない事件が立て続けに発生している。


 物騒な世の中だ。


 だけど、このスタジオ内でそんな危険な事態が起こり得るのだろうか?


 そんな僕の疑問を見抜いたかのように、六条先輩は言葉を続けた。


「万が一ってこともあるからね。もし不審者が入ってきたら、諌山が容赦なく取り押さえてくれる。やつにはあのガタイと格闘技経験もあるからね」


「なるほど。わかりました」

 

 そんなこんなで撮影は順調に進んでいき、一度目の撮影が無事終了。

 

 手始めに、烏丸さん、小野さん、醍醐さんの3ショットが撮られた。


 三人とも本職のモデルさんのような、自然な表情とポーズを瞬時にとっていたように思う。


 途中、烏丸さんがマスクを外すか外さないかで十分ほど揉めたけど、絶対に外さないという本人の強い意志を尊重して、そのまま続行。


 僕はスタジオの隅で機材を運びながら、彼女たちの姿を眺めていた。


 写真はどういう風に仕上がるのだろうか、とか、素朴な疑問を抱きながら。


 それからしばらくして、休憩時間に入る。


「京坂くん、少しいいかな?」


 三人の姿を遠目に眺めていた僕に、六条先輩が声をかけてきた。


「休憩が終わり次第、司ちゃんたちには撮影用の衣装に着替えてもらう予定だ。女の子の着替えは長いものだからね、その間に少し打ち合わせでもしようか」


「わかりました」


 機材の片付けを他の人に任せて、僕は六条先輩と共に会議室へと場所を移す。


 折りたたみ式の長テーブル。パイプ椅子が八脚。


 テーブルの上には、お菓子やペットボトルのお茶が用意されていて、完全に休憩所として活用できる様相を呈している。


「打ち合わせって、何についてですか?」


 僕はパイプ椅子に腰を下ろし、向かい側に座った六条先輩に話しかけた。


「まあ、その前に一息ついた方がいい。お茶でも飲みなよ」


「ありがとうございます。いただきます」


 緑のラベルのペットボトルを受け取る。


 キャップを捻り、緑茶を喉に流し込む。ん?


 ただそれだけの動作に、自分でも不思議なぐらい『違和感』をおぼえた。


「次の段取りなんだけど、今度は俺を含めた四人で撮影するから」


「あ、すみません、少しお待ちを」


 僕はジャケットの内ポケットに忍ばせておいたボールペンとメモ帳を机の上に置く。

 

 六条先輩は僕が急にメモを取る姿勢をとったことに驚いたようで、苦笑を浮かべた。


「アナログだね。スマホでメモを取ればいいのに」


「スマホは便利ですけど、手書きの方がしっくりくるので」


「まあいい。それじゃあ次の段取りについてだけれど――」


 十数分ほど、打ち合わせが続き。


「おや、どうしたんだい京坂くん? 目がトロンとしてるよ?」


「え……あ、すいません」


 六条先輩が指摘された僕は慌てて目を擦り、口元を拭った。


 意識に霞がかかっているような気がする。


 そんなことを考えている間にも、僕の身体は、テーブルに突っ伏す寸前にまで傾いていって……。


「どうやらお疲れモードみたいだね。あの三人には俺の方から伝えておくから、京坂くんは少し休むといい」


「待っ……」


 待ってください。


 その言葉を口にする前に、六条先輩は椅子から立ち上がり、会議室から出て行ってしまった。


 なんだ、これ。


 六条先輩からもらった緑茶を飲んだ直後から、少しずつ意識が曖昧になっている気がする。嫌な予感がする。


 ずっと引っかかっていた『違和感』が、ここに来て急速に膨れ上がっていく。


 このまま眠ってしまうのは、駄目だ。


 眠ってしまうわけにはいかない。


 いけないんだ……けど……。


 身体から力が抜けていき、瞼を開けていられなくなっていき……。


 抵抗できない強烈な眠気に襲われた僕は、そのままテーブルに突っ伏した状態で瞼を閉じたのだった。


 意識を手放す直前。


 右手に握ったボールペンの感触だけが、僕を現実に繋ぎ止める命綱のように思えた。

 


あとがき

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ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

嬉しいです。

下記は本書のページの告知となります。

https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024062002

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