『恋』を知る家庭教師
自室の天井崩落から夜が明けて次の日。
私は食堂で優雅に紅茶を楽しんでいました。
「ふう」
既に屋敷の修理依頼は連絡しましたし、幸い? にも今日は休日なので、のんびりと過ごすことができます。
……それにしても昨日は大変でした。
天井の崩落の後、謎の少女を運ぼうとしたところで矢骨が帰宅して大騒ぎになったり、何故か矢骨がティーセットだけでなく犬を抱えていたり、一旦落ち着くために買ってきてもらったティーセットでお茶を淹れて貰おうと思ったらまた爆発したり……。
買ってきたものがステンレス製でなければ今こうして紅茶を飲めていなかったでしょうね。
手元のカップを傾けながら昨晩の事を思い返していると、矢骨がやってきました。
「純恋様。あの女性がお目覚めになられました」
「わかったわ。今行きます」
軽く返事をした私はカップをソーサーに置き、席を立ちました。
早速彼女のいる客室へと向かってみましょうか。
「純恋様」
「? どうかしたの、矢骨?」
「実は……彼女を寝かせていた和室なのですが」
「また何か爆発させたの? 壺? 掛け軸?」
「いえ、爆発ではないのですが。何故か障子が虹色に光るようになってしまい……申し訳ございません」
「それは……面白そうね」
私の親友は世間で言うところのドジっ子なのかもしれません。
彼女といると飽きなくて楽しいわ。
我が家の客間の1つである畳張りの和室。
本来は古い茶室をイメージした落ち着きのある装いで、風情のある佇まいの一室です。
……今日はそうでもないようですが。
「外からでも分かるくらい虹色ね」
「ええ、何故か七色に変色して発光しています」
襖越しでも分かる程に光が漏れ出ています。
古い茶室どころかEDMマシマシな新生和ロック茶室とでも表現出来そうな部屋になっていそうですが……まあ現代風のワビサビと考えれば問題は無いでしょう。
「入りますよ。お加減はどうかし……ら?」
ノックをしてから襖を開くと、予想通りカラフルに発色する和室には布団が敷かれており、その上で何故か件の少女が指を揃えて頭を床に着けていました。
つまり、土下座の姿勢です。
「……矢骨。いつから我が家はこういうお店に……?」
「違います純恋様。彼女自身が謝罪したいと……」
あ、そうだったの。
矢骨が物を壊しすぎて変な方向に事業を立ち上げたのかと思って焦ってしまったわ。
「大変申し訳ございませんでした!!」
悪い予想が外れて安心していると、布団の方から大きな謝罪が聞こえました。
現在絶賛土下座中の少女の声のようです。
「こ、この度はご迷惑をお掛けして……」
彼女は今にも泣きそうな震える声で体勢を維持していて、微かに身体も震えています。
尋常ではない彼女の様子に首を傾げていると、矢骨が耳打ちしてきました。
「恐らくですが、純恋様が怒っていらっしゃるように見えておられるのかと」
「え? 微塵もそんな気はないのだけれど」
「純恋様は感情が顔と声に出ないクール系でございますので……」
「あら、煽ててもドーナツ店のクーポンしか出せないわよ? はい」
「ありがとうございます」
しかしそういうことなら一度落ち着いていただくべきですね。
頭を下げたままの彼女に寄り添うように、膝を折って話しかけてみることにします。
「落ち着いて下さい。責めているわけでも怒っているわけでもないわ。一度顔をお上げになって?」
「は、はい」
戸惑うように上げた彼女の顔はとても綺麗で、金色の髪だけでなく長い睫毛や赤い瞳といった全てのパーツが整った可愛らしくも綺麗なものでした。
『……綺麗』
……おや?
目の前にある顔がどんどん赤くなっています。
考えが口から出てしまっていたのでしょうか。これは失礼をしてしまいましたね。
「こほん。……まずはお名前を伺っても?」
「……あ、はい! テール・ブーゲンビリアと言います!」
「私は佐羽純恋。こちらは執事の矢骨よ。よろしくねテールさん。……それで昨日、何があったのか教えてもらってもいいかしら?」
「えっと、それは……」
……少し圧があったかしら?
思ったより顔を近づけてしまっていたせいか、顔を赤くして背けられてしまいました。
私が居住まいを正すとテールさんはポツポツと身の上を話してくれました。
高校生ながら日本で一人暮らしをしていた彼女は、1週間前に起きた火災でアパートが燃えてしまい家を失ってしまったらしいのです。
その後、新居を見つけるまでの一時的な仮住まいへの移住手続きが行われるはずが色々な手違いで仮住まいへの移住が出来なくなってしまい、友人の家を転々としていたとのことでした。
そして昨日、流石に人に頼ってばかりはまずいと感じた彼女は近くのネットカフェに泊まろうと考えていたところ、そこへ辿り着く前に犬に追いかけられて気が付けば町外れにまで来ていて、逃れるために登った先が我が家の屋根だった、というのが昨日の事の顛末だそうです。
「それはまた……苦労なさいましたね」
「いいいいえ! そ、それでその……登ってから一息ついた時、なんか棒みたいなのに寄りかかったら折れちゃって。それで……」
「そのまま崩落した、と。……それだけで壊れるものなの?」
「以前補強工事に携わった会社が杜撰だったのでしょうか。申し訳ございません」
「矢骨が謝ることではないけれど……まあいいわ。今回のことはお互いにとって不幸な出来事だったみたいだし、気にしなくていいわ」
「えっ?」
「それと……貴女さえ良ければしばらく泊まっていくといいわ。部屋は余っているのだし」
「ええっ!? いやそこまでして頂く訳には……修理費も私が」
「いえ、これは会社側のミスだと思うし。それに多分結構高いわよ? ね、矢骨」
「ええまあ。……被害を見てこの位かと」
矢骨が何やらスマホを操作して画面をテールさんに見せています。
その画面を見た彼女は「ほぁ」と変な鳴き声を上げて固まりました。
そして、
「………………ンンッ! な、ならせめて何かさせて下さい! 私に出来ることであればなんなりと!」
かなり溜め込んでからそう言い切りました。
……いや、気持ちは嬉しいんですが、本当に気にしてないんですよね。
「あの、どうしてそこまで? 本当に気にしなくてもいいのよ? それとも他に何か理由があるのかしら」
私がそう言うと、テールさんは赤い顔でこちらを見据えて、はっきりと言いました。
「ええっと……その! ひ、一目惚れです!」
「……ほぁ?」
今度は私が変な鳴き声を出しました。
一目惚れ?
誰が? 誰に?
……彼女が? …………私に?
「あ、いや、間違い……じゃないんですけど! す、純恋さんを見てから、なんかこう……ドキドキして! なんか変で……。な、何か貴女のためにしたいんです!」
……なんだか頭がついていきませんが、とにかく彼女が一生懸命に何かを伝えたがっているのは分かりました。
なるほど、一目惚れ。
なるほど、これが『恋』……。
彼女の言葉は色々な物語に描かれてきた表現と一致しますし、そして彼女の表情が何よりも『恋』そのものを物語っています。
そう、彼女は――『恋』を知っている。
「す、すいません。突然気持ちの悪いことを……。す、すぐに出ていきますので――」
「待って」
出ていこうとするテールさんの腕を掴んで止めました。
理由は……そうですね。
彼女に――いえ、『私に恋をする彼女』に、興味が湧きました。
「1つ、提案があるの」
「な、なんですか……」
掴んだ腕越しに今にも逃げ出したい、という気持ちがひしひしと伝わりますが……そこは無視して、私は語気を強めて言いました。
「――貴女、住込みの家庭教師をしてみない? 私に『恋』を教えて欲しいの」
「――はい?」
私の提案に驚いたのか、それとも困惑したのか。
テールさんは手を離しても逃げなくなりました。
困惑するのも当然でしょう。
私自身、めちゃくちゃな事を言っている自覚はありますから。
「私にお金が返せる。住む場所も見つかる。さらには好きな相手と同じ屋根の下……魅力的な条件ではないかしら?」
「え、いや……そう、だけど」
む、これはあとひと押しといったところですね。
それならば……
「今ならなんと朝昼晩の3食も付いてくるわ。いいわよね矢骨」
「食後のデザートとアフタヌーンティーもお付けいたしましょう」
「やります!!!」
こうして我が家にもう1人、住人兼仕事人が増える事となりました。
「ところでテールさんが使われるお部屋は……引き続きこの和室でもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。……ところであの障子、なんで光ってるんですか……?」
「私の未熟さ故に光らせてしまいまして。すぐに替えを設置致しますのでご容赦を」
「……未熟さ故に光る障子?」
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