008

 居抜き物件という言葉がある。

 

 家具や設備などの内装を、前の借主からそのまま引き継いで使用することができる物件のことだ。

 

 京都市伏見区の一等地に建つ、この3LDKのマンションの一室もそう。


 もともとマンガ界の巨匠・小野まち子先生の『仕事場』として使用されていたこの部屋は、まさに居抜き物件であり、当時の趣を残したままリノベーションされている。


 そして現在、その住居は彼女の一人娘である小野司に譲られ、烏丸千景、醍醐桜子を加えた三人の共同作業場と化していた。


「はぁ。最近、成長が止まり気味でさ。これって、Dの意志なのかな」


「どしたん急に? 修行パートにでも凸るん?」


「なお千景は、今年の定期健康診断が憂鬱なもよう」


「あーね。そもそもテン下げ案件じゃんあれ。オジサンの前で着脱するイベントとか、マジで羞恥プレイだし。てか、Dカップもあればジューブンじゃね?」


「まだ足りない。もうちょっとだけ欲しいよね」


「万年Aカップのアタシにケンカ売ってます?」


「べつに……そうは言ってないけど、Fぐらいはあっても困らないかなって」


「わたしはIカップ。圧倒的格差」


「桜子のは立派だよね。でも私だってDで美声もあるから。このナカで一番魅力がないのは司かなぁ」


「なんでアタシだけパラメーター低いみたいな流れになってるわけ!?」


 三人はトライアングル状にテーブルをくっつけて、とりとめもない雑談に花を咲かせている。

 各々、作業に着手しながら。


「京坂くんは巨乳派だと思う」


「んー、……京坂は美乳派じゃないかな?」


「そっかな。おけいはんってツルペタぐらいがちょうどいいってカオしてんじゃん」


「「それはない」」


「アレ? ここアタシの家のハズだよね? いつのまにホームがアウェイになったん?」


 彼女たちが手掛けているのは、音声作品だったり、ギャルゲーだったり、同人誌だったりと、多岐に及ぶ。

 

 様々なプラットフォームで配信されている、Vチューバーの動画作成なども手掛けており、同人サークル『メロウ』は、その業界では、かなり名の知れた存在だ。


 全員が高校生であるにもかかわらず、すでに多額の収入を得ていることから、大学受験に怯えることもない。


 その気になれば、一生遊んで暮らせるだけのお金は稼いでいる天才少女たち。



・ボイス担当の烏丸千景。

 主な活動はASMR、Vチューバー中の人、自作ゲームの声優。


・イラスト担当の小野司。

 主な活動はジャケ作成、キャラデザイン、自作ゲームの作監。


・シナリオ担当の醍醐桜子。

 主な活動はASMRと配信の台本、自作ゲームのシナリオ。


  

 三者三様にそれぞれ得意な分野があり、またサークル外では『プロ』としても活動しているため、そんな三人が集まったのなら作業が捗らないはずがない。


 隙のない役割分担で着々とプロジェクトを進めていくその様は、まさしく神がかっていると言えた。


 時に罵り合い、喧嘩をすることもあるが、なんだかんだで幼稚園の頃からの仲。口では文句を垂れ流しながらも、根底に流れる感情は『親愛』である。


 共同作業はもはや生活の一部ともいえるほどに定着していた。


 平日の放課後は、ほぼ毎日、こうして三人顔を突き合わせているほどだ。


 もっとも、今、彼女たちの話題の中心に挙がっているのは――クラスメイトの京坂京のことである。


「つーか桜子が男子にキョーミを持つって珍しくね?」


 司が、ペンをくるっと回しながら、桜子に尋ねる。


「それは司も一緒。司だって異性に興味がないはず」


「まあねー。でもおけいはんは別かな。ヘンテコだけど可愛いじゃん」


「ん? 京坂って割と普通じゃない? 司の方が変だと思うけど」


「千景に同意」


「なんか二人とも、今日は辛辣じゃね? 前世でアタシに親でも殺されたん?」


 司は不満げに、鼻を鳴らす。


「千景、ボイス台本のデータ送っといた。司は早くジャケットのイラスト描いて」


「了解だよ」


「スルーきたあ! てか、イラストはこの前ラフあげたじゃんか」


「ラフに問題はない。千景が不満そうなことを除けば」


「んー、デザインは好みなんだけどね。マスクがないと、しまりがないっていうか。できれば顔半分は隠しておきたいかな」


「それだと前と似たようなイラストになるじゃん? マスクは目許しか映らないから表情描き分けるのがメンドーなんだって」


 司は不満を垂れながらも、液タブにペンを走らせる。


「レイヤーオンオフで対処して。千景は主観が入りそうだし、最後はわたしが二種類の表情を見て、決める」


 醍醐桜子は、常に冷静沈着。そして合理的だ。

 

 ラフだけならともかく、マスクのあるパターンとマスクのないパターンの着彩を平然と要求するあたり、絵師に対しての配慮はまったくないが。


「うへぇ、もう手首がげんかーい」


「限界って超えていくものだよね? 休むのは腱鞘炎になってからにしてくれる?」


「鬼かアンタは! 鬼畜! 悪魔!」


「千景は堕天使の末裔」


 二人の野次には一瞥もくれず、液晶ディスプレイとにらめっこしながら黙々とシナリオ台本に目を通す千景。


 来月、LDsiteにアップ予定の、ASMR作品の台本であり、ボイス収録をする前に、誤字脱字、台本に不備がないか、チェックをしているのだ。


「桜子、パート9のところ、ちょっと声の抑揚がつけにくいかも」


「『私の舌長いから耳の中ぜんぶ舐め尽くしちゃうよ』のところ? なら、『私の舌長い』のあとに『でしょ?』の疑問形で区切ると、ちょっと雰囲気変わるかも」


「んっ、んっン……。――私の舌長いでしょ? 耳の中ぜんぶ舐め尽くしちゃうよ――。うん、こっちかな。採用」


 千景は実際に発声して、確認作業を行う。

 桜子はキーボードをタイプして、台本に修正を入れていく。


「ふんがぁ……! エロジャケ描いてっと、ムラムラしすぎてヤバたん!」


「あるあるだよね」


「わたしもシナリオ書いてると、たまに」


「ほえ~。桜子ってさ、そーゆーこと堂々とカミングアウトするタイプだっけ?」


「自分の欲望に忠実なだけ。司と千景だってそのはず」


「ま~ね。でも最近は推しカツも控えめかな。白羊の坊ちゃまぐらいだし、ガチ恋勢の心理って、やっぱよくわからんちん」


「推しかぁ、リアルでいいなら私はできたけど」


「マ? 千景って三次元の男は、マジ無理ゲータイプっしょ?」


「基本的にはね。でも私の推しはちょっと特別かな」


「まさかのガチ恋? 何カンケーで知り合った人なん? 同じ事務所の俳優さんとか?」


「べつに、好きとかそういうのじゃなくてあくまで推しだから。ヒントは妹さんのために必死で働いてる、健気で可愛い男の子」


「また京坂くんの話題に戻った」


「あー、なるね。おけいはんなら納得」


「いいよね、京坂」


「一年のときはクラスが違ったっていってもさ、アタシらってつい最近までおけいはんの良さに気付けてなかったワケじゃん? むしろそっちの方にビックリしね?」


「京坂くんはレアキャラだから」


「あ、だよね。私も今おんなじことを思った。さすがは、私の桜子だ」


「千景のモノになった覚えはない」


「ふふっ、照れ屋さんなんだから」


「照れてないし、そのノリ嫌い。続けて。ちゃんと、オチまで」


「お、オチ? ……いじわるだなー、桜子は」


「懺悔なら聞く。聖職者ではないけれど」


「んー……恥ずかしいから、一度しか言わないよ? ……京坂を思い浮かべながら、その、ひとりでシちゃったの。そのあとは、もう罪悪感で死にそうだった……」


「そんなに悲観することなくね? アタシら中学のときから創作一本だし、マトモな男子と話す機会とかなかったワケじゃん?」


「クリエイターは妄想に生きる人種。だからこそ、ネタにしやすそうな京坂くんに沼るのは仕方がない」


 千景と司と桜子は、しみじみとそんなことを語り合う。


 これが校内三大美女と呼ばれる、三人の女子高生の裏の顔。男子生徒とまともに話すこともままならない、残念な女子たちの実態である。


 彼女たちは中学時代からクラスの中心にいて、その美貌から男子の注目を集めてきた。

 

 三人にとってそれは日常であり、もはや当たり前のことであった。


 ただ、男というのは下心がすけすけで、見たくもない本性が垣間見える。


 踏まえて、京坂京とのファーストコンタクトで三人は度肝を抜かれた。

 異性に対して嫌悪感とまではいかないが不快感を抱いていた彼女たちにとって、彼は未知の存在だった。




あとがき

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お読みいただきありがとうございます。

下記は本書のページの告知となります。

https://kakuyomu.jp/publication/entry/2024062002

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