第3話 回想3 醍醐桜子

 親睦会を途中で抜け出し、ユーバーのバイトを終えた帰り道。

 僕は、有名なお寺の本坊に連なる夜桜を、ひとり見上げていた。


 時刻は、夜の八時。

 春とはいえ、夜はまだ肌寒い。


 パーカーのフードを深く被って、鼻水をすする。

 ……夜桜が美しいと、そう思ったのは久し振りかもしれない。


 地元民は、桜の花見などしない。

 みんな、小さいときから見慣れてるからだ。


 小学生くらいまでは、通学路に咲く桜を、友達とはしゃいで見ていたけど。

 中学生になったあたりから、すっかり注視しなくなった。

 高校生になった僕は、もう花見をする歳でもない。


 あの頃のように友達がいるわけでもない。


 そんなことを考えていると、風が吹いた。

 ざぁっと、木々が揺れる音がした。

 桜の花びらが散る。


 そこで――僕はふと気付いた。

 誰かの視線に。

 気配に。

 思わず、振り向いた。


「醍醐さん……?」


「誰、キミ?」


 誰キミはけっこうくる。

 そこにいたのは、醍醐桜子さんだった。


 色素の薄いソメイヨシノ色のメッシュが入ったボブカット。おしゃれなメガネをかけていて、メロンを内包しているかのようなたわわに実った大きな胸が、デニム生地のオーバーオールとインナーを内側から押し上げている。 


 その完成された容姿と佇まいは、この夜桜のように美しく、またどこか儚げな雰囲気を漂わせていた。


 彼女のレンズ越しの瞳は、僕を睨んでいるように見えた。

 いや、正確には、僕の目を見てすらいなかった。


 僕の顔を通り越したその向こう側に――何かを見ているような……そんな気がする。


 そして僕は理解した。

 醍醐さんは僕じゃなくて、僕の後ろにある桜の木を見ているのだと。


「あ、ごめんなさい。同じクラスの京坂です」


「ごめん知らない」


「ですよね。あまり目立つ方じゃないし、僕は」


「そうじゃなくて。わたし同世代の人間にあまり興味がないから。だから京坂くんだっけ? 悪いけどキミの顔も覚えてない」


 うわ、辛辣。

 醍醐さんって、こういう子なんだ。

 まあ、そういうキャラだった気もするけど。

 授業中も、昼休みも、放課後も、どこかつまらなそうな目で窓の外を眺めていたっけ。


 他人に興味がなさそうで、ある意味絵に描いたような高嶺の花って感じで、同じ学年の男子、特に文化系の男子はみんな彼女にお熱らしく、でも、誰も彼もが遠巻きに眺めているだけで決してお近づきになろうとはしない。触らぬ女神に祟りなし、とそんな表現がぴったりと当てはまる女の子だ。


 僕とはまた違った意味でボッチに近い存在である。


 そういう意味ではどこか自分に似ていると勝手に親近感を抱いていたけど、ここまでハッキリと自分の言葉を口にできる勇気は、僕にはない。


「邪魔したみたいだね。ごめん。それじゃ」


「桜、見てたんでしょ。わたしに気を遣って帰ることない」


「は、はい」


 自分でもよく分からない返事をして、僕は桜の木の下に腰をおろした。

 醍醐さんも隣に座ってくる。


「質問。京坂くんは、後悔しない生き方をしてる?」


 唐突だった。

 醍醐さんは、桜を眺めながら、そう呟いた。


 後悔しない生き方、ね。友達がいない僕にはわからないけど、同い年ぐらいの女の子が口にするセリフじゃない気もする。


「今は、できてる、かな」


「今って言葉はいつか簡単に崩れ去ると思うよ。今はそのときじゃないだけ。だから、この先も後悔しない生き方をしてるって言い切った方が、わたしは好感持てる」


 すごい、深いことをおっしゃる。

 まるで詩人みたいだ。


「この先を考えてしまったら、きっと僕は今の僕を甘やかしてしまうから」


「ちょっと気になる。その先、聞かせて」


「高校生の内にどうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ。それができなきゃ、僕はこの先きっと後悔し続ける。だから今、やらなきゃいけないことをやる。――まあ、今日……早速、後悔しちゃったんだけどね」


 そう。

 今日は、バイトの時間を削ってしまったのだ。

 クラスの親睦会に参加するのも大切だと思うけど、それとこれとはまた別問題。

 バイトは僕の命綱でもあるし、生活の糧でもあるから、優先度は高めで考えないといけないのだ。


 それに。

 妹の学費を稼ぐっていう、自分との約束を、僕は反故にしようとした。


 小野さんがフォローしてくれたから、事なきを得たけど。


「うん。つながった。キミがつかさの言ってた、おけいはん、なんだね」


 醍醐さんは合点がてんがいったような顔で微笑みながら、そう尋ねてくる。


「つながったってどういうこと?」


「世の中には無数の点が転がってる。人だったり、物だったり、風景だったり。そのどれもが、線でつながるわけじゃないけど、少なくとも、わたしの中ではつながった。あの千景と司が、キミのことを楽しそうに話してたから」


 醍醐さんはゆっくりとした口調で語る。 

 それはまるで詩を朗読しているようだった。


 烏丸さんと小野さん、あの二人が僕のことを楽しそうに話していた……どういう状況なんだろう?


 想像もつかないけど、なんかちょっと嬉しい。

 校内三大美女の話題に上がる、男子高校生。それって、とても光栄なことなんじゃないだろうか。


「近くで見ると可愛い顔してるんだね。京坂くん」


「は、はい……? えっと、ありがとう?」


 僕は何を言われているのかよくわからなくて、とりあえずお礼の言葉を口にした。


 褒められている……んだろうか?

 よくわからない。


「私も千景も司もそれなりに現実主義だから、異性の容姿についてはけっこううるさいんだけど、京坂くんはいい意味で期待を裏切ってくれた。それだけ」


 無表情で、淡々と、醍醐さんは意味深なセリフを口にする。


「近々、キミは選択を迫られると思う。そのとき、京坂くんはどっちを選ぶのかな。わたしたちはキミを応援するつもりだけど、読めないからねキミ。一応、前振りだけはしておくけど」


「どういうこと? 選択って、なに?」


「今は答えられない。えげつないからね、千景も司も。あとわたしも」


 なんだろうそれ。ちょっと怖い。

 えげつない選択を、僕は迫られるんだろうか?


 うーん。想像もつかないや。


「でも、一つだけ言えることがある」


 醍醐さんは、僕の目をじっと見つめる。そのレンズ越しの美しい瞳には、なんとも有無を言わせない迫力があった。


「わたしたちはたぶん――仲良くなれる」


 醍醐さんは夜桜を背にして、そうキッパリと断言した。

 月光に照らされた彼女の横顔は、どこか神秘的だった。


 にとって、その響きは、どこかくすぐったい。


 静かに。

 じんわりと。

 僕の心を、そっとノックするように――


 桜の花びらが、夜風に舞った。

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