第17話 つーちゃんと心愛

 音。音だ。足音が聞こえる。それに声も。


「ご、ごめん……司ちゃん、あたしら心愛にそそのかされて」


「人のせいにすんな。いいからさっと案内しろっつうの」


「全員、逃げ出そうなんて思わないでね――……私たち本気で怒ってるから」


「二人とも、こっち」


 どたどたと慌ただしい足音が三人分近づいてくる。

 必死で身体を動かしていたから周囲のノイズを無意識の内に遮断してしまっていたようだけど、その足音だけはハッキリと僕の耳に届いた。


 ハッと意識を現実に戻すと、蹴上さんが僕の胸板にぐったりと頭を預けながらあへぇと舌を出していた。


「け、蹴上さん?」


「………………」


(……返事がない。こ、これは、どうやらやってしまったらしい)


 そこでようやく僕も、蹴上さんは失神しているのではないか、と気付いた。

 絶妙なタイミングと言えばそうなのだろう。状況を整理してる間に部屋の扉が開いて、三人分の足音が一斉に室内へとなだれ込む。


『ぁ……、ああああああああああああ!!』

「落ち着いて二人とも。京君を責めるのはお門違い」


 足音の正体はやはり……僕の大切な人たちだったらしい。

 血相を変えて両目を見開くつーちゃんと千景、そして、そんな二人をなだめるさくらが真っ裸で拘束される僕を見て、噴火寸前の火山のようにわなわなと肩をふるわせのであった。


 ※


 水泳部の三人が正座している。

 蹴上さんだけは両手を背中の後ろで縛られている状態だ。


 僕の拘束はすでに解かれており、形勢逆転……という表現もちょっと違う気がするのだけれど、立場が逆転していることは確かだ。


 つーちゃん、千景、さくらはというと、般若のような物凄い形相で四人を睨み付けている。対する蹴上さんも負けず劣らずの気色ばんだ形相だ……。


「警察に突き出されたくなかったら、今すぐ撮った動画を全部消して。それと一生かけておけいはんに償いなさい。いい? わかった? じゃないと」


 つーちゃんは右手を高く振り上げ、スチール缶めがけて手刀を繰り出した。

 鉄の塊がベコリとくの字に凹む。


「アンタたち全員こうだから」


 お、おお……つーちゃんは怒らせるとああなってしまうらしい。怖い。……でも、長丁場がようやく終幕に迎い、ホッとしていることもまた事実だ。

 憤慨するつーちゃんに、蹴上さん以外は流石にビビったようで、涙目になりながらコクコクと頷いている。


「あは……! 司、それであたしを脅してる気?」


 しかし蹴上さんだけは火にガソリンを注ぐような挑発めいた語調で、つーちゃんに食って掛かる。


「……」


 でも、つーちゃんはその挑発にはのらなかった。

 それどころか、むしろ蹴上さんを哀れんでいるようにも見える。


「心愛ちゃん、私……怒ってるから。次ケイにちょっかいだしたら、本当に許さないよ?」


「はぁ? 許さないからなんなわけ? あんたに何ができんの烏丸?」


「……それは挑発のつもり?」


 千景はごそごそとブレザーのポケットの中を漁ると、鈍色に光る果物包丁らしきものを取り出して、右手に構えた。


「ち、千景……どこからそんなもの持ってきたの?」


「司の家から」


「あ、危ないからしまいなさい!」


「ケイをこんな目にあわせた人は、許せない」


 千景の瞳孔は開きっぱなしだ。

 興奮状態になり抑制が利かなくなっているのか、穏やかではない空気を感じ取った蹴上さんも「ひっ」とたじろぎ、水泳部の三人はわかりやすく怯えている。


「は、はは……そ、そんなものであたしを脅すとか、あは……」


「心愛ちゃんは刺さないと思ってるんでしょ?」


「は、はあ? だ、だって、刺したら事件じゃん、大問題じゃん」


「ちょ、ちょっと千景、落ち着きなって」


「大丈夫、司。私はケイのためなら、この人を排除できる。もう二度と、私たちの世界に、足を踏み入れられないように」


「バカ、千景。バカ……! 危ないから、ほら刃物を置いて」


「命まではとらない――……でも、足の一本や二本は覚悟してもらわないと」


「わ……わかったから、烏丸! もう、京坂ちゃんには二度とちょっかい、かけないから……だから」


「謝るならケイに謝れ! このビチクソ×☆△●#&☆□!」


「ち、千景、落ち着けぇ……!」


 つーちゃんは暴走する千景を羽交い絞めにする。

 が、止まらない。サスペンスとホラーが入り交じったかのような、カオスな光景が眼前に広がっている。端的に言って、怖い。


 けれど、こういうときこそ僕がなんとかしないと。


「千景、落ち着いて」


 僕は千景の正面に回り抱き締めながら、彼女の頭をポンポンと軽く叩く。


「大丈夫。僕は、大丈夫だから。だから刃物をしまって」


「ケイ、だけど……私」


「大丈夫。もう大丈夫だよ、千景。つーちゃんも桜も。ありがとう……僕を助けにきてくれて」


 十数秒ほど抱き締めると、ようやく落ち着きを取り戻したのか、千景の瞳に光が戻ってくる。


「蹴上さん」


 僕が声をかけると、蹴上さんはびくりと肩を震わせた。


 内心はじくじたる思いでいっぱいなのだろう。

 先ほどの蹴上さんの独白から彼女の行動原理を紐解いてみる。


 校内三大美女への嫉妬、そして寂しさ(おそらくはつーちゃん絡み)――それらの要素が重なったことで、衝動的な行動に走ってしまったのではないだろうか。


 言葉の節々に「仲間外れにされたくない」という感情が滲み出ていたような気もする。


 だとすれば僕の避けるような態度はあまりにも露骨すぎたし、その行き過ぎた警戒心が裏目に出たともとれる。

  

「ごめんね蹴上さん。ただ普通に話したかっただけなんだよね?」


 できる限り寄り添うようにそう語りかけると、しばしの沈黙の後。

 蹴上さんはぷるぷると肩を震わせ、……そして、わんわんと大声で泣き出したのだった。


 ※


 ひとしきり泣いて、蹴上さんはようやく落ち着いたようだ。

 拘束はすでに解かれている。しかし立ち上がる素振りは見せず、部屋の隅っこで顔を俯かせながら体育座りをしている。


 そんな彼女に声をかけたのはつーちゃんだった。


「みっともないぞ心愛。もうちっとシャキッとしなよ」


「……司にだけは言われたくないし」


「おけいはんを拉致して、おけいはんに救われたのに、そうやってまだ自分を守ろうとするの? アンタ、昔から何も変わってないじゃん」


「うるさい……」


 蹴上さんはごしごしと目を擦りながら、悪態をつく。


「あたしをこんなのにしたんは司じゃんか……遊べない、遊べない、次の日も遊べないって……あたしをほったらかしにして、新しい友達を作ったのは、司の方じゃんか……!」


(やっぱりつーちゃん絡みだったか……)


「……言ったじゃん私。創作活動に本気で打ち込みたいって。ほったらかしにしたわけじゃない、心愛がそう思い込んで勝手に拗ねて、勝手に周りが見えなくなっただけでしょ」


「そ……そんな言い方しなくてもいいっしょ!?」


 つーちゃんと蹴上さんの言い合いは徐々にヒートアップしていく。

 二人の言い分をかいつまんで要約すると、どうもこういうことらしい。


 小学生時代。

 同じ道場で空手を習っていた二人はいわゆる『親友』という間柄だったが、中学に上がってつーちゃんが創作活動に打ち込み始めたことにより、次第に距離が遠くなっていった。


 気が付けばつーちゃんの隣には千景とさくらがいて、裏切られたと思い込んだ蹴上さんは三人を目の敵にし、ことあるごとにつーちゃんたちを目の敵にした。


 校内三大美女に一目惚れした男子たちを誘惑したり……まあ他にも色々、ちょっかいをかけていたとのことだけど……。


 要するに蹴上さんはつーちゃんのことが大好きで、それ故に、かまって欲しいという感情を爆発させてしまったというのが僕の見解である。

 なんというか、掘り下げれば掘り下げるほど、嚙み砕けば噛み砕くほど、こじれた恋バナでも聞かされているようで拍子抜けしてしまう。


 これらを踏まえて、僕の立ち位置を冷静に分析してみる。


(いやもう……蹴上さんからすれば誰だあのぽっと出のクソ野郎はって感じだよね)


 つーちゃん、千景、さくらの隣に立つということは、つまりそういうことなのである。


「だいたいねえ、心愛……あんたのやったことは犯罪――」


「つーちゃん、もういいよ。僕のために怒ってくれてありがとう。……えと、その、なんて言えばいいのかな。……確かに蹴上さんたちがしたことは許されないことだと思うけど、過ちは誰にだってあると思うから……」


「思うから?」


「僕は蹴上さんたちを許すよ」


「ケイ?」


「京君?」


「でもさ、おけいはん……ううん、やっぱなんでもない。おけいはんがそう言うなら……私は折れるしかないし。でも」


 つーちゃんは蹴上さんのおでこを、指でピンッと弾いた。


「心愛。アンタは二度とこんなことはしないっておけいはんに誓いなさい」


 蹴上さんは額をおさえて目を潤ませながら、こくり、と頷いた。


「きょ、京坂ちゃん……ごめん。ごめんなさい、あたし」


「ううん。僕の方こそ避けるようなそぶりをしてごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど、蹴上さんたちからはそう見えたんだよね? ごめんね」


「……うう、ん。あたしが悪いんだ……ゼンブ……ぅ……ぅ」


 弱った人の泣き顔は、ズルいと思う。

 実際に目の当たりにしてしまうと、どうしても手を差し伸べたくなってしまう。それが人情というものなのか、はたまた、僕が甘いだけなのか。


 何はともあれ、蹴上さんの誤解を無事に解くことができてよかった。


「司……あたしら、またトモダチに戻れっか……な?」


「はぁ? だ、だから、私はトモダチをやめたなんて一回も言ってないし」


 それがつーちゃんの答えだった。

 今も昔もこれからも変わることがないであろう、つーちゃんの本音なのだろう。


 勝手に勘違いしてしまった蹴上さんはというと、ぶわっと涙を溢れさせ、つーちゃんに抱きつき泣きじゃくった。


 ※


 翌朝の教室。


「離れろ心愛、おけいはんから、はーなーれーろぉ……!」


「ムぅリ~。だって、あたしもう京坂ちゃんの専用ペットになるって決めたから♡」


「はぁぁ?」


「ねぇ、京坂ちゃん♡十本勝負、完敗しちゃったからあたし一生かけて京坂ちゃんにご奉仕すんね♡」


「そ、それは光栄だけど……遠慮しとくよ」


「あは♡京坂ちゃん、マジでかわいい……ヤバ♡なでなでされたい♡」」


 僕の腕にしがみつき、ほっぺたをすりすりと擦り付けてくる蹴上さん。地団太を踏んでるつーちゃんはともかく、僕は千景の顔が怖くて見れない。


「おい心愛、表出ろぅい! アンタ反省が足りてないんじゃない!?」


「ふん、道場じゃあたしと司の実力は五分だったもんね。ここらで京坂ちゃんを賭けて、白黒つけようじゃん」


「上等。アンタとは決着をつけなきゃいけないって思ってたんだよね。今日こそケリつけてやる……!」


 ヒートアップするつーちゃんと蹴上さん。

 そこに、のそのそと千景が歩いてきた。


「ね、それ。私も混ぜてくれるかな?」


「あ、え……あはは、烏丸も?」


「どうした~心愛、さっきの威勢はどこいったん?」


「司もだよね。三人でケイを奪い合うんでしょ?」


「つ、司……コレ逃げた方がよくない? ヤバイってコレ」


 つーちゃんと蹴上さんは顔を引き攣らせて後ずさる。


 そんな二人を見て、千景はと微笑んだ。


 教室中の視線を集める僕は、ただ、笑うしかなかった。

 僕の平穏な日常が、遠ざかってゆく……ような、そんな気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る