メイド見習い兼家庭教師
「おぉー……」
テールさんを我が家に招き入れた翌日の朝。
食堂へと降りてきた私は目の前の光景に感嘆の声を漏らさずにはいられませんでした。
食卓が……いえ、この部屋全体が見違えるように綺麗になっていたのです。
いえ、いつも綺麗ではあるのだけれど……なんだかいつもより輝いて見えます。テーブルや床、壁や天井のシャンデリアに至るまで輝きを増しているような……。
「あ、おはようございます!」
邸内の変化に呆けていると、壁にかけてある絵画の額縁を拭いていたテールさんが挨拶してきました。
昨日までとは違いクラシカルなメイド服に身を包んでいて、とても可愛らしくフリルを揺らしています。
「おはようテールさん。その服、似合っているわね」
「あ、ありがとうございます!」
「ところで……すごく綺麗になっているけれど、貴女が掃除を?」
「はい! 矢骨さんに任されまして……もっと綺麗にした方がよかったでしょうか!?」
「いえ、十分すぎるくらいよ。綺麗にしてくれてありがとう」
素直に褒めるとテールさんはだらしなく破顔してみせた。……可愛らしい人ですね。
昨日は彼女が起きてからというものの、諸々の説明や壊れた部屋の掃除、それから業者への屋敷の修繕工事依頼なんかに時間を費やしてしまったせいでバタバタしてしまいました。テールさんは矢骨から使用人がする仕事を教わっていましたが……まさかこれほどまで仕事ができるとは、嬉しい誤算です。
そんな驚きもそこそこに、着席しながら周りを見回すと、その先輩使用人であるもう一人の同居人……矢骨の姿が見えないことに気が付きました。概ね予想は付いていますが、一応テールさんに行方を訊いておきましょう。
「ところでテールさん、矢骨は―――」
―――ドゴォォッッッ!!!
言葉の途中で爆発音が鳴り響き、私の声はかき消されました。火災報知機とスプリンクラーの作動音も聞こえます。方向は……キッチンの方からですね。
「な、なんですか今の音は!?」
唐突な轟音に驚いたテールさんは私を守るように抱き着いてきました。
豊かな胸部装甲が私の顔面に押し付けられ、前が見えません。早打ちする脈拍が顔から伝わってきます。
テールさん、一体どうしたというのでしょうか? 爆発音なんてこの家では日常茶飯事……ってそうだわ。普通のご家庭は毎朝爆発音なんてしないものでした。慣れ切っていたものだから失念していました。
「落ち着いてテールさん。あれは矢骨が調理している時に出る爆発音よ」
「調理している時に出る爆発音!?」
―――スパァーンッッ!!!
「あ、今のは手拭きタオルが爆散した音ね。貴女がいるからか音の調子がいいわ。矢骨も張り切っているみたい」
「タオル!? ていうか違いがあるんですか!?」
おお、素直なツッコミ。私たちにとっては日常風景の一端でしかないのだけれど、なんだか新鮮な気分になりますね。
テールさんの反応に少し感動していると火災報知機のベルが鳴りやみ、黒い煙と共にびしょ濡れの矢骨が蓋付きのお盆を三つ持ってキッチンから悠然と歩いて出てきました。
「おはようございます、お嬢様、テールさん。こちら朝食となっております」
「おはよう矢骨。朝食の準備をありがとう。ところでお風呂に入ってきたらどうかしら」
「ではお言葉に甘えて。テールさん、お嬢様のことを宜しくお願いいたします」
「は、はい」
「それでは失礼いたします」
私達との短いやり取りを終えると、矢骨は一礼してその場から姿を消しました。
彼女のいた床を見ると、あんなにびしょ濡れだったにもかかわらず雫が一滴も落ちていません。流石は矢骨、どういう技術なんでしょう。
「あ、あの……」
「ああ、驚かせてごめんなさい。ああ見えて矢骨は少しドジっ子なの。だからよく家の至る所が爆発したりするのよ」
「上流階級のドジっ子って凄い」
別に階級は関係ないと思うのだけれど。
それは置いておいて、早く朝食を済ませてしまいましょう。諸々の片付けや修理業者の手配もしないといけませんし。
というわけでテールさんに手招きして近くまで来てもらいました。
「ほら、テールさんも座って? 一緒に食べましょう」
「えっ。でも私今はメイドで……」
「我が家では使用人も主人も関係ないわ。さあ座って。隣に」
「は、はぁ……隣に!?」
……何をそんなに驚いているのかしら。
そういえばこの人、私に恋をしているのだったわ。失念していました。
恋というのは好きな人の近くにいるだけで胸が高鳴るもの。漫画や小説にも書かれていましたし、彼女もそんな気持ちになるのでしょうか。
「ででででは失礼して」
「ではこちらも失礼するわ」
「ほぉっ」
隣に着席したテールさんに席を近付け、そのまま彼女の胸元に耳を当てました。妙な鳴き声を上げたのが気になりますが……まあ急にこんなことをされたら驚くでしょうね。
ただ、私は書物の記載が本当なのかを確認したいだけで、彼女を驚かせたいわけではありません。
「ごめんなさい。貴女の心音が気になって。……おぉ、本当に動悸が早いわ」
「あああやあや謝る必要はないでありますよありがとうございます!」
慌てながらも返事をする彼女の顔はとても赤くなっています。
焦がれる相手に対して冷静ではいられなくなる。これも小説で見たことがありますね。
「ありがとう。色々と確認できたわ。頂きましょう」
「あっ……はい」
彼女の胸元から頭を離すと、何故か少し残念そうな顔をされました。……使用人相手とはいえ急に行動に移すのは良くなかったかしら。次からはきちんと確認をとってから確認を行うようにしましょう。
反省もそこそこにお盆の上の蓋を取りました。そこには……
・緑色に発光する棘だらけの物体。
・小刻みに震える黒い塊。
・汽笛のような勢いで天高く湯気を出す飲み物。
この三つが並んでいました。隣のテールさんの物も同様です。
……おや? テールさんが真顔で固まっていますね。先程まではあんなにコロコロと表情を変えていたのに……何か問題でもあったのでしょうか。
はっ、もしや。
「テールさん、テーブルマナーなんかは気にしなくてもいいのよ? そういうことを細かく考えるのはもっと別の場所だから」
「いや違います。マナーがどうとかではなくて」
あら。お堅い家柄と思って躊躇しているのかと思ったのだけれど違ったようです。では何をそんなに気にしているのでしょうか。
「ええっと……これはなんですか」
「朝食ね」
「……これらの物体の名称はなんですか」
「目玉焼きとパンとオレンジジュースね」
「どう見ても違いますよね!? ていうかどれが目玉焼きでパンでジュースなんですか!?」
そう言われましても、目の前に並んでいるのは目玉焼き(緑の棘)とパン(微振動黒色塊)とオレンジジュース(汽笛)なのだからそれ以外に名称はありません。たしかに調理人の失敗は少々見た目に出ているかもしれませんが、何をそんなに驚くことがあるのでしょう。
「まあ落ち着いて食べてみなさいな。見た目は名状しがたいけれど味は保証するわ」
「名状しがたい見た目の時点で抵抗感が凄まじいんですけど……」
「はいアーン」
「ほぁっ!? んぐっ……………………えっ、美味しい」
訝しい目で見るテールさんの口に緑の発光体を押し込むと、彼女の目が輝きました。ご満足いただけたようで何よりです。
矢骨もすぐに来ることでしょうし、ゆっくりと食事を楽しみながら待つことにしましょう。
「危機意識が低くなってると思うんです」
三人で
「どういうことでしょうか?」
「その、来たばかりで物申すのは気が引けますけど……お二人とも、日常的な危険が傍で起こりすぎて慣れちゃってるんじゃないかと思いまして……。いざという時に自分たちの身に迫る危険を感じ取れなくなっちゃったら大変ですよ! 最近不審者とか増えてるって聞きますし……」
「それはたしかにその通りですが」
「貴女がそれを言うのかしら」
「いや、まあ……それについては仰る通りではあるんですけどぉ……」
身に迫る危険としては初対面で一目惚れを宣言して家に転がり込んだテールさん自身が一番不審で警戒すべき存在でしょう。
「まあ貴女って真面目だし悪い人ではないと思っているけれど。それに……別に危機意識が薄れているわけじゃないわ。むしろ日々危険に晒されることで多くの状況に対応できるようになっているのよ?」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。それに見た目は派手でもそれほど危険ではないから安心して。あ、矢骨、そっちを持って頂戴」
「かしこまりました……あっ」
テールさんへの話もそこそこに、黒焦げになった電子レンジを矢骨と抱えると……カチッという不安な音が聞こえました。そして、
―――ドゴォッッ!!
例の如く電子レンジが爆発しました。ただし今回の爆発は矢骨の持っている方向にだけ爆風が巻き起こるもので、私に被害はありません。最近の電子レンジは大砲にもなるようです。
技術の進化に密かに驚く私とは対照的に、爆発を一身に受けた矢骨は汚れた燕尾服を叩きながら黒煙の中で涼しい顔で立っています。
「ほら、無事だったでしょう」
「日々の生活の賜物です」
「こっちの心臓が持ちそうにないんですけど……」
そう言われても慣れてもらうしかないのですけれど……理解を得るというのはなかなか難しいものですね。
それから掃除を終え、現在テールさんの部屋となっている和室(非発光処理済み)へと移動した私達は早速今日の授業を始めることにしました。
何の授業かと言えば、それは勿論……恋についてです。
「ではお願いします、先生」
「こ、こちらこそお願いします」
テールさんと向かい合って座り、頭を下げ合います。さて、彼女はどんな事を教えて貰えるのでしょうか。年甲斐もなくワクワクしますね。
「と言っても、何を教えればいいのか……」
期待の眼差しで見つめていると、テールさんは腕を組んで悩ましげな顔をされました。
言われてみれば、今の私は『分からないところが分からない』という状態です。落ち着いてその辺りの道筋を示すべきでした。
「ごめんなさい、こちらから質問するべきだったわね。気持ちが急いてしまったわ」
「あ、いえ! お気になさらないでください! なんでもお聞きください、はい!」
「そうね……じゃあ、貴女は私に一目惚れをしたと言っていたわね。それはどうして?」
「どうして、とは……?」
「一目で惚れたと一口に言っても、理由は色々あるでしょう。おそらくは見た目の問題でしょうけれど、どこが貴女にとって惹かれた部分なのかを参考までに訊いておきたくて」
「えっ」
私自身、自分の容姿やプロポーションに自信はあります。しかし、どの辺りが彼女の琴線に触れたのかが気になりました。女性から好意を寄せられる女性というのは見た目がクールで少し茶目っ気のある、矢骨のような人間の方だと思っていたのですが、何故私の方に目が行ったのでしょう?
「……
「ええ」
「…………この場で?」
「お願いするわ」
「………………分かりました!」
おお、快諾してくれました。葛藤の表情だったので不安でしたが、流石は家庭教師です。まあこちらが寝食の主導権を握っているので断れないだけかもしれませんが。
一応プライベートな感情を訊いているわけですし、傍で控えてくれている矢骨にはなるべく聞かないように、と手で合図を送るとヘッドホンとアイマスクを装備して完璧な情報シャットアウト体勢に入ってくれました。出来た執事です。
「えっと、そうですね……。特別どこが好き、とかではないんです。最初は純恋さんの姿を見た時、『綺麗な人だな』って思って。それからなんだか胸が高鳴って、落ち着かなくなって……」
「なるほど……」
心臓の高鳴りに顔面への急激な血液循環……概ね本で読んだ心象と同じですね。やはり『恋』というものにおいてこれらが一般的な反応ということなのでしょうか。
……それにしても、『綺麗な人』ですか。
「奇遇ね」
「えっ?」
「私も貴女の顔を見た時、『綺麗』だと思ったわ」
実際、テールさんの顔は……いえ、顔だけではなく彼女は全体的に優れていると言って差し支えない容姿をしています。煌めく金色の髪にルビーのように輝く赤い瞳、スタイルだって一般的に見て魅力的な部類に入るでしょう。特にどの部分がとは言いませんが。
「あああありがとうございます! お、お世辞でも嬉しい……!」
「え? お世辞じゃないわよ? だって貴女本当に綺麗だし」
「……アリガトウゴザイマス」
率直に返すとテールさんは何故か顔を赤くして他所を向いてしまいました。よく顔色が変わりますね。血行が良いのは悪くない事です。
―――ピンポーン。
そんなやり取りをしていると、我が家のインターホンの音が聞こえてきました。どうやらお客様のようです。
音に気が付いた矢骨が即座にアイマスクとヘッドホンを取り外して部屋から退出していきました。あの状態からどうやって聞き分けたのか疑問ですが、そこは矢骨なので気にしないことにしましょう。
「ど、どなたでしょうか?」
「屋敷の修理業者でしょうね。屋根の一件で連絡していたから」
矢骨に続くように私たちも部屋を後にし、玄関へと向かうことにしました。
……ついでにキッチンも直してもらえないでしょうか。
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