第1話 回想1 烏丸千景

 うちは貧乏だ。

 親は仕事で忙しく、お金に余裕がない。そのため、自分の食事代や洋服代なんかも全部バイトで稼いでいる。


 でも愛情を注いでもらっていることはわかるから、文句はない。


 そう、うちは貧乏だ。

 まだ中学生の妹が「私は高校卒業したら働くよ」とか、笑顔で言うのを聞いていると、達観してるなぁと思う反面……胸が痛くなる。


 僕は、妹を大学に行かせてあげたい。

 そのためにはお金が必要なんだけど。


『子供の収入が一〇三万円を超えると扶養控除の対象外となる』

 

 という、この国のわけのわからない政策が、僕の目標のハードルを驚異的な高さに仕立てあげている。


 それに加えて、家計の逼迫を促進させる『物価上昇』ときた。

 僕たち庶民のことなんて政治家からしたら知ったこっちゃないんだろうけど、国会でスマホの使用について議論をする前に、もっと話し合うことがあるんじゃないだろうか。

 

 はぁ。こうなれば海外移住を……ブツブツブツブツブツ。


 って、そんなお金は我が家にはない!


 多感な時期の高校生に絶望感を与えて放り出すこの国のやり方には抗議をしたいところだけど、おあいにくと、僕には諦念に打ちひしがれているヒマなんてない。

 

 家族が幸せならそれでいい。それ以上は望まない。


 そんなちっぽけな願いくらいはエゴじゃないと信じつつ。


 澄み渡る空をふと見上げ、二年生の証である青いネクタイをなびかせながら、僕は新入生を横目に学校の正門をくぐった。



 ※


 始業式とロングホームルームが終わり、ショートホームルームの時間がやってきた。今日はお昼で学校が終わりなので、クラスメイトたちはどこか浮足立っているような気がする。


 僕もお昼からバイトの予定が入っているので、早く帰れるのは素直に嬉しかったりする。

 担任の先生が話し終えたあと、しばらくして下校時間となった。


 クラスメイトが帰り支度をしているなか、僕も席を立ち、カバンを肩にかけて、教室を出ようとしたところで、「京坂きょうさか君、放課後カラオケ行かない?」 と、ふいに後ろから声をかけられた。


 去年もクラスが同じだった足立さんだ。


「あ、ごめんね……今日はバイトなんだ」


「んだよあいつ、ノリわりいよな」


「アイツんち貧乏で、プレハブ小屋で生活してるらしいぜ」


 教室には、僕を中傷する男子の声が広がる。

 進級してまだ間もない二年三組の教室。クラス替えが行われたばかりだというのに、僕はすでにみんなの輪から外れている。なんなら加わったこともないんだけど。


「なにそれウケる。風呂入ってねーんじゃねえの」


「いやアンタたちより京坂君の方が小綺麗よ?」


「うっせ、バーカ。なにが小綺麗だ。京坂なんざ男らしさのカケラもねーんだよ」


「それな。なよっとしてるし、キモいんだよ」


 僕こと京坂きょうさかけいを嫌う男子は多い。

 一説では『女たらし』と呼ばれてるらしい。僕の方から声をかけてるわけでもないのに、そんなレッテルを貼られるのはちょっぴり心外だ。女子はそれなりに優しくしてくれるけど、その同情がさらに男子の反感を買っているのだろう。


(自動で嫌われていくシステムが構築されている……ような)


 うん、まあ……でも、これもやはりいつものことだ。

 慣れっこだし、特に気にしたりはしない。


 さて、今日もバイトを頑張るぞ。

 早く、お金を稼がないと――



 ※


 ユーバーイーツ。

 それは、配達員のバイト。フードデリバリーサービス、ってやつだ。注文された商品を、指定の場所に届けるお仕事で、簡単に言えば「飲食店」と「配達員」を結びつけた、新しいタイプのビジネスモデルだ。美味しいご飯を、家から一歩も出ずに楽しめるこのシステムは、今や老若男女問わず、多くの人に愛されている。


 僕もそのバイトの求人に応募して、採用されたのだ。


 給料制ではなく報酬制で、一回の配達で、約五〇〇円ほどの報酬がもらえる。

 要するに数をこなせば、それだけ稼げるというわけだ。


 時刻は十八時。

 僕は指定の場所である、六地蔵界隈にあるマンションに来ていた。


 インターホンを鳴らすと、すぐに住人が出てくる。

 お財布を取り出す女の人の顔を視認して、僕は驚いた。


 それは……学校でも有名な美少女だった。


 切れ長の目。長いまつげ。

 黒マスクで口元を覆い隠した、ロングストレートの黒髪が特徴的な女の子――烏丸からすま千景ちかげさんだった。


 烏丸さんはネイビーのアウターを肩落としのスタイルで羽織っており、中は白い無地のタンクトップ、下はホットパンツというラフな装いである。


京坂きょうさか、だよね。へぇ、ユーバーのバイトしてるんだ」


「うん。こんにちは烏丸さん。これ配達の品、一応中身を確認してくれる?」


 配達用のリュックから、パック詰めされた中華料理を取り出す。

 チャーハンとか餃子とか、けっこうこってり。


「バイトってさ、時間の無駄だと思うんだよね。高校生がお金を持って、何をするの?」


 烏丸さんはパックを受け取ろうとせず、なぜかそんなことを聞いてくる。


「時間のムダかどうかは僕が決めることだから」


「そだね、私には関係ないし。でも意外。てっきり、お金に興味ないタイプだと思ってたけど、そうでもないんだね。いつもみんなのお誘い断ってる理由って、お金が欲しかったからなんだ」


 なんだか、すごい誤解をされてる気がする。


「お金が欲しいわけじゃないよ。でもお金がないと、妹を大学に行かせてあげられないから」


 このニュアンスをわかってもらおうなんて思わない。


「…………へぇ。そんなこという人、今どきいるんだ。誰かの為に、ね。んー、希少種って感じ」


 烏丸さんは、少し間を開けてから笑った。

 口元がマスクで隠れていてよくわからないけど、目が三日月の形になっているから、たぶん笑ったんだと思う。


「希少種なのかな。家族のために働く人ってけっこういると思うけど」


「京坂ってオトナなんだね」


「いや、烏丸さんの方が百倍オトナっぽいと思うけど」


「ふふっ、なにそれ。私、そんなに老けて見える?」


「そ、そういうわけじゃ」


 これは、からかわれてるのかな。あんまり、というよりほとんど話したことがないんだけど、学校ではいつもクールな印象な烏丸さんにこんなお茶目な一面があったなんて。


「バイト頑張って」


「あ、うん。ありがと」


 校内三大美女と噂される三人組の一人。

 同級生だけど、僕とは住む世界が違うような……そんな気さえしてしまう人。


 お代を受け取り、パックを渡すと、彼女は家の中に引っ込んだ。


 配達は完了だ。

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