第29話 闇の中へ
久々のランディさんのお料理をみんなで堪能したあと、リリさんとマリーさんは自室に戻りました。
男性陣はまだまだ反省会という名の宴会を続けるようです。
私も彼女たちと一緒に食堂を出たのですが、なんとなく慣れ親しんだ会議室に向かいました。
懐かしい壁の穴はいつの間にか修復されています。
存在感を放っていた会議机は無くなり、落ち着いた色合いの応接セットが戻されています。
こんな色だったっけ?などと思いながら、その背もたれを指先で撫でてみました。
窓から差し込む月明かりとキャンドルライトで、四角い部屋が丸く見えます。
「明りが届かないところは見えないんだなぁ」
私は誰にともなく言いました。
私の今までの人生はこの部屋の四隅のようなものです。
父に母に、そして弟に光を当てるために存在していたのが私です。
光を当てる者は闇の中です。
そして私自身もそれで良いと思っていました。
先ほどさんざん皆さんに諦めるのが早かったなんてどの口が言ったのでしょう。
恥ずかしいです。
だって自分の人生そのものを、誰よりも早く私自身が諦めていたのですから。
叔母が持ってきた政略結婚の話までは、私にとってある意味既定路線のようなものです。
いつかはそうなるだろうと学生の頃から思っていましたし、むしろ遅かったくらいです。
お相手がルイス様だと聞いて舞い上がってしまいましたが、ルイス様が好きだったのかと聞かれたら、答えは否です。
嫌いだったわけではありませんよ?
私にとっての彼は、ガラスケースの中の触ってはいけないお人形のようなもので、好きとか嫌いとかを超越した存在でした。
友人たちが騒ぐからとか、王女様がご執心だからとか、常に他者目線に引っ張られていただけで、そこに現実味は無かったのです。
それに気づいたのは、劇場で王女様にまとわりつかれているルイス様を見たときです。
だって私、その美人さんがルイス様だと全く気づかなかったのですから。
あれがルイス様だと知ってから、私は知っていたはずのルイス様のお顔を、ベッドの中で何度も思い出そうとしました。
でも浮かんできたのは、曖昧な笑顔のビスクドール。
私の中のルイス・エルランド伯爵令息は絵画の中の人物だったのかもしれません。
憂いある微笑みを湛え、人々を魅了する圧倒的な美を表現した風景画の中の人物。
でも実際のルイス様は、理不尽なことには怒りますし、楽しければ笑います。
良いことがあれば喜びますし、切なければ泣きます。
ジュリアンを相手にふざけ合ったりもするのです。
要するに生きているということです。
生きているのですから、自分の意思は必ずあります。
でも私との婚姻にルイス様の意思は全く入っていません。
早急に婚姻するという決定は間違いなくご自身のものでしょう。
しかしルシア・オースティンだから婚姻するというものではないのです。
この政略結婚を受け入れたのは私の意思です。
ですから、改めて求婚してくれた時も、そこに断るという選択はありませんでした。
必要以上にドキドキするのはあの美貌のせいで、愛ではないのです。
それで良かった……それで良かったはずなのに……。
私は支援金さえ貰えるならいずれは誰かと結婚したし、ルイス様も女王から逃れられるなら誰でも良かったのです。
人生を売った女と買った男。
全てが片付いた今、この事実だけが残りました。
そのことに耐えられそうにない自分に気づいたとき、私はルイス様を1人の男として愛してしまったのだと認めざるを得ませんでした。
ルイス様を愛してしまった私は、きっとルイス様からの愛を求めてしまうでしょう。
求めても得られない愛はいずれ憎しみに変わります。
私はずっとルイス様のことを好きでいたいのです。
ルイス様のお顔だけが好きというのなら、ここまで苦悩はしなかったでしょうね。
どちらかというと、あそこまで整っているとちょっと引くっていうか、鑑賞だけで十分っていうか、とにかく非現実的すぎて恋愛対象とは思えません。
私はルイス様の仲間に向ける不器用な優しさや、偶然妻になった私に、懸命に寄り添おうとする真面目さに心を奪われてしまったのです。
愛している人の幸せを願わない人はいないでしょう。
私もそうです。
ルイス様の幸せな未来を願うなら、黙って離婚するのが最善だと知っています。
あんな素敵な人が、今回のような決め方をした結婚に甘んじる必要など無いからです。
しかし責任感の強いルイス様は自分から離婚を切り出すことはないでしょう。
しかも今回のミッションで強い仲間意識が芽生えていますからね。
だから私からお別れを切り出さないと、ルイス様を拘束してしまうのです。
でも、エルランド家の皆さんがあまりにも良い人で、あの関係が居心地良くて。
ルイス様が少しは愛を返してくれるかもしれないと期待してしまう自分がいて。
私はどうするべきなのでしょうか。
こんな時、母がいたらなんというでしょうか。
父が存命ならなんと言ったのでしょうか。
答えは永遠に闇の中です。
「答えは闇の中……」
そうでした。
闇の中は私のもともといた場所ではありませんか。
どうして気づかなかったのでしょう。
闇の中に答えがあるなら、闇の中で探しましょう。
「姉さん? どうしたのさ。部屋に行ったらいないから探したよ」
「ああ、ジュリアン」
「また泣いていたんだね。姉さん……姉さんの思うようにしていいんだよ? 僕は何があっても姉さんの味方だからね」
「ジュリアン」
ジュリアンは黙って抱きしめてくれました。
いつの間にこんなに背が高くなったのでしょうか。
いつの間にこんなに逞しい体になったのでしょうか。
いつの間に守る側の大人になったのでしょうか。
ダメですね、涙が止まりません。
「ジュリアン、私」
「うん。一緒に帰ろうか」
「いいの?」
「いいに決まってるじゃない」
「でも……」
「とりあえず僕たちが生まれ育った家に帰ってさ、ゆっくり考えようよ」
「うん。ありがと」
「こちらこそ、姉さん。大好きだよ」
私たちはそのまま外に出ました。
門扉のところでノベックさんが馬車を用意して待ってくれています。
「ノベックさん」
ノベックさんは黙って私を抱きしめてくださいました。
「ノベックさん、私……」
「奥様、どちらにしても縁が切れるわけじゃないですよ。ゆっくり休むといい」
ぐすぐすとノベックさんの上着で鼻水を拭いていると、後ろからリリさんの声がしました。
「奥様これを」
見るとリリさんの手には長年使い込んだ私の裁縫箱がありました。
「ありがとう、リリさん」
「暇だとロクなことを考えないですからね、奥様は。たくさんハンカチを作っておいてください。私は花柄より狼とか熊とかの方が好みです」
「うん、わかった。ありがと」
リリさんはジュリアンに裁縫箱を渡して、私を抱きしめてくれました。
やっぱりリリさんはかっこいいです。
「奥様、これを」
リリさんの肩越しにマリーさんが小さな籠を差し出しています。
「マリーさん」
「食べすぎのお薬と、お熱が出たときのお薬です。無くなったらすぐにご用意します」
私はマリーさんに手を伸ばしました。
マリーさんが近寄り、リリさんとマリーさんと私でお互いを抱きしめて声をあげて泣きました。
私のこの行動は正解なのでしょうか? みんなを泣かせてまで押し通すほどのことなのでしょうか? 頭の中をぐるぐるといろんなことが駆け巡ります。
「さあ、姉さん。帰ろうね。あの家はあの頃のままだよ」
ジュリアンが二人から私を引き剝がすようにして馬車に乗せました。
「そろそろ限界だろうから、怪我人が出る前に行こうね」
私たちを乗せた馬車がゆっくりとエルランド家タウンハウスから離れていきます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます