第11話 もう猫は一匹もいません

 ぐっすりと眠った私はいつものようにメイド服で食堂に向かいました。

 ちょっとびっくりなんですけど。

 なぜ皆さんの目の下に見事な隈が?


「ど……どうしたのですか?皆さん。眠れなかったのですか?」


 誰も俯いたまま返事をしてくれません。

 いったい何があったのでしょうか。

 少し焦げたパンが出され、ぬるい紅茶と一緒に胃に流し込みます。

 ドレッシングをかけ忘れたサラダにフォークを突き刺しても、誰も何も言いません。


「何かありましたか?」


 リリさんとマリーさんが立ち上がって、小さくお辞儀をして黙って出ていきました。

 もう仕事を始めるのだと思って、私も行こうとしたらアレンさんに呼び止められました。


「奥様、お話があります」


 きっとあれから何かがあったのでしょうね。

 私が何かやらかしたのかもしれません。


「はい」


 アレンさんを残してランディさんもノベックさんも席を立ちました。

 もしかして私は奥様を首になるのでしょうか。


「奥様、実は昨日、ルイス様に会いました」


「えっ! 旦那様にですか? 私は気づきませんでした。といってもすれ違ってもお顔がわかりませんが」


「ええ、奥様もしっかり見ておられます。あの男ですよ、ロイヤルボックスで女王様とイチャついていたあの男です。あのふしだらでみっともない男です」


「ええっっっっ! あの美人さん? あれがルイス様?」


「そうです。あれがバカ旦那のルイスです」


 アレンさんは怒りのあまりにご主人を呼び捨てにしています。


「では……あの……旦那様は女王様と不倫を?」


「そういうことですね。奥様を馬車に乗せた後、あいつが追ってきて少し話をしました」


 もはやあいつ呼びです。


「本人は事情があるのだと懸命に言い訳していましたが、不貞行為をしていることは明らかです。しかも王配公認で」


「そ、そんな! 会ったことも話したこともありませんが、なぜかものすごくショックなんですが」


「そうでしょうとも! しかもですよ? あの野郎は自分が結婚していたことを知らなかったとぬかしやがったのです!」


 今、あの野郎がぬかしやがったって言いました?

 アレンさんは怒りで震えています。

 全部本当のことなのでしょう。

 私は言葉を失いました。

 どうすれば良いのかまったくわかりません。

 私の結婚はエア婚だったのでしょうか?


「来週にはなんとか言い訳をして帰ってくるとぬかしていましたが、会う必要などございません! いっそ殺しましょうか?」


 いやいやアレンさん、殺人は罪ですからね?

 理由など関係なく投獄されますからね?


「少し落ち着きましょうアレンさん。私のために怒ってくださっているのでしょう? ありがとうございます。皆さんには話されたのですね?」


「全員怒り心頭ですよ」


「皆さんお優しいから。私って幸せ者だと思います」


「奥様……」


「ここは冷静に対応すべきです。まずルイス様と私の婚姻は正式なものですか?」


「もちろんです」


「この件は義両親はご存じない?」


「当たり前です」


「いつからなのでしょう。その……女王様との関係は」


「3年前だそうです。奥様と婚約をされる少し前ですね」


「まあ! その時にはもう女王様の恋人だったのに私と婚約をされたのですか?」


「ええ、本人は知らなかったと言って慌てていましたが」


「そんなこと有り得るのでしょうか」


「有り得ませんね。伯爵様も何度も会いに行かれましたし、会えないまでも伝言を残されたりお手紙を送られたりしています。私も何度も王宮に向かいましたからね。確かに3年前くらいから、屋敷に戻られなくなり、行っても会えなかったりしましたが」


「では女王様の恋人になられてから音信不通状態ということですね?」


「そうなりますね。あの女狐と寝室に籠るので忙しかったのでしょう」


 女狐って……。


「女王様ってその時には御結婚なさっていましたよね?」


「確か4年になるかな? まあそうですね」


「では人妻に手を出した?」


「手を出したのか出されたのか。どっちでも関係ないですよ。汚らしい! そこまでして出世したかったのでしょうかね。優秀な成績で文官に出仕なさって、将来有望だと言われていたのに。どこで道を踏み外したのでしょうか。残念でなりません」


「私としましては、旦那様が私を娶ったという認識がなく、女王様のことを一途にお慕いされているなら身を引くべきだと思うのですが」


「いけません! それだけは絶対に認めません! あんな外道たちのために奥様が貧乏くじを引くなどあってはならないことです!」


 う~ん。実家のオースティン家は貧乏くじを引くプロなのですが。


「何かご事情があるのでは?」


「それはものすごい事情が無くては納得できませんが。奥様は許せます?」


「私はどこか他人事というか。はっきり申しまして顔もわからない方ですから自分の旦那様という感じがしていないので、怒るという感覚は無いですね」


「なるほど」


「なんと言うか、お付き合いも無いご近所さんの浮気話的な?」


「……」


「でも確かに対策は必要ですね。お義父様とお義母様には言うのですか?」


「迷っています。おそらくご心痛で寝込まれると思いますので」


「私もそう思います。そうですね。来週お帰りになるって話でしたよね? そのお話の内容によって、話すかどうか考えてはどうでしょう」


「そうですね。そうしましょう。奥様はご同席になりますか?」


「私は……消えましょう。いっそ死にましょうか?」


 席を外していたはずの皆さんが一斉に駆け寄ってきました。

 これは立ち聞きですね?


「「「「奥様!」」」」


 私は慌てて言いました。


「いえいえ、本当に消えるとか死ぬとかではありませんよ? ちょっと思いついちゃったことがあって。ふふふ」


 私はその瞬間、自らの意思で最後の猫を手放しました。

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