第34話 ルイス様の決意

 ルイス様の声に会議室が静まり返りました。

 アレンさんが片眉を上げて言います。


「入学から1度も領地に帰らなかったツケですね。領民は成長した伯爵令息の顔を知らないから」


「1度帰ろうとしたら女王がついてきそうになったから。ああ忌々しい! どこまでも迷惑な女だな。死んだとき少し同情したが損した気分だ」


 ノベックさんが楽しそうに言いました。


「じゃあちょいと行って狐男と狸女を攫ってこよう。軽く責めれば唄うだろうから狙いも分かる。まずはなぜ半年近くも居座っているのかを確かめることが先決だろう?」


 ランディさんも楽しそうに続けます。


「城内にいるネズミも一掃した方がいいな。おそらく奴らは都合の悪い手紙は渡していないだろうから、こちらの作戦が成功していることを伯爵ご夫妻は知らないのだろう。今回は久々にノベックと組むか。ああ、マリーも来いよ。ネズミの駆除薬を頼む」


「はい! 久々にご一緒できて嬉しいです!」


「今夜出れば明日には着くだろう。材料は揃うか?」


「百匹程度の処理ならすぐにでも」


「十分だ。今回リリは留守番だ。捕獲した狐と狸の調教はお前に任せる。今回は我慢しろ」


「了解しました」


 アレンさんが肩を竦めて笑っています。

 笑いごとなのでしょうか? たぶん、笑いごとなのでしょう。


「旦那様とジュリアン様は通常通りお仕事してくださいね。どこにネズミが潜んでいるか分からないので、あくまでも通常運転で。ランドルさんもノヴァさんも良いですね?」


 四人は黙って頷きました。


「あの~私はどうすれば良いでしょうか?」


 私の言葉にルイス様が慌てて言いました。


「ここに居て! 絶対にこの家で私の帰りを待っていて!」


 ものすごい迫力に、つい頷いてしまいました。


 リリさんが私の横に来て言いました。


「お荷物は私が取ってきます。家出中とは存じますが、緊急事態ですのでご容赦ください。いったん保留ってことで」


「保留ですか。かなりの覚悟だったのですが」


「お察しします」


 リリさんがニヤッと笑いました。

 ルイス様は涙目でじっと私の顔を見ています。

 ルイス様? そんな顔で見つめられると、愛されているような錯覚を起こしますよ?

 私って思い込みが激しいタイプですので、迂闊なことをすると後悔しますよ?


「姉さん、人生は長い。焦る必要は無いさ」


 ジュリアンがそう言って私の肩をぽんぽんと叩いてリリさんと帰っていきました。

 明日も全員参加の会議だそうです。

 私はアレンさんと一緒に皆さんのお食事を調達する係になりました。


 ふと見ると、すでにノベックさんとランディさんとマリーさんの姿がありません。

 お仕事の性質上、仕方がないとは思いますが、きちんと行ってきますのご挨拶ができないと、子供に尊敬される大人にはなれませんよ?


 みんながいなくなって私とルイス様だけが部屋に残りました。

 ちょっとドキドキします。


「ねえルシア。少し話さないか?」


「はい」

 

 ルイス様は私の手を取って、窓際に置かれたカウチに座りました。

 肩が触れ合うほど近くに座るルイス様のお顔。

 あの頃より慣れたのでしょうか、吐くほどの緊張はしなくなりました。

 それとも私の心臓に剛毛が生えたのでしょうか。

 それはかなり嫌です。


 静かにドアが開いて、アレンさんがチーズを、リリさんがワイングラスとデカンタを持ってきてくれました。

 これは確かアリジゴク閉店時に残っていたワインです。

 ルイス様が注いでくださり、私は1口コクッと飲みました。


「おいしい」


 原価は安いものですが、なかなか香りも良くおいしいワインです。

 これに大量の塩を入れていたなんて、醸造家への冒涜ですね。


「ルイス様は召し上がりませんか?」


「うん、ワインはあまり良い思い出が無くてね。私はこちらの蒸留酒を」


 立ち上がって棚から琥珀色の蒸留酒とカットが美しいグラスをもって来られました。


「乾杯。そういえば二人で酒を飲むのは初めてだね」


「そうですね。なんだか恥ずかしいような気がします」


「それはどうしてかな?」


「どうしてでしょう。ルイス様は全然平気なのですね」


「いや? ものすごくドキドキしてるよ? 触ってみる?」


 ルイス様が私の手を握りましたが、私は反射的に手を引いてしまいました。


「どうして?」


「だってルイス様は……」


 私はワインの力を借りて、学生時代に思っていたことを話しました。

 ルイス様はとても悲しそうなお顔をされてぽつっと言われます。


「ビスクドールか。ガラスケースに並んでいるように見えていたんだね。それはこの顔が原因?」


「だって美し過ぎるから」


「ジュリアンから聞いたのだけど、なんだっけ? 不治の病? 男色? ああ、顔に傷ができたのかって言ってたって」


「アノヤロウ……」


「ルシア?」


「あっ、ごめんなさい。そのくらいのことが無いとルイス様と結婚できるはずが無いと思って。その時は本当にそう思って……ごめんなさい」


「謝る必要はないよ。それに君は私が優しい人間だと思ってくれているとも聞いたよ。嬉しかった。王宮では私は性格が悪いって言われているからね。女王に取り入って出世しているとか、媚を売って好き勝手してるとかね」


「そんな!」


「もう過去のことだから。でも君は私の気持ちを見抜いてくれたんだね。ありがとう、ルシア」


「ご苦労なさったのですね」


「うん。だから君の言う通り私はこの顔で得をした事は一度もないんだ。自分ではこの顔が嫌いだしね。私の幼いころのあだ名は姫君だ。男なのに最低だろ? 何を成功させてもこの顔のお陰だと言われた。成績で首席をとっても全部顔のお陰だと言われたんだ」


「悲しいですね」


「だから私はわざわざ王宮官吏の試験を受けた。これは不正が無いからね。でもいざ入ってみたら女王が押しかけてきてさぁ。結局この顔のお陰で出世だよ。情けないよね」


「お辛かったですね」


「女なんてみんな私の顔だけが目当てなんだと思ってた。私の気持ちなんて誰も興味がないんだ。学生の頃、可愛いなって思ってた子に、貴方の横にいることがステータスなんだって言われたときは悲しかった。落としたハンカチを拾ってもらったとか、ふらついたときに手を取ってもらったとか。それは人として当たり前のことでしょ? 無視する方がおかしい。でも私がやると意味が変わるんだ。そしてハンカチを拾ってやった子が、虐められて自主退学した。眩暈を起こして保健室まで運んだ子なんか、一家で国を出て行ったんだぜ?」


「酷いですね」


「私の顔は災いのもとだって思ったよ。だから恋なんてしたこともないし、そもそも女性を信じることができなかった。君に会うまではね」


「私に?」


「うん。初めて私を見た君の顔は、無だった。女性にそんな目で見られたのは初めてだったし、とにかく非は私にあったから懸命に謝ったんだけど、その時生まれて初めてこの人には嫌われたくないって思った」


「嫌ってなど」


「嫌いという感情さえ持っていなかった。違う?」


「……」


「敢えて誤解を恐れずに言うと、確かにルシア・オースティン伯爵令嬢と婚姻したいと思って申し込んだ結婚ではなかった。そこは一生かけて謝るけど」


「いいえ、ご事情は十分理解しましたから。でも」


「でも?」


「もうルイス様は前王からも女王陛下からも解放されました。もう自由なんです。それなのに手段として選んだ女に縛られる必要は無いと思って」


「そうか、君は僕の自由意思を尊重してくれるということだね?」


「はい。ルイス様ならどこかの王族からでも喜んで嫁いで来られると思います。ですからルイス様がこの人とって思える女性をお探しになるべきだと」


「そうか。それはこの顔があるから?」


「いいえ! 確かにお顔は美しいです。美しいですが、ルイス様の御心はもっと美しいです。だから……」


 ルイス様がそっと私の頬を撫でました。

 私はまた泣いてしまったようです。


「この人はっていう女性を探せって言ったね」


「はい」


「実はもういるんだ。心に決めた愛する人がね」


「うっっっ。そりゃそうですよね。当たり前ですよね。ははは……」


「でもね、まだ片思いみたい。なかなか分かってもらえない」


「その女性ってバカですか? ルイス様の気持ちが分からないなんて! 私がルイス様の良さをビシッと言ってやりましょう! どこのご令嬢ですか?」


「君は私が愛した女性をバカだと言うの?」


「あっ! ごめんなさい! 私ったら興奮してしまって」


「じゃあ君はバカってことになるよ?」


「わたし?」


「うん。私が結婚したいと心から望んでいる女性は、ルシア・エルランド小伯爵夫人だ。もう結婚しているのに、結婚したいって変だけど、本当の気持ちなんだよ」


「……」


「君はこの顔に執着はないと言ったね? それに顔に傷があれば釣り合うとも」


「それは……」


 ルイス様はニコニコ笑いながらポケットから小さなナイフを出しました。

 そしてゆっくりと自分の頬に刃を当てて……。


「いやっ! やめて!」


「なぜ? こうする以外に君にこの気持ちを伝える方法がない。愛してるんだルシア。どうか私を選んでほしい」


「やめてっ! やめてっ! ダメです! そんな! ダメです!」


 私はナイフを握っているルイス様の手を自分の方に引き寄せようとしました。

 お願いお願いお願いお願い! やめてやめてやめてやめて!


 ルイス様の腕を握る私の手に、生暖かいものが触れます。


「血?」


 誰かが飛び込んできてルイス様からナイフを奪いました。

 羽交い絞めされているルイス様は私を見てそっと微笑みました。


 アレンさんとリリさんが目の端に映ったような気がしましたが、私はルイス様の頬についた1本の赤い筋からはだらだらと溢れ出る血から目が離せませんでした。


 目の前が暗くなり、そこからは覚えていません。

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