第35話 顔の傷と心の傷

 目を開けると自分のベッドにいました。

 昨日着ていたワンピースのままですので、きっとそのまま眠っていたのでしょう。

 ワインを飲んで酔ってしまったのかもしれません。


「奥様、お目覚めですか?」


 リリさんの声です。


「あ、おはようございます」


「ご気分は?」


「大丈夫です。変な夢を見てしまって」


「ああ、旦那さまが自分で顔に傷をつけた事ですか?」


「……」


「現実ですよ? 夢ではありません」


「まさか! ダメです! 私が……」


「いいえ、奥様のせいではありません。あんな傷はマリー特製軟膏を塗っていればひと月で痕も残りませんよ。パフォーマンスですよ、パフォーマンス」


「だって血が! 血が凄く出ていて」


「そりゃ生きてりゃ血ぐらい出ますけど?」


 私はどうしていいかわからず、ベッドの上で立ち上がりました。

 ふかふかベッドですのですぐにコケましたが。


「大丈夫ですか? 少し落ち着きましょう。ハーブティーがありますよ?」


「落ち着けって……ルイス様は? すぐに謝りに行かないと!」


「旦那様はいつも通り出仕なさいました。奥様? 大丈夫ですか?」


 私はベッドに突っ伏して大声で泣いてしまいました。

 どうすればいいのでしょう。ルイス様の苦悩も知らないであんなことを言ったばかりに。


「奥様、旦那様はニコニコ笑っていました。大きな絆創膏を自慢げに貼って。あれは自己満足ですから放っておけば良いのです」


「でも私が顔に傷があれば釣り合うなんてバカなことを」


「私に言わせれば、傷がついていない状態でも勿体ないですよ? 奥様が」


「へ?」


「奥様ほどの方があのヘタレに嫁いでやったんですから、大きな顔をして顎で使えばいいのです。でもまあ、あれが旦那様の精一杯の決意表明だったのでしょう。そこは受け取ってやってください。私も1度自分で顔を切ったことがありますが、意外と勇気がいりますからね」


「自分で?」


「ええ、駆け出しの頃にちょっと失敗しちゃって捕まったことがあって、それで。顔は表層に近い部分に毛細血管があるので、びっくりするぐらい血が出やすいのです。昨日のは旦那様の傷なんて舐めてりゃ治る程度です」


「傷が深いのですか? どうしましょう! そうだ! お詫びに私も顔に傷を」


「いや、それは絶対にやめてください。そんなことしたら旦那様は反対の頬にも傷をつけますよ? 片方なら勇気の印ですが、両方だとただのアホ面です。それにいくらきれいだからって男の顔ですよ? 傷の1つや2つや3つやそこら屁でもありません。どんな理由があろうと奥様が痛い思いをするのは許しません」


「へ?」


「そうです。屁です。屁だからやることがクサいんです。だからそろそろベッドから出て食事にしましょう。アレンさんがおいしそうなサンドイッチを買ってきましたから」


「私……」


「食べないとだめです。無理やり口に突っ込まれたくなかったらさっさと起きてください。出仕前にジュリアンさんが奥様のワンピースと裁縫箱を持ってきてくれましたよ」


「ジュリアンが?」


「ジュリアンさんっていい男ですよね。旦那様なんかと比べるのも烏滸がましいほど。本気で落としちゃおうかな。旦那様って良い伴侶と良い義弟を手に入れてご満悦でしょうね。何のご褒美でしょうか」


 私とジュリアンがご褒美だなんて。


「さあ! おそらく夜には狐と狸が到着するでしょうから忙しくなりますよ」


「あ、はい」


 私はもぞもぞとベッドから降りて、支度をしてから食堂に向かいました。


「おはようございます、奥様。今日は奥様のお好きな玉子焼きのサンドイッチですよ」


 アレンさんがにこやかに迎えてくれました。


「おはようございます」


「あれ? 元気がないですね。もしかして旦那様のことですか? まったく他にやりようがあるのに。恋愛偏差値が低すぎますよね。笑えます」


「だってルイス様のご尊顔に傷が……私のせいで」


「奥様のせいではないですよ。私に言わせればやっと良い顔になりました」


「傷があるのに?」


「傷があるからです。さあ、食べましょう」


 食欲はありませんでしたが、私は食卓につきました。

 リリさんがハーブティーを入れてくれます。

 良い香りです。


「奥様、あんな傷なんか気にすることないですからね? 私の顔にはありませんが、体は傷だらけです。背中なんか斜めにズバッと」


 アレンさんが笑いながら言います。

 するとリリさんが呆れたように言い返しました。


「コマンダー、それはミッションを失敗した数の自慢ですか?」


「違う! それだけ危険な現場を生き抜いたという証拠だ!」


 二人はきゃんきゃん言い合っています。

 ありがとうね、私を元気づけてくれているんだよね。

 ホントにありがとう。

 その日は特に何もすること無く、部屋でぼーっと過ごしていました。

 義両親のことも心配ですが、ルイス様の傷を思うと涙が出ます。

 馬の嘶きが聞こえ、ふと窓の外を見るとルイス様がお帰りになりました。

 私は急いでお出迎えに走ります。


「ルイス様!」


「ルシア! 大丈夫? 気分は悪くない?」


「ルイス様」


 私は泣いて抱きついてしまいました。

 ルイス様はギュッと私を抱きしめて言いました。


「ただいま、私の愛する奥さん」


「ルイス様……私……私」


「ダメだ、昨日の返事は言わないでくれ。まだ捨てられる覚悟ができていないんだ。ゆっくり考えて? そして私を選んでくれたら嬉しいけど、無理は言わない。ルシアの決めたことを尊重するから。昨日はごめんね? いろいろ思うところはあるだろうけれど、とりあえず両親を解放するまでは、このままでいてほしいんだけど、ダメかな」


「いいえ! 私でお役に立てるなら何でもします」


「ありがとうルシア。君の作戦は予想の斜め上を行くからね。期待してるよ。みんなで一緒に頑張ろう。でも作戦名を決めるときは事前に相談してね?」


 私はルイス様に肩を抱かれたまま作戦会議室に向かいました。

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