第15話 拉致
社会見学は半日コースのプログラム。
国語教諭の安藤先生に引率してもらい電車に三十分ほど揺られて、僕たちの学校がある京都市から隣の宇治市へ。
うちの班は抹茶工場の見学であり、実際に茶を点てたり、着物を身につけ記念写真を撮ったり――と、見学は、おおむね好評だった。
他のクラスの男女は楽しげに和気藹々としていたけれど、僕たちの班はというと……
つーちゃん、さくら、千景の三人が僕の両脇をがっちり固めながら、蹴上さんと、そのお友達(名前がわからない)の接近を、常時警戒していた。まるでSPみたいに。
男子一人。
女子七人。
この班構成に問題があるというよりは、校内三大美女と蹴上さんのグループに問題があるのだろう。
竜虎相まみえるといった雰囲気で、お互いを牽制し合っているようないないような、とにもかくにもただならぬ緊張感が終始漂っていた。
でもなんだかんだで、三人も蹴上さんたちも班行動を楽しんでいたと思う。僕もひとりぼっちにならずに済んだし、とても充実した一日を過ごすことができた。
そんなこんなで、抹茶工場を見学した面々で集合写真を撮り、解散という運びになった。
蹴上さんたちは他のクラスの生徒たちとカラオケに行くようで、僕も誘われたのだけれども、ハッキリと参加を断っておいた。
千景とつーちゃんとさくらが、僕を離そうとしなかったからだ。
*
『蹴上:おーっす京坂ちゃん。心愛だよん♡ カメラ忘れてたよー。届けたいんだけどさ、なんかあたし司たちに避けられてるっぽいから、京坂ちゃんがこっち来てくれない?』
校内三大美女と帰路についていると、蹴上さんからラインのメッセージが届いていた。IDは教えてないはずなのに、どうして僕の連絡先を知ってるんだろう?
不思議に思いながらも、とりあえず返信する。
『京坂:いまみんなと一緒にいるから、明日学校で受け取るとかでもいいかな?』
すぐに既読がついた。
そして、またすぐにメッセージが届く。
『蹴上:京坂ちゃんもあたしのこと避けるんだ。あたしらさっき別れたとこじゃん、近くだから来てよ』
『京坂:避けてはいないよ?』
『蹴上:さっきあたしらのいるところから離れていったじゃん。司だけじゃなくて烏丸たちとも仲良かったんだね。ま、そりゃあたしのことなんかどうでもいいか。とにかく、こっちに来て、カメラだけでも受け取ってくんない?』
なんというか、誤解を生んでいるような。
避けるというよりは、僕の軽率な行動が火種にならないよう距離を置いていただけなのだけれど、それが逆に蹴上さんの不満を煽ってしまったらしい。
僕は少し考えてから、スマホを操作して返信文を打ち込んだ。
『京坂:わかった。どこにいるの?』
『蹴上:駅前のカラオケボックス。待ってるよ♡』
ふむ。
さて、みんなにはなんて説明しよう?
蹴上さんに呼び出されたなんて言ったら、変な誤解を受けそうだし、忘れ物をしたと伝えて、蹴上さんのことは伏せた方がいいかな?
「あのさ、みんな。先に帰っててくれないかな」
「どうしたん、おけいはん?」
「忘れ物しちゃったみたいでさ。取りに行ってくる」
「ならわたしたちも行くけど」
「それは悪いし、つーちゃんちで集合だよね? 先に帰って、みんなで待っててよ」
三人は顔を見合わせ、こくりと頷いた。
僕は蹴上さんと深い関わりがあるわけでもないので、彼女が本当に危険人物なのかは正直なところ判然としない。
けれども、つーちゃんたちがここまで僕に過保護になるということは何かしらの理由があるってことだから、危険な香りがするお誘いには乗ったりせずに、カメラを受け取ったらまっすぐ帰ることにしよう。
そうと決まれば、さっさと済ませてしまうに限る。
僕は三人に手を振ってから、やや小走りで目的地まで向かった。
※
駅前のカラオケボックスに到着。
宇治市の地理はそこまで詳しくないので、少しだけ道に迷ってしまった。勿論、スマホでマップアプリを立ち上げればある程度の経路を案内してくれるのだけど、僕のスマホは電波を受信する力が弱いのか、矢印の方向が逆さを向いたりして、逆に行き先を見失ってしまうこともある。
(安物……の、限界なのかな)
まあ、それはさておき。
一階のフロントで忘れ物を取りに来た、すぐに帰るという旨を店員さんに告げ、蹴上さんに指定された部屋番のドアを開けると、四人の女子が僕を待ち構えていた。
……な、なんだか、すでに異様な雰囲気だ。
「おー、京坂ちゃん。来てくれてありがとうね」
蹴上さんは僕の腕に抱きつくと、さっそく部屋に引っ張り込んだ。
むにん、と柔らかな感触に包み込まれ大変気まずい。
「え、えと、僕、カメラを取りに来ただけだから……」
「疲れたっしょ? とりあえずジュースだけでも飲んでったら?」
オレンジジュースの入ったコップを手渡される。
断るのも悪いと思ったので、コップの中身を一気に飲み干し、テーブルに置く。
「ありがと。おいしかったよ。じゃあカメラを」
「あー、カメラね、うんうん。はいこれ」
蹴上さんはヒョウ柄のポーチから、僕が愛用している一眼レフカメラを取り出した。
それを受け取ろうとして……ぐらり。僕の身体は引力に弄ばれるようにして、あちこちに傾き、どんどんバランス感覚を失っていく。
意識に霞がかかっているような気がする。そんなことを考えている間にも、僕の身体はソファーに誘われ、テーブルに突っ伏す寸前にまで傾いていって……。
(ま、まずい……まずいぞこれは)
このまま眠ってしまうのは、駄目な気がする……。
なにせ、これは明らかな『異常事態』だ。薬か何かを盛られた可能性だってある……。
(なぜ……? どういう目的で?)
眠ってしまうわけにはいかない。
いけないんだ……けど……。身体から力が抜けていき、瞼を開けていられなくなっていく……。
もはや抵うことなどできない強烈な眠気に襲われた僕は、そのままテーブルに突っ伏した状態で瞼を閉じてしまった。
意識を手放す直前。
心配性で過保護な校内三大美女の顔が、脳裏に浮かんだ。
※
目を覚ますと、僕は見知らぬベッドの上で横になっていた。
まだ朦朧気味の意識を無理やり覚醒させていく。
大丈夫……ちゃんと覚えてる。カラオケボックスで蹴上さんから手渡されたジュースを飲み干したら、強烈な眠気が襲ってきたのだ。
仰向けのまま首だけをよじって、部屋の中を見渡してみる。
こ、これって……。ラブホテルなんか来たことがないけど、妙に毒々しいネオン色のライトが、その類いの宿泊施設だということを如実に物語っている。
ひとりそんな考察をしていると、部屋のドアが開いた。
入ってきたのは……やはり、というか、そうあって欲しくなかったけれども、蹴上さんだった。
「お、目覚めた? おはよう京坂ちゃん。どうこれ?」
青のスクール水着に身を包んだ蹴上さんが、僕の前でくるりと回る。
小麦色の肌と艶めく青のコントラストが眩しい……って、そうじゃない。
「ぐう……」
「兄貴にもらった睡眠剤、すげー効くっしょ? まだ身体動かないと思うよ」
「どうしてこんなことを……? 僕に薬を盛った目的は?」
「それは秘密♡お~い京坂ちゃんが目ぇ覚ましたし、そっちも準備済ませてね」
準備? 何のことだろう。僕は今、どういう状況なんだろう?
ぼんやりとした頭で考えるけど、よくわからない。思考が定まらない。
ああでもないこうでもないとぐるぐる考えを巡らせていると、またもや部屋の扉が開かれた
蹴上さんの取り巻き×3があらわれた。
しかもなんと、三人ともスクール水着を装着している。
「……どうしてみんな水着なの?」
今聞くことはそれじゃないと頭では理解しつつも、シュールな光景に質問せずにはいられない。
「あたしら水泳部なんだよね。今日は京坂ちゃんといっぱい泳ごうと思ってさ」
「心愛の背泳ぎはすごいよ~」
「てかさ
「はぁ? 司なんか怖くないし。てか、アンタたちも好きな人、みんなあの三人にとられてんじゃん。その腹いせにさ、ちょっとくらい、いい思いしてもよくない?」
蹴上さんと取り巻き×3は僕を見下ろしながら、ケラケラと笑った。
こ、怖い。女子の含みのある笑みってめちゃくちゃ怖い!
「いまのうちに拘束具、つけとこっか。京坂ちゃんが、暴れたら危ないからさ。あたしら女子だし」
「おっけー」
危ないのはキミたちの方だ。
「ちょ……え……?」
蹴上さんと、名前も知らない三人の女子は、ベッドに膝を乗せながら、僕の手足に拘束具を取り付け始める。
ひゃ、ひゃわああ!
なす術もなく手首と足首をベルトで固定され、まるでキリストの磔刑みたいに両腕はバンザイ状態。物理的に動けなくなった僕の顔を覗き込みながら、蹴上さんは口許にニヒルな笑みを添えた。
「M男くん調教用の拘束具だよ。これで縛られたら、男はもう逃げられないんだよね」
(ぼ、僕はMじゃないぞ。って違う……そうじゃない!)
「な、何してるの? いたずらにも限度ってものがあると思うけど?」
「今何をしてるかを考えるより、これから何をされるかを考えた方がいいんじゃない?♡」
た、確かに。
ってなに、誘拐犯にあっさり諭されているんだ僕は。
「水泳部の特別レッスン、はじめよっか」
「……特別レッスン?」
「そう。もちろん動画も撮るかんね。後からどこがよかったとかわるかったとか、反省会もするし」
「ね~」
「京坂君、よかったね。ハーレム好きでしょ、男子って」
何を言ってるんだろう、この人たち……。
望まないハーレムには絶望しかないというのに。
「……僕は、これからつーちゃんたちと約束があるんだ。こんなことはやめて、帰してよ」
僕は、精一杯の勇気を振り絞ってそう訴えかけた。
蹴上さんたは少し驚いたように目をしばたたかせたけれど、すぐにゲラゲラと耳障りな笑い声を発し始めた。取り巻き三人とひとしきり笑った蹴上さんは、ほどなくして、僕の顎をくいっと人差し指で持ち上げた。
獲物をロックオンした爬虫類のような瞳が、僕を射貫く。
「京坂ちゃんのそういう態度が腹立つんだよね。あたしらのことしか考えられないようにしてやっから。司のことも烏丸のことも醍醐のことも忘れてさ、あたしらだけの男にしてやるから」
蹴上さんは僕の顎を持ち上げる指を引くと、もう片方の手で僕の胸を突き飛ばした。
拘束具がガチャンと鳴る。
「じゃあ一番からはじめよっか」
「は~い。
取り巻きの一人である墨染さんがワンレンロングの黒髪を揺らしながら接近してくる。
いつの間にか、いや眠っているときに脱がされたんだろうけど……僕は現在、制服を身に着けていない。上は白い半袖Tシャツ、下はボクサーパンツのみという、なんとも情けない装いだ。
このまま衣服を全て剥ぎ取られてしまうのか、はたまた別の角度から僕を攻め立てる気なのか。
墨染さんのとった行動は後者で、どこからともなく取り出したオレンジ色のキャップのボトルを、僕の身体の上で逆さに向けた。
「京坂君。じっとしてなよ~」
「ちょっ、え、あ」
直瀑の滝のようにボトルから降り注いできたのは、高粘度の液体だ。
つ、冷たい。これってローションだよね……?
墨染さんは僕の胸元にできたローションの湖を両手でまんべんなく広げていく。全身をまさぐられ、ゲル状の液体がシャツとパンツに侵食し、肌にまで染み込んでくる。
(お、オトナのお店みたいな展開なんですが!?)
「平泳ぎってね、胸筋を鍛えないと速く泳げないんだよね~。練習の成果、京坂君の身体で試してあげるね」
墨染さんは水泳における豆知識をひけらかしながら、僕の身体に覆い被ってくる。
「
「ご、ごめん心愛」
取り巻きの二人が、慌ててスマホを構える。
「……蹴上さんが何をしたいのか、僕にはさっぱりだ」
「ん~、しょーじき京坂君に恨みはないんだよね。でも校内三大美女とかいわれてもてはやされてるアイツらはムカつく。だからさ、あの三人のことを一度でも好きになった男子は、みーんなあたしが食べてやったんだ。男なんて一発やらせたらあたしにメロメロになるし、あの三人の人気も知れてるよねー。マジでウケる」
なるほど。
ようやく合点がいった。
蹴上さんは『校内三大美女』にお熱な男子たちを、手当たり次第自分のものにしてきたのか。正攻法じゃ敵わないから、こんなねじ曲がった方法で。
理解はできても共感や納得には至らない。僕に恨みはないと宣いつつも、あの三人と仲よくしていることは気に食わない……暗にそう言ってることを彼女自身は気付いていないようにも思える。
睡眠薬まで使って、こんなことを。
許せない。何が一番許せないって、それは僕自身の警戒の甘さだ。
つーちゃんたちがあれだけ僕を守ろうとしてくれてたのに、それを台無しにしてしまった。
こんなことになってしまったのは全部、僕のせいだ。このまま、あの三人のことを嘲笑されたまま……終われるわけがない。
「キミが簡単にやらせてくれるってだけで……同じ条件なら、みんなつーちゃんたちを選ぶよ。でも同じ条件にならないから、あの三人は尊いんだ。キミは……男子たちをうまく扱ってるつもりかもしれないけど、むしろその逆。ただ……都合のいい女と思われるだけだと思う」
そう反駁した瞬間、墨染さんの平手が僕の頬を打った。
ひりつくような痛み。視界が揺れる。
「心愛のこと悪く言わないでくれる~?」
「樹里、いいからいいから。京坂ちゃんは何回目で堕ちるかな。そうやって、えらそーなこといえるのも今だけだと思うよ?」
「……」
まったく、警察沙汰になる悪事に手を染めておきながら、これが若さゆえの過ちというやつなのかな。
……冷静じゃないことは明らかだ。正常な判断を失っている蹴上さんに僕の言葉は届かないだろうし、拘束されている以上、僕はここから逃げ出すことも叶わない。
それなら。
僕は蹴上さんの思惑を真っ向から叩き潰してみせる。つーちゃんと千景とさくらの方が大事だってことを証明してみせる。
僕は、墨染さんの後ろでほくそ笑む蹴上さんを睨み付けた。
「キミになんか堕ちたりしない」
「いいね。あたしのもろ好み。京坂ちゃんみたいなのが、一番壊したくなるんだよね」
蹴上さんは自信満々に微笑んだ。
ここから先は、僕とこの人の我慢比べになるだろう。
(……よーし。頑張るぞ)
僕は目を瞑って深呼吸し、静かに、気合いを入れ直した。
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