005
親睦会を途中で抜けて、ユーバーのバイトを終えた帰り道。
僕は、世界遺産にも登録されている有名なお寺の本坊に連なる夜桜を、一人寂しく見上げていた。
時刻は、二十二時。
春とはいえ、夜はまだ肌寒い。
パーカーのフードを深く被って、鼻水をすする。
夜桜がキレイだ、と。
そう思ったのは久し振りかもしれない。地元民は花見などしない。みんな、幼い時から見慣れているからだ。
小学生くらいまでは、通学路に咲く桜を、友達とはしゃいで見上げていたけど。
中学生になったあたりから、すっかり観なくなってしまった。
高校生になった僕は、もうそんな歳でもない。
あの頃のように友達がいるわけでもない。
そんなことを考えていると、風が吹いた。
ざぁっと、木々が揺れる音がした。
桜の花びらが散る。
そこで、僕はふと気付いた。
誰かの視線に。
気配に。
思わず振り向いた。
「醍醐さん……?」
「誰、キミ」
誰キミはけっこうくる。
まあそれはさておき、そこにいたのは醍醐さんだった。
色素の薄いソメイヨシノ色のボブカット。夜だというのに制服姿で、メロンを内包しているかのようなたわわに実った大きな胸が、ピンクのセーターとブレザーを内側から押し上げている。
彼女のレンズ越しの瞳は僕を睨んでいるように見えた。いや正確には僕を見てすらいなかった。そして僕は理解した。
醍醐さんの興味は僕の後ろにある桜の樹に向けられている、と。
「あ、ごめんなさい。同じクラスの京坂です」
「知らない」
ぐさっ。グサグサッ。
「だ、だよね。あまり目立つ方じゃないし、僕は」
「そうじゃなくて、わたし同世代の人間にあまり興味なくて。だから京坂くん、だっけ? 悪いけどキミの顔も覚えてないの」
辛辣な物言いだけど、不思議と嫌な気はしないな。
醍醐さんは、烏丸さんと小野さん以外の生徒とはほとんど会話をしない。プライベートは一切謎に包まれている。
ある意味絵に描いたような高嶺の花って感じで、同じ学年の男子、特に文科系の男子はみんな彼女にお熱らしく、でも、誰も彼もが遠巻きに眺めているだけで決してお近づきになろうとはしない。
触らぬ女神に祟りなし、ということだろう。
僕とはまた違った意味でボッチに近い存在だ。
そういう意味ではどこか似ていると勝手に親近感を抱いていたけど、ここまでハッキリと自分の言葉を口にできる勇気は、僕にはない。
「邪魔したみたいだね。ごめん。それじゃ」
「桜を観てたのなら、わたしに気を遣って帰ることはない」
「は、はい」
自分でもよくわからない返事をして、僕は桜の樹の下で棒立ちになった。
醍醐さんは、ただぼんやりと夜桜を見上げている。
正直気まずい。
何を話せばいいかわからないし、どういう距離感で接すればいいのかもわからない。
「質問。京坂くんは、後悔しない生き方をしてる?」
「え?」
「ごめんなさい。いきなりすぎたかも。わたし、話すの得意な方じゃなくて」
「気にしないで。少し驚いただけだから」
「無理しなくていい。答えるにしたって、難しい問い掛けだと思うから」
「ああえと、その、多分なんだけど。……今は『できてる』と思う」
「そう」
「うん」
「でも今という言葉はいつか簡単に崩れ去る。今はそのときじゃないだけ。だから、この先も後悔しない生き方をしてるって言い切った方がわたしは好感を持てる」
すごい、深いことをおっしゃられる。まるで詩人みたいだ。
「この先を考えてしまったら、きっと僕は今の僕を甘やかしてしまうから」
「……甘やかす? ちょっと気になる。その先、聞かせて」
「なんて言ったらいいのかな。醍醐さんの考えもわかるんだけど……僕は『今』を頑張らないと後悔するタイプだから、先のことを考える余裕がないというか。もちろん、その時々でできることを精一杯やるけど」
「なるほど。確かにわたしとは『本質』がまるで違う。不思議」
「まあ、今日……早速、後悔しちゃったんだけどね」
そう。
今日はバイトの時間を削ってしまったのだ。
クラスの親睦会に参加するのも大切だと思うけど、それとこれとはまた別問題。
妹の学費を稼ぐという自分との約束を、僕は反故にしようとした。
小野さんがフォローしてくれたから事なきを得たけど。
「繋がった。もしかして、京坂くんが司の言ってたおけいはん?」
「そ、そうだけど。繋がったって、どういうこと?」
「世の中には無数の点が転がってる。人だったり、物だったり、風景だったり。そのどれもが、線で繋がるわけじゃないけど、少なくとも、わたしの中では繋がった。千景と司が、キミのことを楽しそうに話してたから」
烏丸さんと小野さんが僕のことを楽しそうに話していた?
どういう状況なんだろう。校内三大美女の話題に上がる男子高校生……それって、とても光栄なことなんじゃないだろうか。
「わたしもキミに少し興味が湧いてきた」
醍醐さんは夜桜を見上げながら、意味深なセリフを口にする。
月光に照らされた彼女の横顔は、どこか神秘的だった。
「仲良くしてくれると嬉しい。わたし、友達少ないから」
友達のいない僕にとって、その響きは砂糖菓子の弾丸。甘すぎて捌き切れない。
「こ、こちらこそ。よろしくお願いします」
静かに。
じんわりと。
僕の心を、そっとノックするように。
桜の花びらが、火照った頬を掠めた。
あとがき
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発売まであと1日
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