第7話 ヒモの始まり3

 放課後。

 僕は早速バイト先に行くことになった。

 といっても、小野さんが一人暮らししてるマンションは学校から四駅先の場所にあるとのことなので、電車で向かうことに。


 ガタンゴトンと揺れる車両の端っこで手すりを摑みながら、これからどうなるんだろう、という行き場のない不安を覚える。


 そんなこんなで目的地に到着。


 うわあ。すごい。

 賃貸じゃなくて分譲マンションだ。


 外観はすごく高級感があって、駅近で家賃は高そう。おまけにオートロックのエントランスがあるし、セキュリティ面もバッチリだ。しかも小野さんの部屋は最上階にあるらしい。


 校内三大美女とエレベーターに乗り、最上階へ。


 チン、と音が鳴り。

 勝手知ったる感じで共用廊下を突き進む三人の後についていくと、小野さんは一番隅っこにある部屋の前で足を止め、プッシュプル型のドアノブに鍵を挿し込んで扉を開けた。


「うーい。入って入って」


「お、おじゃまします」


 僕はおっかなびっくり、小野さんの家へと足を踏み入れる。


 部屋の間取りは4LDK。玄関にはシューズクロークがあり、可愛らしいデザインのスニーカーが何足も収納されていて、小野さんが靴好きであることが一目でわかった。


 リビングのソファも革張りでフカフカだ。カーテンや家具は白と黒を基調としていて清潔感があり、シックでオシャレな空間になっている。


(なんか……緊張してきた)


「おけいはん、遠慮はしないでいいからね。ほら座った座った」


「あ、うん」


 小野さんに促される形で、ソファに腰を下ろす。


「司は何食べるー?」


「とりま、いつもので。おけいはんのも持ってきてあげて」


 勝手知ったる我が家のように冷蔵庫を物色していた烏丸さんと醍醐さんが、ジュースとマカロンをトレイにのせてテーブルまで運んできてくれた。


「オレンジジュースにしたんだけど。あ、コーラとかの方がよかった?」


「いえ、お構いなく」


 僕の顔を覗き込んでくる烏丸さんに、恐縮ですのポーズを取りながら、膝に両手をついて顔をうつむかせる。


 ドクンドクン……と、心臓が高鳴っている。


 緊張と幸甚の念が合わさり、マグマのようにゴポゴポと熱された血が、かつてない速度で体内を循環しているのがわかる。


「京坂くん。遠慮せずに食べてね」


「あ、うん。ありがと」


 醍醐さんがお皿の上のマカロンを指差して言うので、僕はひとつ手に取って口に放り込んだ。


「あ、おいしい」


 味も抜群だし、見た目の華やかさもいい。


 カラフルで高級感があって、お菓子の家のえんとつ部分にこのマカロンをぺたぺたとくっつけたら、さぞや幻想的な光景になることだろう。


「京坂、もしかして緊張してる?」


 やおら自然な動作で僕の隣に腰掛けながら、烏丸さんがそう尋ねてくる。


 その隣に小野さんが座り、対面に醍醐さんが座る。


「うん、ちょっとね。僕、こうして同級生とお話するの慣れてないから」


 美少女三人に囲まれるという、とんでも青春イベントになかば戸惑いつつも、僕はみんなに提案してもらったバイトについて質問してみることにした。


「それで、僕は何をしたらいいのかな? 今日は見学って話だったけど」


「放課後は司の家に集合。で、夜までここにいてもらう。それがバイトの内容かな」


「放課後集合するだけ?」


「簡単に言うねえ、おけいはん。それが一番大変だと思うけど?」


 小野さんがにかっと歯を覗かせて笑う。


「どうゆうこと?」


「土日以外はわたしたちと夜まで一緒ってこと。口で言うのは簡単だけど、かなりしんどいと思うよ」


 醍醐さんがそう補足してくれる。


「……」


 僕が言葉に詰まると、烏丸さんはこう続けた。


「でも、バイトは京坂の体調に合わせて行うから。そこは安心していいよ」


「あ、うん」


 三人の口ぶりから察するに、僕がしんどい思いをするのは決定事項らしい。


 その『しんどい』には男子生徒の夢や希望が詰まっているということを、小野さんも烏丸さんも醍醐さんも自覚していないらしい。


 自己評価が低いといえばいいのか、『校内三大美女とずっと一緒』というフレーズは、僕みたいなモブ然とした男にとっては、内蔵を抉るレベルのパンチラインだというのに。


 控え目に言って、『楽園』。


 それ故に、『地下施設』で強制労働をするみたいなニュアンスで説明を受けると、互いの認識が乖離しているようで、ちょっぴり後ろめたくなる。


 僕からすれば渡りに船……。


 しかし。このバイト。

 烏丸さんたちにとって、何かメリットはあるのだろうか?


「じゃあ、その……掃除とか、邪魔にならない程度に手伝わせてもらおうかな」


「いいの? めっちゃ助かる。千景と桜子まったく掃除しないからさ」


「うんうん。私、掃除とか苦手なんだよねー」


「わたしも」


 二人の掃除しない宣言に、小野さんがわかりやくす顔をしかめる。

 

 小野さんは案外、苦労人なのかもしれない。


 掃除や雑用をこなすだけで時給五〇〇〇円。しかも美少女付き。


 まるで神様が仕組んだような展開を未だに僕は信じられずにいて……みんなは応援したいって言ってくれてるけど、甘えるだけじゃダメだと思うし。


 僕は僕にできることを全力でやり抜こうと、そう決意を固めるのであった。


 *


「コンビニいくけどいく人いる?」


「わたし行く」


「んー……私は京坂と待機かな」


「おい千景、おけいはんに変なことするなよ」

 

 小野さんがジト目をこさえて、烏丸さんを牽制する。


「変なことって?」


「なんていうか、こう、あるじゃんそういうの。ほら、おけいはんと千景が二人きりだとまずい的な」


 小野さんの言う『まずいこと』というのは、思春期真っ盛りの学生であれば誰でも考えてしまう、アレのことだろう。

 注意すべきは、男である僕の方だと思うのだけど。


 烏丸さんは少し考えるような素振りをみせたあと、マスク越しににんまりと笑った。


「あー、大丈夫、大丈夫。抜けがけはしないから」


「よし、ならいいけど。二人はなんか欲しいものある?」


「んー……じゃあ、ローストビーフ挟んだパン買ってきて」


「げっ、それ……奥セブにしかないやつじゃん。おけいはんは?」


「僕もいいの? じゃあ小野さんと醍醐さんのチョイスにお任せするよ」


 小野さんは右手をピースサインの形にして「ブイ!」とはにかんだあと、財布を手にして立ちあがった。


 そして部屋を出ていく直前、再度、烏丸さんに目配せをした。

 それが釘を刺すサインだということはなんとなく僕にも理解できたし、烏丸さんも烏丸さんでしつこいといわんばかりに眉根を寄せつつ、首肯する。


 必然的に烏丸さんと二人きりになる。


 やばい。ドキドキが止まらない。


(し、仕事でもするかな……うん)


 女の子とマンツーマンという状況に慣れてない僕が掃除でもしようかと立ち上がったところで、「どこに行くの? 京坂」と烏丸さんにがっちりと腕を掴まれてしまう。


「へ、あ」


「どーん」


 そのままソファーに押し倒される形になり、烏丸さんはマウントポジションを取るようにして、僕の身体に跨がってきた。


(……!?)

 

 何が起きているのかわからなくて、僕の思考回路はぶっ壊れた懐中時計みたいにガチゴチと停止してしまう。


「ちょ、な……なに……!?」


「んー……なんだろ、衝動に身を任せたっていうか」


 烏丸さんはにへらと目を三日月の形にしながら、ゆっくりと顔を近づけてきて――、マスクを着用したまま、唇を重ねてきた。


(…………!?) 


 布越しに伝わる柔らかな感触。

 無論、マスクの表面は固くてごわごわしているのだけれど、その奥にはしっとりとした柔らかさと確かな熱が混在している。


 十秒ほどして――、烏丸さんが唇を離す。

 マスク越しに見える瞳は潤んでいて、耳まで赤く染まっている。


(え……ええ……?)


 本当にわけがわからないんですけど!?


「今のは……マスクつけてたからノーカン。京坂は……キスしたことある?」


「な、ないよ、そんなこと」


「私も、したことないんだ……。ファーストキス交換しない? 京坂は、私のファーストキス欲しい?」


 切れ長の目にねっとりとした湿度を孕ませながら、烏丸さんはそんな問いかけをしてきた。


(ちょ……ちょっと待って!?)


 矢継ぎ早に、目まぐるしく展開が変わるので思考が追いつかない。


 な、なぜ? どうしてこうなったんだ?


 説明を求む!!


 そんな僕の心情などお構いなしと言わんばかりに、烏丸さんは切れ長の目の奥に、獲物を視界に捉えた猛禽類のような光を爛々と宿したのであった。


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