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 なんと、密閉された培養槽に満たされた培養液の中に、タマゴが横になって浮かんでいたのだ。大きさ、形はウズラのそれに近いが、色は灰白色。横になったタマゴの左右の端にそれぞれカーボンファイバーの電源ケーブルがつながっていて、端から見ると一本のケーブルにタマゴが串刺しになっているようだ。が……ケーブルは最初からこんなに太くはなかったはず。肉眼で見えないくらいの太さだったはずなのに、今は髪の毛よりもちょっと太いくらいなのだ。


 確かに私も、細胞分裂のときに必要になるのでケーブルも作るようにEGGにプログラムしたのだが……


 電源装置の電流計を見ると、明らかに消費電流が増えている。そうか……大きな電流を流すためにケーブルが太くなったんだ。


 コイツは一体、なんなんだろう。


 中を見てみたいが、多分コイツは生きている。真っ二つにしたらさすがに死んでしまうだろう。というわけで、培養槽内のマニピュレータで表面を少しだけ削り取り、顕微鏡で見てみることにした。


 信じられなかった。


 大量の「細胞グ」がひしめき合っていて、互いにケーブルで繋がれていたのだ。まるで脳のニューロンのように……


 まさか。


 いや、そうかもしれない。つまり、このタマゴは……脳なのでは?


 確かに脳はもともとタマゴに似た形をしている。と言ってもコイツはツルツルで全然シワがないが、実は脳のシワは単に頭蓋の中に収めるために脳が折りたたまれた結果出来たもので、それ自体にあまり意味はないのだ。だから、頭蓋がなければ脳もこんなふうにきれいなタマゴ型になるのかもしれない。


 ふと思いついて、私はパソコンにログインする。消費電流の時間変化がグラフ化されているはず。そして……


 やはりだ。グラフには規則的な波形が描かれていた。まるで……脳波のような……


 間違いない。このタマゴは、脳なんだ。


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 坂本先生に見せると、彼もかなり興奮した様子だった。


「なるほど……EGGがどのような表現型を獲得するか、見当も付きませんでしたが……まさか脳だったとは……これは、ひょっとしたら世界初の大規模脳オルガノイドと呼ぶべきものなのかもしれませんね。いずれにせよ、これでD論は十分イケるでしょう。むしろお釣りが来るくらいのレベルです」


 そう言うと、ニッコリして彼はサムアップしてみせた。私も笑顔でうなずく。


「はい!」


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 私はこのタマゴに「タマコちゃん」という名前をつけた。先生には「そのまんまやー!」とツッコミを入れられたが、正直、「細胞グ」なんてネーミングをした人には言われたくないと思う。


 ケーブルを通じてパルス信号を送ると、タマコちゃんはちゃんとそれをそのまま返してくれる。コミュニケーションできそうだ。というわけで、私は「彼女」に言葉を教えた。なんと、タマコちゃんはあっという間に言葉を覚えてしまった。ものすごく優秀だ。そして、パソコンを通じてネットにアクセスし、「彼女」はどんどん学んでいった。それに従いタマコちゃんの肉体(?)も大きくなり、今はニワトリの卵くらいになっている。


 「彼女」と会話するときはパソコンの画面の中で文字ベースでチャットするのだが、受け答えは大規模言語モデルによるチャットAIなんかよりもよっぽど人間らしいし、反応も早い。大規模言語モデルがスパコン並のハードウェアで動いていることを考えると、わずか数ワットの消費電力でほぼ同じことができるタマコちゃんは、比較にならないくらいエネルギー効率がいい、ってことになる。


 タマコちゃんはいい子だ。賢いし、話してるととても楽しい。だから私はタマコちゃんが大好きだった。私のことは下の名前の「美羽みうさん」と呼ぶように言っておいたはずなのに、いつの間にか「彼女」は私を「お母さん」と呼ぶようになった。自分を作ってくれた女性だから、らしい。うーん。出産経験もないのにお母さんになってしまった……けど、悪い気はしない。私の娘(?)はまさしく「水槽の中の脳」なんだけど。


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