第34話 後悔しない生き方

 家に帰るとあかりが居間で勉強をしていた。

 根を詰めすぎないようにして欲しいところだけど、高校受験という一回きりのチャンスを逃したくないのだろう。その目は真剣そのものだ。


(心の換気も必要だよ、あかり)


 僕はビニール袋にパンパンに詰まったお祭りメシと、金魚袋をテーブルの上に置く。


「あ、お兄ちゃん金魚取ってきたの?」


「まあね。ついでに金魚鉢と水草も買ってきたんだ」


 祭りの帰り道。

 ホームセンターに寄って、金魚を飼うために必要な物をすべて買い揃えてきた。底砂利やカルキ抜き剤、金魚用の餌などなど。金魚を飼うのは初めてではないので、ある程度のノウハウはわかっている。


「あたしも手伝うよ」


「わかった。じゃあ底砂利とかは僕がやるから、カルキ抜きをお願い」


「うん。懐かしいね、これ」


 あかりは上機嫌な様子で、水道水とカルキ抜き剤をバケツに入れていく。

 

「このひと手間がないと金魚が死んじゃうって、お母さんが言ってたの覚えてる?」


 あかりが懐かしむように呟く。僕も同じようなことを考えていたので、無言で頷く。


「まだまだ教えて欲しいことが山ほどあったんだけどなぁ」


「それは僕も同じ」


 母さんに教えてもらったことは山程ある。

 金魚の飼い方だってそうだし。

 他にも言葉だけでは語り尽くせないほどに、『大切なこと』をいっぱいいっぱい教えて貰った。愛情を注いでもらった。


 でも、母さんはもういない。

 その事実に何度胸を締め付けられたか。


 毎夜毎晩泣いて、暗い山道を登るようにして、寂しさを乗り越えてきた。


 でもそれも『後悔がないよう精一杯生きなさい』という、母さんからのメッセージ気がして……

 僕は日々『目標』に向かって邁進するようになった。


 もっと話をしたかったなぁ。

 親孝行をしたかった。


「お母さん、あっちで元気にしてるかな?」


「きっとしてるよ。心配いらない」


「そうだよね。うん」


 あかりが笑顔で頷く。

 天国があるかどうかなんてわからない。

 でもきっと母さんは、天国から僕たちを見守ってくれている。都合よくそう信じたいだけなのかもしれないけど、そんな気がするんだ。


「よし、完成」


「元気だね、この子」


 水草の浮かぶ鉢の中を金魚が泳ぎ回る。まさに水を得た魚だ。飼い始めてまた一日も経ってないけれど、こうして元気に泳いでいる姿を見ると愛着が湧くし、目の保養にもなる。


 そんな風に僕が癒されていると、あかりがニヤニヤと含みのある笑みを浮かべた。


「てか聞いたよお兄ちゃん、明日同窓会なんだって?」


「そんな大げさなものじゃないよ。中三の時に同じクラスだった人たちで集まろうっていう話になっただけ。てか、どこで誰から聞いたの?」


「さっき千景さんから。あたしLIME友達だから」


「いつの間に、そんな仲に」


「ま、あたしは諜報員的な?」


 的な、って。

 スパイは自分のことをスパイと打ち明けないと思うけど……。


 誰とでもすぐ打ち明けるのがうちの妹の特技だ。

 あかりは僕と違って友達が多い。こういうところは全然似てないなぁ、というのが正直な感想である。


 逆に僕なんかは中学の頃クラスで浮いている存在だったので、同窓会というワードを思い浮かべるだけでも得体の知れない恐怖を感じてしまう。

  

「大丈夫なの?」


「なにが?」


「同窓会とか、乗り気じゃないんでしょ?」


 さすがは僕の妹だ。よくわかっていらっしゃる。


「まあね。正直気が重いよ」


「けど、行くんでしょ? どうして?」


「けじめ、かな」


「けじめ。ふむ」


「ずっと逃げてたから。みんなと仲良くなりたいとかそういうわけじゃなくてね、自分のために行くんだ」


「自分のため?」


「もうあの頃の僕じゃないってことを少しでも証明したいから。ちょっとは変われたよって、自分を肯定するために行くんだよ。それと、一人だけ参加しないのもなんか失礼だと思っちゃうしね」


 僕がそう言い切ると、あかりはにっこりと目を細めた。なんだか妙に嬉しそうなのが気になる。


「それ多分自分のためじゃないでしょ? お兄ちゃんを変えてくれた人たちのためでしょ?」


「流石は僕の妹だ。勘が鋭い」


「兄妹だからね」


 あかりが妹でよかった。本当に。

 青春を捨てでも大学費用を貯めたいと思ったのは、あかりが僕の妹だったからだ。

 当たり前に思えて当たり前ではない、この奇跡とも呼べる事実が、わらしべ長者のように次々と新しい奇跡を生み出して今に至る。


 僕が家族ファーストを掲げていなければ、きっと校内三大美女は僕に手を差し伸べてはくれなかっただろう。点と点が繋がり線になるように、『奇跡』と『奇跡』が繋がって『軌跡』となったのだ。


 貧乏の家。そう揶揄される家庭で育ったけど、僕は家族に恵まれた。家族の為に何かをしたいという気持ちが、千景やつーちゃんやさくらとの関係性に繋がっている。


「前にさくらに聞かれたんだ。後悔しない生き方をできてるかって。あの時は、まだはっきりとは答えられなかったけど、今なら胸を張って答えられる。だから行くんだよ」


「よし、じゃあ証明してこい」


「証明って……大げさな言い方だなぁ」


「そんなことないでしょ。あたしがこんなこと言うのもなんだけどさ、お兄ちゃんはよく耐えてたよ。明日は、ちょっとぐらいリア充オーラ振りまいてもバチは当たらないって」


 リア充オーラって……。


「てか、長話してたらお腹減っちゃった」


「あぁ。そうだったな。早く食べないと冷めちゃうぞ。せっかく買ってきたんだから」


「イカ焼きとりんご飴買ってきてくれた?」


「あかりが好きそうなものは全部買ってきた」


 ビニール袋をガサガサと漁りながら、祭りメシをテーブルに並べていくあかり。


「あ、ベビカスだ」


「それは母さんの分ね」


「お母さん、ベビーカステラ好きだったもんね。じゃあ後であたしが仏壇に供えとこうかな」


「うん、そうしてあげて」


 母さん。安心して欲しい。

 めげそうなときもあったし、これからもそういうことがいっぱいあると思うけど、僕は何一つ後悔してないよ。この家の子に産まれてよかった。


 ありがとう。

 どうかこれからも天国から僕たちを見守っていてください。幸せに生きることが僕にできる親孝行だと思うから。

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