第5話 ヒモの始まり1

 四月も中旬に入り、桜が散り始めた。

 なんとなく、今年の桜が散るのは名残惜しい気がする。


 今日は、バイトが休み。うちで妹とトランプをしてたら、父さんから『夕飯はあかりと先に食べてくれ』とラインのメッセージが送られてきた。


 うちは父子家庭で、母さんは僕が小学生の頃に他界している。


 父さんは夜遅くまで働いていて、帰りが遅くなることも多い。そんな日はあかりと二人で夕食をとる。僕がバイトで夜遅くまで帰れないときは、あかりは一人だ。


 いつも寂しい思いをさせてしまっているぶん、こういう日は兄として妹に出来る限りのことをしてあげたい。はたから見れば僕はマスターと枕詞がつくレベルの重度のシスコンなのだろうけど、家族ファーストを掲げているので、誰にどう思われようがノープロブレムなのである。


 ちなみに、あかりは中学三年生。

 性格は温厚で、優しい子だ。わがままは滅多に言わないし、いつも家族のことを一番に考えて行動してくれる。その優しさに胸が苦しくなったことは、一度や二度じゃない。


 この苦しいは嬉しいと同義だ。

 愛する妹のため、僕は僕にできることに全霊を傾けたい。



 そんなわけで現在、スーパーマーケットで夕飯の食材を調達中。献立は、肉じゃが、ひじきの煮物、豆腐とわかめの味噌汁にしようかな、と。


 出来合いのものを買うより、手作りの方が安く済むし(自炊のやり方にもよるけど)、それに栄養バランスという点を鑑みれば、こっちの方が家族の健康にもいい。


 野菜、肉、海鮮コーナー、そしてグロッサリーの通路を一通り見て、必要なものを購入していると――ふと、視界の端に見知った人物を捉えた。


(あれは……烏丸さんに小野さん?)


 制服姿の二人だった。

 烏丸さんはいつも通り黒マスクを着用しており、小野さんは相も変わらず校則違反ギリギリの短いスカートで店内をぶらぶらと散策している。


(こんなところで何をしているんだろう?)


 ここは駅前にあるスーパーだ。

 烏丸さんは、うちの近所に住んでいるわけじゃない。隣の市にあるマンションに住んでいるはずで、わざわざ家から離れたスーパーマーケットに足を運ぶ理由なんてないはずなんだけど。


 二人とも買い物カゴを持つわけでも腕にさげるわけでもなく、きょろきょろと何かを探すように店の中をほっつき回っているので、悪く言えば挙動不審な人物……


 まあ、容姿が抜群に優れていることから、目立つ要因としては、そっちの方が勝っているんだろうけど。


 どちらにせよ、僕には関係のない話だ。

 こちらから話しかけるほど仲は良いわけでもないし、むしろ話しかけたら話しかけたで困らせると思う。


 僕は二人がいる方向とは逆の、野菜コーナーを通って、レジに移動することにした。


 お会計を済ませて、何事もなく帰宅しようとしたのだが――。


 店を出たところで、とんとん、と肩を叩かれた。

 振り返ると――そこには烏丸さんの姿があった。


(うぉ……!?)

 まさか気づかれているなんて思わなくて、僕はつい驚いてしまう。


 そんな僕の反応に、烏丸さんは申し訳なさそうに両手を合わせた。

 マスクをしているため表情は判然としないが、仕草だけでそれが謝罪のポーズだとわかる。


「ごめんね京坂、びっくりさせちゃって」


「あ、ううん、気にしないで」


 僕はぎこちない口調でそう返す。


「京坂はいま何してるの?」


「バイトが休みでさ。夕飯の買い出し」


「もしかして京坂の手作り?」


 烏丸さんは無邪気な子供のような声のトーンで、そんなことを聞いてくる。


「そうだけど」


「へー、ふーん。ね、京坂。そこの喫茶店で、一緒にお茶しない? 司もいるんだけど」


 と、烏丸さんはスーパーの駐車場から遠目に見える喫茶店を指さした。喫茶店の前には、いまさっき見たばかりの小野さんの姿がありましたとさ。


 しゅ、瞬間移動ですか?

 てか、ちょい待ち。


(あれ? もしかして僕、お誘いを受けてる?)


 いや、でも、野菜とかお肉とか早く冷蔵庫に入れないといたんでしまうし、妹がお腹を空かせて待っているわけで。


 …………。

 でも……ちょっとくらいなら、いいかな?


(こんな機会滅多にないし、今日くらい……)


 なんて思った僕は、こくりとうなずいた。


 あかりに美味しい夕食を作ると豪語した手前、ちょっぴり罪悪感をおぼえてしまう。しかし夕飯は逃げないと自分に言い聞かせて、烏丸さんのお誘いに応じることに。


 長話になることもないだろうし。


 僕のイエスの反応を受けて、烏丸さんはぱぁっと笑顔になった。


 一目で上機嫌だとわかるテンションで、喫茶店の方へと歩いていく。僕もそれに倣って、烏丸さんの後をついていく。


 小野さんが店頭看板の横に立ちながらニコニコと手を振ってきたので、僕は戸惑いながらも手を振り返すのだった。



 ※



「ふたりはスーパーで何してたの?」


「んー……、ちょっとね」


「どこから説明しよっかなあ」


 烏丸さんと小野さんは僕の質問に対してはぐらかすような素振りを見せながら、それぞれジュースのストローに口を付ける。


 学校のパーフェクトアイドル――『校内三大美女』の二人が、モブである僕なんかをお茶に誘うなんて、普通じゃありえないことだ。


(な、なんだろう……)


 僕は漠然とした不安を感じた。

 不透明で曖昧であやふやで謎めいていて、いつまでも経っても核心にたどり着けない霧の結界の中をさまよっている気分。


 僕に対して、何か不満を感じている、とか?


 だとすれば潔く謝ればいいだけの話だし、先ほどの烏丸さんの笑顔を脳裏に浮かべる限り、その手の話題ではないような気もするけど……。


「そういえば、今日は醍醐さんはいないんだね」


 仲良しトリオの残り一人の姿が見当たらないので、僕は烏丸さんと小野さんに向かってそう尋ねた。


「桜子は一足先に京坂んちに向かってるよ」


「へ……?」


(な、なんで僕の家に?)


 そ、そもそも僕は……なぜこのふたりにお茶に誘われたのかすらわかっていないのに……。


 僕のそんな疑問を察したのか、小野さんはピコーンとクイズ番組のボタンを鳴らすかのようなテンションで、意気揚々と口を開いた。


「おけいはんノート忘れてたっしょ。今日の板書ないと宿題わからないって、桜子が」


「な、なるほど」


 そういうことか……。それでわざわざ僕の家にノートを届けに、足を延ばしてくれていると。醍醐さんは聖女なのだろうか。


「一足先ってことは僕を探してたってことだよね。もしかして烏丸さんと小野さんも……僕の家に来る予定、とか?」


「んー……てか、一回行ったんだよね」


「そそ、それでおけいはんがいなかったからさ。妹さんにどこ行ったか聞いたら、スーパーに行ったって言うから」


「……」


 僕は思わず、烏丸さんと小野さんの顔を交互に見た。


 すると二人は示し合わせるかのように、悪だくみする子供さながらの笑みを満面にこさえた。烏丸さんはマスクを着用しているので、両目のはにゃ具合でそう判断を下したのだけれど。


「いや、その、ノートを届けて貰ったことは嬉しいんだけど、普通妹に渡したらそのまま帰るよね? ……なんでわざわざここまで迎えに?」


「まー、それはこっちの事情、みたいな?」


 烏丸さんはお茶目な声のトーンで、そう答えた。

 小野さんも同意するように、うんうんと頷いている。


(こっちの事情って……)

 意味がわからない。というより、わかりたくない。


「正直にいうとうちら、おけいはんと仲良くしたいんだよね。妹ちゃんにもそのへんの事情を理解してもらいたくてさ、説明の上手な桜子を京坂んちに残してきたってわけ」


 うん。ますます意味がわからない。


「いま京坂が考えてること当ててあげよっか。『どうして僕なんかと仲良くしたいんだろう』って」


「へ、へ?」


 烏丸さんは学園都市出身のエスパーなのだろうか。

 ちなみに学園都市は何も二次元の舞台というわけではなく、実際に兵庫県の神戸市に実在する土地だ。


 いや、そんなことは今はどうでもよくて。


「な、なんでわかったの?」


「わかるよそれくらい」


「おけいはんが鈍感すぎィ。うちら、おけいはんのこともっと知りたいんよ。桜子も含めてさ」


「脈絡がなさすぎて、よくわからないんだけど……」


 本当にわからない。

 どうして僕みたいなモブが校内三大美女に気にかけてもらえるのか。


 常識的に考えれば、天地がひっくり返ってもありえないケースだし、それ故に僕が考えうる臨機応変ケースバイケースなんてものは、一切通用しないことだけは理解できる。


 幻想だ。ファンタジーだ。


「あのね、この前京坂言ってたでしょ。妹さんのためにバイトしてるって。なんかその言葉にグッときちゃってさ」


「うんうん。私と千景と桜子にできることが何かないかな、って考えてたわけ」


 と、二人は口々に言う。

 僕が妹のためにバイトしていることは事実だ。しかし、それだけの理由で仲良くしようなんて――普通は考えないだろうに。ましてやこれは京坂家の問題だ。


「お気遣いは嬉しいけど」


「京坂さ。今のバイトやめて私たちのとこでバイトしない?」


「へ?」


「いま三人で同人サークルやっててさ、手伝ってくれる人を探してて」


「……えっと、烏丸さんたちのお仕事を手伝うってこと?」


 うん、と二人は同時に頷いた。


「もちろん、おけいはんさえ良ければだけどね。時給四〇〇〇円とかでどうかな?」


「よ、四〇〇〇円!?」


 アルバイトの求人広告にそんな破格な金額は載っていない。東京であれば、もしかしたらそういう高額なバイトもあるのかもしれないけど、こと京都においては、学生が働ける職場なんて限られてくる。


「司。それじゃ少ないって。京坂、五〇〇〇円なら、どうかな?」


「ご、ごごご、五〇〇〇円……?」


 な、なんだか怪しいバイトの勧誘を受けている気分になってきた……。

 まあ、よく考えなくても怪しいんだけど……。


 このご時世、五〇〇〇円などという法外な時給は絶対に裏があるに決まってるし、闇バイトとかそういう類のお仕事なのではないだろうか。


 二人を疑いたくはないけど、否が応でもそういう疑念が脳裏を過る。


 だけど烏丸さんと小野さんの表情は真剣そのものだ。


(悪い人たちじゃないんだろうけど)


 いや……でも、話がうますぎる。


「ちなみに、バイトってどんなことするの……?」


「んー……して欲しいことは色々あるかな。肩とか揉んで欲しいし、あと足のマッサージとか」


「私はイラスト描いてるからやっぱ手とかして欲しいかな」


 はい? 校内三大美女の肩を揉んだり、手足をマッサージして――、お金を貰える?


 絶対におかしい。

 こんな厚待遇のバイトなんてあるはずがない。


 なんか怖いな。


(ここは丁重にお断りした方が――)


 と、そう思ったとき。

 烏丸さんが、僕の手をぎゅっと握ってきた。

 そして――マスク越しでも熱い吐息を感じられるほどに顔を近付けて、じっと僕の目を覗き込んでくる。


 ち、近い……っ!


「五〇〇〇円じゃ足りない……? じゃあ」


「ちょ、ちょっと……待って。えっと、そんな大金、同級生からもらえないし……。というか、その、烏丸さんや小野さんが僕に手伝わせる理由ってなんなのかな?」


「理由? 理由ならさっき言ったよ。京坂とお話したいし、力になりたいからって」


 烏丸さんはマスク越しでもわかる優しい笑顔で、そう力説してくる。


(……)


「おけいはんの言いたいこともわかるけど、私らお金には困ってないんだよね」


「ね、同人活動で稼いでるから」


「でも、そのお金だってみんなが頑張って稼いだお金でしょ。僕なんかに――」


「そっか。京坂は私たちのこと嫌い、なんだ……」


 烏丸さんが悲しげな表情を浮かべた。


「ち、違……っ」


「じゃあ決定じゃん。おけいはん、明日から私の家でバイトね」


「……正直、これ以上ないぐらい魅力的なバイトだとは思うけど、でも」


 校内三大美女と仲良くなれるなんて、夢のような話だ。でも――バイトという繋がりで仲を深めるのは、なんだか違う気がする。


 お金をもらって、美少女たちの要望に応える。


 お仕事というより、なんだかヒモみたいだ。


「じゃあ妹さんに決めてもらお?」


「いいじゃんそれ。京坂だって客観的な意見を聞きたいでしょ」


「えと、あ、うん……」


 二人の押せ押せなムーブに気圧された僕は、頷く以外の選択肢を持ち合わせていなかった。


「決まり。司、お会計済ませてきて」


「さらりとパシらないでくれますう?」


 小野さんが軽口を叩きながら立ち上がって、レジに向かう。

 烏丸さんは黒マスクを顎まで下げて優しく微笑むと、僕の耳元まで顔を近付け、甘ったるいウィスパーボイスでこう囁いてきた。 


 ――これから楽しくなるよ。と。


 僕の心臓は、強烈なアッパーカットを喰らったかのようにドグンと跳ね上がった。


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