第18話 三本勝負

 蹴上さん……いや心愛が起こしたセンセーショナルな一件から、僕の学校生活はさらに変化した。

 心愛は四限目の授業が終わると僕のもとに駆け寄ってくるようになり、その懐きっぷりはさながら餌の時間を待ちきれない犬のよう(冗談抜きで僕の犬になりたいらしい……)。


 心愛に懐かれてからというもの、なぜか他の女子たちまで僕に興味を持ってしまったみたいで、休み時間が来るたび僕は自分の机の回りを女の子たちに囲まれるようになった。今まで僕が話したことのないような女の子も話しかけてくるようになって、正直かなり困惑している。


 つーちゃん、千景、さくらの不満は日に日に募っていき、その分、放課後は僕に出来る限りの愛情を注ぐようになった。


 まあ、そんなこんなで月日が経ち、プール開きも迫ってきた六月の下旬。水泳部も練習を本格始動する時期なんだけど、その前にひと騒ぎ起きた。


 それは、昼休みのこと。

 心愛が唐突に言い出したことが、事の引き金となった。


『夏休みは水泳部が京坂ちゃんを独占するから、そのつもりで♡』


『『『は?』』』


 心愛の宣言を真に受けて、千景とつーちゃんとさくらはもちろん猛反対した。

 けど、心愛も頑として譲ろうとしなかった。僕に選択権はないらしく、話は勝手にどんどん進んでいき――


 僕を賭けて奇妙な対決が行われることになった。


 校内三大美女VS蹴上一派


 その壮絶な戦いの幕が、いままさに切って落とされようとしている。


 以下、その対決の詳細である。


 場所は、体育館。


 第一試合 腕相撲

 第二試合 ジャンケン

 第三試合 卓球


 つーちゃん、千景、さくらの三人と、心愛、墨染さん、テニス部の藤森さん(心愛が呼んだ助っ人)の三人が、それぞれ一対一で戦う。


「安心してケイ。ケイの夏休みは私たちが絶対に守るから」


 ありありと自信に満ちた千景の声が体育館に響いた。


「う、うん」


「海とかお祭りとか、ケイの夏の予定は全部私たちで埋めるからね。楽しいことも、気持ちいいことも、いっぱいしよ?」


(気持ちいいこと……って、藤森さんに聞かれたらまずいんじゃ)


「京坂ちゃんはあたしを散歩させなきゃいけないわけだし♡悪いけど、そっちはそっちでよろしくやっててねー。京坂ちゃん抜きで♡」


 姿の心愛は、余裕のある態度でにかりと歯を覗かせる。

 ハーフパンツから伸びた太ももは健康的な小麦色で、曲線美を描いたくびれや肉付きのいいお尻のラインも色っぽい。みんな制服なのにこういうところが抜け目がないというか、心愛らしいといえば心愛らしいんだけど、ちょっとズルをしてる気もする。


「心愛、散歩って何?」


 藤森さんが、心愛に聞く。

 それについては僕も詳細を知りたいところではあるけど、その内容を心愛の口から直接聞きたくないという複雑な気持ちもある。


「ほらあたし京坂ちゃんのわんこだから♡ご主人様がいないと、暇でさ♡」


「わんこって首輪に繋がれるとか、そういうこと?」


「ま、そんなこと♡京坂ちゃんにお願いされたら尻尾つけちゃおっかな♡」


 し、尻尾って……誤解を招くような言い回しはやめて欲しい。僕まで変態だと思われてしまう気がする。藤森さんは「あー、うん」と勝手に納得しちゃってるけど、僕としては不本意以外のなにものでもない。


 断じて、僕が命じてるわけじゃない。

 断じて、僕にそうゆう趣味があるわけではない。


 それはそうとして、この場にいる全員が殺伐とした雰囲気を醸し出しているような気がする。無論、僕を除いてだけれど、不可視のオーラを纏っているというか、目付きがいつも以上に剣呑で声をかけづらい。


 僕は一人蚊帳の外だ。


 呆然と立ち尽くしていると、つーちゃんと心愛が卓球台の隅でがっちりと手を組み合わせ、視線と視線を交差させた。バチリ、と火花が散る。


「おけいはんを賭けて私とやりあおうなんて百年早いんですけど、心愛」


「司こそあたしがどんだけ京坂ちゃんラブなのか、わかってないでしょ?」


「いっとくけど、おけいはんは私にぞっこんだから」


「そうなん京坂ちゃん?♡」


「あー、どうだろ。つーちゃんのことは好きだけど、ぞっこんっていうのは、どうかな?」


「おけいはん!?」


 つーちゃんが、『ショックです!』と言わんばかりに表情筋を釣り上げる。 

 まあぞっこんなんだけど。それを口に出すと後々つーちゃんを調子付かせてしまうだろうし、マウントを取られた状態でいじられるのはちょっぴり癪だ。


 というわけで、ここは話をそらしておくのがベストな選択ではなかろうか。


「二人とも、集中して」


「ぶーぶー、おけいはんがつめたーい」


「これって真剣勝負なんでしょ? ほら集中しないと」


「司ってば、京坂ちゃんにぜんぜん相手されてないじゃん♡それで正妻気取りとかウけるんですけど♡」


「はぁ!? アンタに至ってはおけいはんに毛ほども、これーっぽっちも相手されてないくせによく言うわ!」


「はあん? それは司の主観でしょうが! あたしは毎日京坂ちゃんにアピールしてんだっつの! 継続は力なりって言葉知らないわけ?」


「まあまあ二人とも、落ち着いて。セットポジションについて」


 僕がそうなだめると、つーちゃんと心愛はぶうたれながらも指示に従ってくれた。


 第一試合は腕相撲。審判は僕だ。


 がっちりと握り合った二人の手の上に、僕は自分の手を置いた。

 この手を離せば、勝負開始。現役バリバリのスポーツ少女である心愛と、女子空手界の類稀なる才媛であるつーちゃん(今はもう引退しているけど)の、真向切ってのぶつかり合い。


 正直、どちらが勝つかなんて予想できない。


「ふっ!」


「ぬぅん!」


 心愛が右手に力を込めるとつーちゃんは少しだけ顔をしかめ、腕をぷるぷると震わせながら応戦する。

 力の差はほとんどなく、端的に言えば互角だった。大相撲で一分以上の取組が行われているかのような拮抗した勝負が続き、試合は膠着状態になる。


「まさしく、ゴリラ対ゴリラ」


「うんうん。司と互角なんて心愛ちゃんも、すごいね」


 卓球台の近くで、さくらと千景がそんな会話をしているのが聞こえてきた。

 墨染さんと藤森さんも、二人の腕相撲を見守っている。


「ふぅん! このぉ!」


 つーちゃんは、ぷるぷると震える腕にさらに力を込めた。けれど、心愛も負けじとさらに強い力で押し返そうとしている。

 ほどなくして、バァン! という激しい音を響かせながら、つーちゃんが勝利のガッツポーズを決めた。


 勝者は、つーちゃん。


「はぁ、はぁ……私の勝ち。ほれ見たことか」


「うぅ……こんのぉ、キングゴリラめ……」


「キングゴリラいうなし! でも、よっしゃ、まずは一勝ゲット」


 心愛は心底悔しそうに顔を歪め、つーちゃんは勝利の笑みを浮かべる。


 第一試合は、つーちゃんの勝利で幕を下ろした。第二試合のジャンケンは、千景と墨染さんの勝負だ。


 ジャンケンという大岡裁きにおいて重用なのはいかに相手の手を読むか。少年漫画などではよく動体視力や反射神経が物を言うなどの展開が見受けられるけれど、現実においては初手にこれを出すなどの宣言をして相手に揺さぶりをかけていくのが、鉄板だ。


「悪いけど私、ジャンケンには自信あるの」


「へえ、烏丸ってジャンケンも強いんだ。これだからなんでもできるやつって気に食わないね。でも私も勝率は割といい方だよ」


「勝率とかそういうのを気にしているうちは私には勝てないかな。信じるものには福が宿るんだよ。つまり勝てるっていう自信の強さがジャンケンの強さに直結するわけ」


 ジャンケンの強さ……ね。

 千景は割と弱いような気がするけど。先日も『負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞く』というルールでジャンケンをし、僕があっさり勝っちゃったし。おかげで男のロマンをたくさん叶えられました。はい。


 それはさておき、墨染さんの方も自信満々なことだし、ここはお手並み拝見と行こうか。


「心愛の尻ぬぐいはさせてもらうよ」


「どうぞ、できるものなら」


 両者、気合十分に構える。

 ルールは至ってシンプルだ。三回連続で勝った方が勝者となる。大阪ジャンケンのような負けた方が勝者になるといった変則的なルールは採用していない。


『最初はグー!』


 二人の声が重なり、初手はお互いにグー。

 それから「「あいこでしょ」」の掛け声が何度も何度も繰り返され、五回連続であいこが続いたのち、千景がチョキで墨染さんのパーを打ち破った。


 千景が先取。そこから墨染さんも巻き返し、短いようで長い激戦の末、勝利をもぎ取ったのは墨染さんだった。


 奮闘むなしく敗北を喫した千景は、マスク越しでもわかるほどに悔しそうな表情を浮かべている。


「くー……なんで五回連続パーを出せるかな」


「烏丸って意固地なとこあるからね」


「ふんっ。意固地じゃないもん」


 墨染さんの指摘に、千景はぷいっと顔を背けた。

 なんとなくこうなる気はしていたので、余計なことは言わない。千景は感情の波が激しいので、下手に刺激したりするとあらぬ方向に拗ねてしまうかもしれないし。


 ともあれ、これで一対一。かなり良い勝負だ。


 そして、第三試合。

 お題は卓球なんだけど、この段階で心愛がかなりの策略家であることが露呈した。


 心愛が呼んだ助っ人・藤森さんはテニス部のエースであり、使用する球種に違いがあるとはいえ、それでも運動部に所属していないさくらにとってはかなり分が悪い勝負になることは明白だ。


 チェリーブラウンのロングヘアをポニーテールにしている藤森さんはいかにも素ポーツをやっているという風体で、対するさくらはいかにも文学少女といった外見だ。


 それでも……いつも通り冷静沈着な様子でラケットを構えるさくらを目の当たりにして、僕はなんとなく、勝利の女神はさくらに微笑むんじゃないかと思った。


「醍醐さんってスポーツできるの?」


「できるできないは関係ない。京君をかけて戦うってことは、勝つか負けるかの二択でしょ。なら勝つのはわたし」


「でも私が勝つかもしれないよね?」


「しれないって言ってる人には負けない」


「どういうこと?」


「この勝負の重大さを理解していないってこと。だからあなたはわたしに勝てない」


 さくらの語調は草原に吹くそよ風のように穏やかだったが、そこには確かな自信が感じられた。


 サーブはさくらから。

 赤いラケットがピンポン球を捉えて、軽い音とともにネットの向こう側に飛んでいく。藤森さんが冷静にピンキュウを打ち返すと、さくらは最小限の動きでラケットを振り、ネットすれすれの場所にスマッシュを決めた。


「先取」


 さくらがそう呟いた瞬間、藤森さんの顔色が変わった。

 これより本気モードに移行する、とでも言わんばかりに、鋭い眼差しでさくらに睨みを利かせる。


 それからというもの、互いに一歩も譲らない攻防が続き、緊迫した空気が体育館を包む。


(すごい……!)


 さくらがこんな風に誰かと競い合うところを見るのは、これが初めてかもしれない。

 烈火の如き打ち合いはさながら千紫万紅の乱れ咲き。息を呑むのも忘れて、僕はその一進一退の攻防に釘付けになっていた。


 ここで形勢が傾く。さくらが小太刀を振るうようにしてキレのあるスマッシュを放ったのだ。藤森さんのラケットに当たったピンポン球にぎゅるんとスピンがかかって、明後日の方向へ飛んでいく。


「経験者?」


「はじめて」


「マジ?」


「バッティングセンターで球を打つのと同じ。コツさえ掴めばスポーツのできない人でも140キロの球を打てる。あなたは運動神経はいいみたいだけど、センスがない」


「テニス部のエースなんだけどなぁ……一応」


「これは卓球。テニスとは違う」


 ロボットのように正確無比な動きをするさくらを前に、藤森さんはもうなす術がなかった。

 一ゲーム十一点先取のこの勝負、十一対八でさくらが勝利を手にした。

 

「さっすが桜子! やるー!」


 つーちゃんが感極まった様子でさくらに抱き着く。

 さくらは少しだけ照れたように微笑むと、メガネのフレームを指でくいっと持ち上げた。


「私たちの勝ちだね心愛。夏休みは私らがおけいはんを独占するから」


「んぐぐ……」


 つーちゃんのドヤ顔がよほど気に障ったのか、心愛は心底悔しそうなうめき声をあげる。


「まーでも、京坂ちゃんの気持ち次第だし♡」


「はぁ!?」


 心愛が開き直った。

 僕はこの流れに、少し不吉なものを感じる。


「あたし、京坂ちゃんの奴隷になる覚悟はもうできてっから♡性欲処理したいときは電話してね?♡」


 へ? は、はい?


「は? ちょ、ちょっと! アンタなに言ってんの!?」


 心愛の爆弾発言に、つーちゃんが血相を変えて食いついた。


 千景とさくらも『何を口走っているんだろうのこのクソアマは?』みたいな顔をしている。


 いやホントに……僕は割とオブラートに二人の気持ちを代弁したつもりなんだけど、実際のところはもっとえげつない罵詈雑言を胸中に秘めているのかもしれない。そう思ってしまうほどに、千景とさくらの表情筋はぴくついていた。


「ケイ。ケイからも心愛ちゃんに何か言ってよ」


「あ、あはは……」


 千景に凄まれて、僕は引き攣った笑みを浮かべる。


「京君は、心愛ちゃんに誘われたらどうするの?」


 さくらも怒りを包み隠すことなく、やや憤りを孕んだ口調でそうストレートに聞いてきた。


「えーっと、その……」


「おけいはん!」


「ケイ!」


「京君」


 三人に詰め寄られて、僕は冷や汗を流す。

 心愛はもじもじと身体をよじらせ頬を赤らめながら、僕の答えをじっと待っている。


「心愛には悪いけど、三本勝負で決めた以上、僕の意思は変わらないよ」


「うんうん。よくいった、おけいはん」


「きょ、京坂ちゃん……やっぱりあたしのことが嫌いなんだ」


「ま、まあでも……三人と都合があわない日なら……」


「「「?」」」


 つーちゃんと千景とさくらが怪訝そうに眉をひそめた。

 僕は三人にだけ聞こえる声量で、こっそりと耳打ちをする。


「心愛がまた暴走するかもしれないし……少しぐらい息抜きは必要かなって。もちろん節度は守るよ」


「あー……ね。うん、たしかにそれはそうかも」


「おけいはんも心愛の扱い方がうまくなったね」


「京君が決めたことなら文句はない」


 三人は、やれやれといった様子で引き下がった。

 

「やった♡あたし、いつでもオッケーだかんね♡うちに来てくれるなら全裸待機だってできるし♡」


「ケイ、やっぱダメ。聞いてられない。そんな生々しい約束しないで」


「そうだね……心愛、とりあえずそれはなしかな」


 僕は、苦笑いでそう答えた。

 まあそんな感じで、昼休みは終わりを迎えた。まだちょっと先の話だけど、僕個人としても、みんなと過ごす夏休みは楽しみだったりする。海といえば水着、夏祭りとえば浴衣……うん、なんだか、すごくわくわくする。


 そんな期待に胸を膨らませながら、僕はみんなと一緒に教室へと戻ったのだった。



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