004

 そして、放課後。


 ホントは今日もバイトに行く予定だったのだけれども、あの雰囲気ではとてもじゃないけど言い出せなかった。


 烏丸さんにちょっといいところを見せようかなとか、そんな見栄を張ったのが良くなかったのだ。


 そのことについては後悔はないけど、別の理由で反省したい。


(う……う、歌うだけで、ろ、六〇〇円? これってボッタクリなんじゃ)


 三時間、フリードリンク込み。

 カラオケなんて普段行かないから、相場がよくわからない。


 ちなみに一クラス三十六人なので、部屋は六人ずつの六グループに分かれている。


 僕はみんなとあまり話したことないし、となりのトロロとかは聴くけど歌うのはまったく得意じゃないしで、こうして端っこで一人で過ごすのが楽だった。


 まずい。

 親睦会のしの字もない。


 男女がペアになって、仲良くお話に花を咲かせている。


 僕は、そんなみんなの様子を眺めながらドリンクバーのウーロン茶をちびちびと飲むだけ。


 ドアが開き、誰かが入ってくる。


 石田君だった。


「やあ京坂氏」


「やあ石田君。どうしたの?」


「なに。お礼参りというヤツだ」


 キミがそれを言うと、辻斬りの人みたいだからやめたほうがいいと思う。


「僕はパワースポットじゃないよ」


「謙遜するな。我らサブカルチャー愛好家にとって、京坂氏の勇気ある行動はまさに神風そのものであった。感謝している」


「なんかよくわからないけど、どういたしまして」


「本来、人に上も下もないのだ。なのに、東山率いる陽の者たちと我ら陰の者たちはこうしていがみ合っておる。いや、おそらく向こうはこちらの存在を認知すらしていまい」


 石田君はそこで一息つくと、遠い目で「いったい、いつからこうなってしまったのだろうな」と呟いた。


「いつからだろうね」


 僕は適当な相槌を打つ。


「まあとにかく。我らに勇気を与えてくれた京坂氏に、深き感謝を。さながら最後の侍のようであったぞ」


 ありがとう。

 でもそれはキミの通り名だと思う。


「ではまたな。サラダバー」


「あ、うん。サラダバー?」


 石田君は隣の部屋に戻っていく。

 僕は再びウーロン茶を口に含む。


 不思議な気分だ。


 クラスメイトから感謝されたことなんて今まで一度だってなかったから。


 僕のあんな小さな勇気でも誰かの力になれたのかな、なんて。


 ちょっぴりセンチメンタルな気持ちに浸っていると、また部屋のドアが開いて、ギャルっぽい女の子が入ってくる。


「おっいたいた! おけいはん隣いい?」


「あ、うん。どうぞ」


 小野さんだった。


 水滴のついたグラスを片手に、にかっと口角を上げている。


 笑うと、八重歯がちらりと見えて、すごくチャーミングだ。


 ギャルっぽいけど親しみやすい雰囲気で、


 制服を着崩して腰にブレザーを巻いており、スカートはギリギリまで短く、ブラウスの胸元は第二ボタンまで開けていて、ハートのチャームのピアスがちょっぴりいかつい。


 それがマイナスイメージを与えているかと訊かれると、そうでもなく、むしろ彼女の美貌を強調しているようにも思える。


 そんな小野さんは、メロンソーダの入ったグラスをテーブルに置きながら、僕の隣に腰かけると「ありがとね」と一言。


 アリガトネ?


 僕は一瞬、きょとんとしてしまう。


「あ、さっきの。あれはその、勢いで言っちゃったというか、あはは」


「だよね。おけいはん、ああいうこというタイプじゃなさそうだし。でもアタシ的には超助かったっていうか、ま、そのお礼をいいに来たカンジ」


 本日二度目のお礼。嬉しいような、照れくさいような。


「わざわざありがとう。てか、みんな部屋の移動してるけど……カラオケってそういうのアリなの?」


「推奨はされてないけどするよね~。おけいはんマジメすぎ」


 小野さんは楽しそうにけらけらと笑っている。


 緊張するけど相手は同級生なんだ。

 自然体で接すればいい、はず。


「僕はおけいはんじゃなくて京坂なんだけど」


「そんなの知ってるし。下の名前がケイでしょ? だからおけいはん」


「あー、なるほど……」


「千景から聞いたんだけどさ、おけいはんって妹ちゃんのためにユーバーのバイトしてんだってね? 今日もホントはバイトに行く予定だったとか?」


 昨日の今日で、もう烏丸さんから小野さんに伝わってるのか。


 まあ、別に隠すことでもないからいいんだけど。


「小野さんが気にすることじゃないよ。うちの家庭の事情だし」


「うわ、男の子にやんわりキョゼツされたの初めてかも」


「拒絶はしてないよ?」


「でも今遠ざけようとしてたくね?」


「えっと、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど……」


「ジョーダンだって。ま、みんなにはアタシがウマく言っとくからさ、おけいはんは抜けたいときに抜けていいかんね」


 そう耳元で囁きつつ、小野さんは――むしろ、どこか帰りづらい雰囲気を作ろうとしている気がする。


 距離が近い。

 僕の二の腕に胸が当たっている。

 

 そんなに、いや全然大きくはないけれど、確かな柔らかさを押し付けてきている。


 ぺたっ、ぺたって感じ。


 ギャルはスキンシップがレベチだと聞いたことがあるけど、まさかここまでとは。


 僕は緊張と照れで背中をムズムズとさせながら、なんとか平静を装う。


「ありがと。じゃあお言葉に甘えて。これ飲んだら帰るよ」


「はえぇ。マジで……やんわりとキョゼられたー」


「えと、どういうこと?」


「ううん、こっちの話。お仕事ファイト」


「うん。ありがと」


 僕はそれだけ告げて、ウーロン茶を飲み干し、カラオケルームを出た。


 小野さんがニカッと笑っていた気がするけど、あれはどういうリアクションだったのだろう。


 ボッチの僕には、女の子の感情の機微というものがよくわからなかった。



 *



 京坂京が退出した後。

 二年三組の親睦会の場に、三年の先輩グループが乗り込んできた。


 いわゆる陽キャだとかリア充だと周囲から認識されている、派手目でチャラそうな男子たちがズカズカと入り込んできて当然場は白ける。


六条ろくじょう君、お疲れっす」


「おつかれー。てかさぁしょうちゃん。話ちがくね? なんでこんな人多いわけ?」


 庄ちゃんこと東山ひがしやま庄悟しょうご


 その先輩にあたる六条という三年の男子は、ぎょっとして後ずさる後輩の肩に手をかけながら、ニヤニヤと笑っている。


「可愛い子だけ呼んでって俺言ったよね」


「そ、それは、その……」


諌山いさやまも聞いてただろ?」


「その辺にしといてやれ慶太けいた。庄悟もまずいと思ってるようだし」


 諌山と呼ばれた筋骨隆々の男の制止を受けた六条は、東山の背中をバシッと叩く。


「まあいいや。んで、司ちゃんはどこいるん?」


「あ、案内します……こっちです」


 三年生グループを司の部屋へと案内する東山。


 廊下側から扉を閉めてそのまましゃがみこんでしまう様は、先輩と後輩の上下関係というよりも、主従関係といった方が的を得ているかもしれない。


 ほどなくして、中から話し声が聞こえてくる。


「司ちゃん、久しぶり。俺のこと覚えてるよね?」


「ドチラさんでしたっけ?」


「俺だよ、去年キミに告白してフラれた六条慶太」


「あー。二年の親睦会なんでご退出お願いできますか?」


「まあまあ、そう邪険にしないでよ。あれから俺、超努力してさ。マイスタのフォロワー数が五万を超えたんだよね」


 司は半開きの目をパチパチと瞬かせながら、「へー」と適当に相槌を打つ。


 だが、六条はそんな態度にもめげず、猫なで声で話を続ける。


「なあ、慶太。お前、司ちゃんに相手されてねえぞ」


「それでいいんだよ。たまにはお高くとまった女を鳴かせてみたいだろ?」


「慶太は鬼畜だからなあ」


「お前らが真に受けるなよ。冗談だってのに」


「ぎゃははっ」


 六条の後ろで、他の陽キャたちも好き勝手なことを言っているが、司は顔色一つ変えずにスマホをポチる。


「とりあえず連絡先だけでも教えてくれないかな? 俺、最近モデル活動もしてるから、一緒に配信とかして司ちゃんの良さを視聴者にも伝えたくてさ」


「あ、そういうの間に合ってるんで。自称インフルエンサーには一ミリも興味ないんっすよね、アタシ」


 司の容赦ない罵倒に、場は凍り付く。


「……司ちゃん、キミさ、ちょっと調子に乗りすぎじゃね?」


「場を弁える相手にはそれなりの敬意を払いますよー。でも、オイタをしたのは先輩方でしょ? マジメに今日のところは帰ってくれませんか?」


「なるほどね。そういうことなら、日を改めることにするよ」


 取り巻きを連れて、カラオケルームを出て行く六条の背には目もくれず、司は再びスマホをポチポチと弄りだす。


(マージつまんない男ばっか。おけいはんの連絡先聞いとけばよかった)


 心の底から惜しそうなため息が、カラオケルームに零れ落ちた。



 

あとがき

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発売まであと2日

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