第26話 海で2
波の音が聞こえる。
意識がぼんやりと覚醒していく。
泥沼から身体を浮かび上がらせるかのように、ゆっくりと目を開ける。
すると、眼前には三人の美しい相貌があった。
「おはようケイ」
「あ、うん。おはよう」
朝じゃないけど。
どうやら数十分ほど、眠っていたらしい。
いつの間にか僕の全身に大量に積まれていた砂は取り払われていて、代わりにタオルがかけられていた。水着の上から白いTシャツを身につけた三人を視界いっぱいに収めながら、僕は苦笑を浮かべる。
「ごめん……ちょっと寝ちゃってたみたい」
「全然いいよ。寝顔、可愛かった」
「京君の寝顔は、とても貴重。永久保存版」
「おけいはん、お腹減ったっしょ? バーベキューしようぜ、バーベキュー!」
「うん、そうだね。お腹減った」
テントの前まで戻って、バーベキューコンロに火をつける。炭を放り込んで着火剤に火を付けると、じわじわと炭が赤みを帯びてくる。食材は千景が民宿に戻って、持ってきてくれたようだ。
ちなみに、日和さんは「若者だけで楽しんでおいで。私は疲れてるから寝る」と言って二度寝してしまったらしい。
一日中寝るつもりだろうか。
そんなことやあんなことを考えながら下拵えしを済ませ、串に刺した食材を網の上に並べる。肉も魚介類も野菜も、全部まとめて満遍なく焼いていく。
「京君は食べるのに集中して。私達が焼くから」
「え? そんなの、悪いよ……」
「いいの。ケイはゆっくりしてて」
二人にそう強く念を押されて、僕はおとなしく紙皿と割り箸を受け取る。
網の上を転がる食材はどれも美味しそうで、眺めているだけで胃の腑がきゅうとしてくる。
「いい匂い。肉の焼ける匂い」
それはそうだろう。思ったことを淡々と口にするさくらはちょっぴり天然な気がする。
「お、野菜もいい感じ。そろそろ食べごろじゃね?」
「京君、お皿」
「あ、うん。ありがとうさくら」
さくらに紙皿を渡して、再び受け取る。皿からはみ出るほどの縦長の串肉を一本手に取り、ほおばると幸せな味が口いっぱいに広がった。しっかりと塩が効いていて、とても美味しい。
下拵えはうまくいったみたいだ。
「おいしい」
「うんまぁ、これやっば。おけいはんの料理スキルやばすぎぃ」
「ほんと、おいしいよ」
「うん、美味しい――……ケイはいい旦那さんになれるね」
「あ、ありがと。お肉、まだまだあるから……いっぱい食べよ」
四人でご飯を食べながら、とりとめもない雑談に花を咲かせる。
「ね、このあと自由行動ってことにしない?」
千景が、突然そんなことを言い出す。
「せっかく海きたんだしさ、ケイを独占したくない?」
「独占ってどういうこと? おけいはんはここにいんじゃん」
「時間決めてさ、交代制で海デートしようよ。司も桜子もケイと二人きり遊びたいでしょ?」
さくらが、こくこくと頷く。
「わたしは賛成」
「お、いいじゃん」
さくらもつーちゃんも乗り気のようだ。
「京君は、それでもいい?」
「いいよ」
断る理由なんてどこにもない。海でデートって憧れだし、四人の時間を満喫するのも好きだけど、みんながそうしたいなら、反対する理由なんてどこにもなかった。
「じゃあ、決まりね」
千景が立ち上がり、大きく伸びをする。
「私が先に、ケイを独占してもいい? 一時間ね」
「わかった。じゃあ、わたしは千景のあと。司はそれでいい?」
「ん、おっけー」
「じゃあいこっかケイ」
Tシャツを脱いだ千景が、水着姿のまま僕の腕に抱きついてくる。その密着具合に、当然のごとく僕はドギマギした。
本当にスタイルがいいなぁ……。僕なんかが千景を独り占めしていいのかな、なんて考えが今でも頭をよぎるけれど、そんな今を受け入れて前進したい。一歩、いや二歩三歩と距離を縮めたい。
「楽しんで来なよ~千景、おけいはん」
「楽しんで」
二人が笑顔で手を振ってくれる。僕も二人に手を振り返し、千景と貝殻繋ぎをしてを砂浜を歩いた。
「あっちの岩場いこ。いい感じに陰ができて、いい感じの死角になってて、人目につきにくいから」
「千景はほんとストレートだよね」
「だって、時間は有限だもん」
「うん。そうだね」
千景は僕の手を引いて、どんどん進んでいく。
波打ち際を歩いて岩場の方へいくと、確かに人の気配はなくて、穴場スポットという感じだった。元より単語は片田舎なので地元民の往来も少ない。
「イチャイチャしよ、ケイ」
「うん……」
岩肌のくぼみに二人して腰掛ける。
千景はいつも積極的だけど、今日の千景はいつもより積極的な気がする。
「さっきはじっくり見られなかったでしょ。どう?」
黒のハイネックビキニを着ている千景は、普段の清楚な装いとはまた違い、セクシーで大人っぽい。ちょうどいいサイズの美乳も線の細い腰回りもきゅっと引き締まったお腹も、思わず見惚れてしまうほどに素敵だ。
「うん。凄くキレイ。なんか、水着姿ってドキドキするね」
「うん。京君も、すごくかっこいいよ」
千景が僕の胸板を指で撫でてくる。むず痒くて、心地よくて……それでいて恥ずかしい。
「ふふ、かわいいなぁ……照れちゃってさ」
「う……。千景だって同じことされたら、そうなるでしょ?」
「じゃあ触ってみてよ」
千景がいたずらっぽい笑みを浮かべて、腕を広げる。僕は少し躊躇ってから、千景のお腹に手を伸ばした。
すべすべとした肌触り。とてもきめ細やかで、ちょっぴりしっとりしていて、手に吸い付いてくる。
「ケイ、もっと触って」
言われるがまま、お腹かの中心から脇腹へ手を滑らせる。千景はくすぐったそうに身を捩ったけれど、決してそれは拒絶の反応ではなかった。
「ね、抱きしめてみて?」
僕は頷く代わりに、千景の身体を抱き寄せる。
熱と熱が交わりシトラスチックな甘い香りが鼻腔をくすぐる。千景の心音が直に伝わってきて、僕の鼓動もドグンドグンと加速する。
「ね……このまま二人でどっか、遠くにいっちゃおっか」
耳元で囁かれる。
それは多分、『本気』の言葉だ。
ここではないどこか遠くに行きたい、という情緒的な響きがこもっているような、そんな気がした。
「みんなで旅行に来たわけだし、つーちゃんもさくらも置いていけないよ」
「わかってる……言ってみただけ」
千景は僕の胸に頭を預けながら、僕を抱き締めるその両手に更に力を込めた。
僕も千景を抱き締め返して、それからしばらく二人だけの世界で確かな温もりを求め合うのだった。
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