第32話 三人でお風呂

 げ、限界だ。

 これ以上はもう入らない。


 ピザにお寿司というゴリゴリ炭水化物のラインナップを残さずたいらげた僕は、かつてない胸焼けに呻吟しながら、テーブルに突っ伏していた。


 破裂寸前の胃の腑は、ビックバンを引き起こす前の高温高密度の宇宙さながら。


 つーちゃんと心愛が早々に満腹を訴えるものだから、Lサイズのピザのほとんどを僕がたいらげる羽目に。


 お腹いっぱい食べられることは幸せなことだけど、僕は腹八文目を強くオススメする。


「おなかいっぱい♡お風呂はいりながらゆっくりしたくね?♡」


 心愛はお腹を擦りながら、そんな提案をする。


「あぁ、わかる。私もシャワー浴びたい」


「京坂ちゃんも、一緒に入ろ?♡お風呂めっちゃ広いから♡」


「いやいや、流石にそれは」


「司とはいつも一緒に入ってるんしょ? どしてあたしとは一緒に入れないの?♡」


「そりゃあんたより私の方がおけいはんと過ごした時間長いし、当然でしょ」


「時間は関係ないっしょ。こういうのって気持ちじゃん。それとも京坂ちゃんはあたしのこと嫌い?」


「え? あ、いや、えっと……」


 僕は回答に詰まってしまう。心愛がグイグイくるのはいつも通りといえばいつも通りだけど、一日中遊んで距離が縮まったからか、いつにも増して声色が真剣味を帯びている気がする。


 どう返すのが正解なのだろうか。

 いやおそらく正解はないのだろう。


「おーい心愛。おけいはんを困らせんなし」


「司は黙ってて。あたしだって京坂ちゃんに特別扱いされたいわけ」


「うん……」


「……あたし京坂ちゃんのことマジだから、それだけはわかって欲しいんだ」


「うん……」


 心愛はナイーブな子だ。

 いつも明るく振る舞っているけれど、自分が拒絶されているのではないか、嫌われているのではないか、と相手の顔色を窺う節がある。

 深読みをしてしまい……それが次第に猜疑心となって、一度はつーちゃんと袂を分かつことになってしまった。


 不憫だ。


 同じ轍を二度踏むけわけにはいかないし、僕にできることは本音でぶつかり合うことだけ。誠意をもって、心愛に本心を伝えるんだ。


「心愛の気持ちは嬉しいよ。凄く嬉しい……だけど、僕には好きな人たちがいる。好きな人たちから『好き』って言って貰えることが嬉しくて、幸せで、でも今でさえ、三人分の好きを受け止め切れているのかわからない状態なんだ。だから……その」


「それって司と烏丸と醍醐と関係を持ってるから……あたしのことを考える余裕がないってこと?」


「えと……有り体に言えば、そうなるのかな」


「おけいはん、それはズルいって。うちらと関係を持ってるから心愛の気持ちに応えられないってのは、うちらを逃げ道に使ってるってことでしょ? そういうの……私の方がやきもきしちゃうし、イヤならイヤでハッキリふるんが心愛の為になるんじゃない?」


「……ちょ、司。あたしのメンタルを潰しにかかってね?」


「アンタもアンタよ心愛。私を通じておけいはんと関係を持とうなんざ、百年早いのよ。重要なのはお互いのキモチでしょ。私とおけいはんがどうとかそんなのはアンタにはカンケーないし、アンタがおけいはんとどうなりたいか、おけいはんが心愛とどうなりたいか。単純でシンプルだからこそ、恋はむじーって私は思うけど?」


 僕と心愛は黙り込む。

 つーちゃんに核心を突かれて、二の句を告げない。

 どう回答すべきか僕が思慮に思慮を重ねていると、心愛がぎゅっと拳を握り込みながら口を開いた。


「……だって、京坂ちゃんはあたしのこと……本気で好きにはなれないっしょ? 酷いこといっぱいシちゃったし……司を通じてアピらないと構ってもらえないこともわかってる。でも、嫌われんのはヤダ。ヤだから……身体だけのカンケーとか都合のいいことも考えちゃう。一緒にお風呂入ったら仲良くなれるんじゃないかな、とか。……バカだよね。どうしたら京坂ちゃんに許して貰えんのか、振り向いて貰えるのかわかんなくて、またこうやって迷惑かけちゃってる。ホントごめん」


 心愛の独白。

 そっか、そんな風に思ってたんだ。


 僕は……人は誰でも罪を犯すものだと考えている。罪というのは誰かが決めたルールとかそういうのじゃなくて、もっとこう、心の奥底にある『なぜあんなことをしてしまったんだろう』という気持ちだ。


 ポカをやらかした人を責める傾向がある昨今、正義感という名の悪意が誰かを死に追いやることだってある。反省の色が見えない相手ならともかく、自責の念を抱えている人間を一方的に糾弾するような真似を僕はしたくない。


 甘い。とか。偽善。とか。物事の本質を理解してない。とか。


 第三者は好き放題、身勝手な言葉を投げかけるだろうけど、それでも僕は心愛を許すと決めた。だから心愛に対して、嫌悪感のようなものはない。


 ただ、つーちゃんが言ってくれた通り『好き』という感情は特別で、それでいてシンプルで、現状、心愛の『好き』に応えることは難しい。でもこれだけ熱のこもった気持ちをぶつけられて、心が一ミリも動かないというのは、それはそれで嘘になってしまう。


 この場の雰囲気に流されている感は否めないけど。


「僕なりに前向きに考えてみるってのは、ダメかな? すぐには答えを出せそうにないや……」


「それってあたしもワンチャンあるってこと?」


「う、うーん。あるとはハッキリ言えないけど……」


「じゃーワンチャンあるって信じようかな♡」


「おけいはんが決めたことなら私は口出しするつもりないけど、千景とさくらにはちゃんと説明しなよ」


「うん」

 

「んじゃ親睦を深めるためにお風呂はいろ♡京坂ちゃんの身体洗ってあげる♡」


 あれ?


「ちょっと心愛、その話はさっき終わったはず」


「だってこの流れならワンチャンあるじゃん♡」


「つ、つーちゃん」


「私に助けを求めんなし。でも、ま、いいんじゃない?」


「え……?」


「だってほら、私もおけいはんと身体の関係を持ったん、すぐだったし。千景なんてバイト初日から迫ってたっしょ?」


「た、確かにそうだけど。それとこれとはまた違う気が……」


 などとぐだぐだ反論するも、二人は全く意に介さず、僕は心愛とつーちゃんにお風呂場に連行されたのだった。


 ※


 高級感のあるバスルームは、京坂家の浴室と違い設備が充実している。

 オーバーヘッドのシャワーに、オトナ二人が入ってもまだスペースが余るくらい、広々とした浴槽。床はツルツルピカピカで、隅々まで掃除が行き届いている。


 棚に並べられたボトルはどれもこれも高価そうで、シャンプー、リンス、ボディーソープ『以外』の容器も陳列されており、心愛が美容に気を遣っていることがよくわかる。


(……あかりもああいうのが欲しい年頃なのかな) 


 うちの妹は滅多にわがままなことを口にしない。

 でもホントは化粧水だとか乳液だとかノンシリコンシャンプーだとか、ちょっと値のある洋服なんかに興味があるのではないか、と……最近よく考えるようになった。つーちゃんの家にも、僕個人は生涯使用しないであろう美容グッズがそこかしこに置いてあるし。


 脱衣所でそんなことを考えていると、心愛とつーちゃんがコスプレ衣装を脱ぎ始めた。


「……ちょっ」


 僕は目のやり場に困って、背中を向ける。女の子たるもの、もう少し恥じらいを持っていただきたいものである。


「ウケる。おけいはんって、恥じらいオバケだよね」


「……そんなオバケはいないよ」


「覚悟決めなよ、京坂ちゃん♡」


「覚悟って……。ていうか心愛は、僕に裸を見られてもいいの?」


「もうめっちゃ見られたし今さらっしょ♡てか、京坂ちゃんと何回ヤったと思ってんの?♡」


「そりゃあんたが拉致して無理やりシたからでしょ」


「あはは♡ま、まあそれはほら、アレじゃん」


 はぐらかすように苦笑する心愛。


「てか別に見られんの嫌じゃないし、むしろ見て欲しいし、とりま京坂ちゃんも脱いだら?♡」


 「いや、まあ脱ぐのは脱ぐんだけど……脱いでるところを見られるのはなんというか、その……。先に入っててくれる二人とも?」


「かーっ照れちゃって、まぁ。おけいはんクオリティ全開って感じ」


 なんなの、そのクオリティ……。

 よくわからないけど、バカにされていることだけはわかる。


 真っ裸の二人がバスルームへと消えていくのを見届けてから、僕は衣類を脱いで、タオルで前を隠しつつ、ガラス製の引き戸を開ける。


「わー♡司の裸ひさしぶり♡」


 心愛が浴槽の縁にお尻をつけながら、バスチェアに座って身体を洗うつーちゃんを眺めている。


 ……ここが百合の巣窟か、という冗談はさておき。ダブルギャルの白い肌と小麦色の肌が眩しい。百カラットのダイヤモンドでさえ、この輝きには勝てないだろう。

 

「京坂ちゃん、お楽しみはちょい待ちね。いま湯舟溜めてっから♡」


「あ、うん……」


 お楽しみって。


「そういやさ、京坂ちゃん。あれ行くん? プチ同窓会だっけ?」


「あー……」


 西大路さんが言ってたあれのことか。彼女との会話はあまり掘り下げて欲しくないんだけど、濁しても仕方がないし。


「一応……顔だけは出そうと思ってる」


「やめとけば。おけいはん、あの子と仲良しってわけじゃないんでしょ?」


 泡まみれの毛先を摘まみながら、つーちゃんが口を尖らせる。


「うん。そうだね……」


 それは西大路さんだけに限った話じゃない。中学時代は友達と呼べる相手が一人もいなかったから。

 友達が欲しいと思った時期と、一人でいいやと思ってしまった時期。二つの時期を経験して生まれた感情は、なんというか『諦め』だった。

 

 ……情けない話だけど、当時の僕は誰かと仲睦まじく笑い合う自分を想像できなかったのだ。


「でも……せっかく誘って貰ったわけだし」


「そんなん気にしてもしゃーなくね?♡あたしはあの子の雰囲気っての?♡なーんか全体的に好きじゃなかったなー♡嫉妬とかじゃなくてさ、気を遣ってる京坂ちゃんの顔を見てるのがなんかヤだったわけ♡」


 心愛はよく見てるなぁ……なるべく顔には出さないよう努めていたのだけど。


「私はおけいはんが行くって決めたなら止めないよ。でも、なんかあったらすぐ連絡すること」


 過保護で心配性なつーちゃんの優しさがありがたい。


「うん。ありがとう」


 つーちゃんと心愛の無償の優しさにじんわりと胸を熱くしながら、そのあとは三人でバスタブに浸かった。

 僕はサンドイッチの具材みたく二人に挟まれる形で、前後あるいは左右からマシュマロもかくやというほどの柔らかさを堪能することに。


 理性という名の封印が解け、感情という名の怪物が顔を出し――

 なし崩し的に、いや解放的に、僕たちは湯舟のお湯が冷めるまでバスルームで身体を重ね合わせた。




 千景とさくらには後日、改めて謝罪するとしよう。


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