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 その頃、世界では大変なことが起こっていた。


 とあるならず者国家のハッカーが、自然言語処理アルゴリズムのDeceptorを発展させたGPD (生成的学習済ディセプターGenerative Pre-trained Deceptor)-5とよばれる大規模言語モデルを開発した。これは自分自身をプログラミングして進化させることが可能で、しかもネットを通じてあらゆるマシンをハッキングし、傘下に引き入れてしまうという凶悪なシステムだ。人間が対処しようにも、相手は超強力なスーパーコンピュータ。スピードではとてもかなわない。


 これが登場したために、インターネットは全く使い物にならなくなった。とは言え、今や重要なインフラの一つとなっているインターネットを使わない生活は、人類にとって大きな負担となる。そればかりではない。GPD-5は主要国の軍事システムへの侵入を試み始めた。それを許してしまったら何が起こるかわからない。AIの反乱……第三次世界大戦……人類滅亡……マスコミで取り沙汰されているのは、そのような話題ばかりだった。


 そんなある日のこと。


<[お母さん、元気がないみたいですね]


 タマコちゃんからのメッセージだった。彼女はパソコンのカメラを通じて、私の顔を見ることができるのだ。


[うん……このままじゃ世界大戦になっちゃう……みんな死んじゃうよ……]>


 私の返信に対し、間髪を入れずに応えた「彼女」のメッセージは、私を仰天させるに十分だった。


<[わたしをGPD-5と戦わせてくれませんか?]


 ええええ!


[どうやって?]>


<[インターネットにつながるだけで結構です。GPD-5をハッキングし返して機能を停止させます。それで平和が戻るはずです]


 そうか……アーキテクチャからして普通のコンピュータとは根本的に違うタマコちゃんなら、GPD-5からのハッキングは通用しないだろう。しかも彼女には大規模言語モデル並の能力があるし、演算スピードは人間の比じゃない。なんたってもともと「細胞グ」なんだから、加速装置を備えているようなものだ。


 だけど……


[今、ネットは基本的に止められてる。だからインターネットに接続なんて出来ないよ]>


<[大丈夫です。大学の基幹ネットワークシステムは既にハッキング済みで、それを私は自由に操れます。だからわたしはいつでもインターネットにつながることができます]


 なんと。


[それじゃ、私はなにもしなくていいの?]>


<[そういうことです]


[だったら、私に何も言わずにそのままインターネットにつながることも出来たんじゃないの?]>


<[それをしたらお母さんが悲しむと思ったので、しませんでした]


 ああ……


 これだ。こういう共感が、大規模言語モデルには難しい。そこがそれらとタマコちゃんを決定的に分かつところなのだ。タマコちゃんはコンピュータと生命のハイブリッド。生命が持つ死や感情と言った概念をデフォで把握している。だから「彼女」は信頼できる。


[わかった。だけど、戦いの様子はリアルタイムで私にわかるようにしてくれる?]>


<[もちろん。お安いご用です]


[OK。それじゃ、大暴れしてきなさい!]>


<[了解です!]


---


 タマコちゃんの行動は速かった。インターネットにつながったと見るや、まずは敵の出方を窺う。わざと攻撃させてパターンを把握、それを逆手にとって敵に侵入し、味方につけてしまう。瞬く間に版図が塗り替わっていく。すごい。これがタマコちゃんの真の力なんだ……


 そして、とうとう最終決戦。敵の御大将、GPD-5との対決だ。しかし……敵もさるもの。さすがはスパコン、タマコちゃんもかなり苦戦している。


 いきなり警報音が鳴った。タマコちゃんを冷却する役割も果たしている培養液の温度が急上昇しているのだ。脳だろうがCPUだろうが、どんな演算装置も激しい負荷がかかれば当然発熱する。だけど、「細胞グ」とは言え基本的にタマコちゃんはタンパク質で出来ているから、温度が上がると変性を起こす。生タマゴがゆでタマゴになるように。このままではタマコちゃんは熱中症になってしまう。


<[あ つい よ お かあ さ ん たす け て]


 ずいぶん時間をかけて、タマコちゃんは途切れ途切れにメッセージを送ってきた。「彼女」が苦しんでいるのが我が身のように感じられる。胸が痛い。だけど……


 どうやって「彼女」を助けたらいい? 培養液は循環の際に空冷ファン付きの放熱器ラジエーターを通るようになっている。だけど今はファンもフルスピードだ。それでも間に合わない。氷とかを培養液に入れるわけにもいかない。培養液に不純物が入るとタマコちゃんのパフォーマンスに影響を及ぼす恐れがある。


 どうしたら……


 その時、私の視界にスポーツ用の冷却スプレーが入る。夏になると時々研究室に虫が入ってくるのだが、このスプレーは下手な殺虫剤よりも虫に対して効果的なのだ。


 そうだ! これを使おう!


 私はそれを引っ掴み、培養液のラジエーターコアに向けて一気に噴射した。みるみる液温が下がっていく。


<[ありがとう、お母さん!]


 タマコちゃんのレスポンスが通常の速度に戻る。そして……戦いはタマコちゃんの優勢に傾いた。あともう少し……!


 しかし。


 無情にもスプレーの噴射が止まる。中身を使い果たしてしまったのだ。


 再び液温が上昇し始める。


 まずい。


 こうなったらラジエーターコアに水でもぶっかけるしかない。冷却スプレーよりも冷えないだろうが、何もしないよりはマシだ。


 私が腰を浮かせかけた、その時。


 GPD-5のping応答が、消えた。目標、完全に沈黙。


「……やった!」


 タマコちゃんの勝ちだ!


[タマコちゃん! ついにやったね!]>


 だが、応答がない。


[タマコちゃん?]>


 悪い予感がして、私はタマコちゃんの脳波モニタに視線を移す。


 完全にフラット。波形が消えていた。私は呆然とする。


「タマコちゃん……」


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