第3話 汗もよだれも流れる体育祭。

「ああ、じ……ぬ……」

「おーい、だいじょぶかー?」

「これみて……大丈夫だと……思うか……?」

「うーん……ゾンビみたいだと思う」

「なんだ……その例え……」


 今、俺――時雨壊しぐれかいは地面に突っ伏していた。いや、地面じゃなく床だ。体育館の床。そこに俺はうつ伏せでぶっ倒れている。ちょっとひんやりしてて気持ちいい。


「ま、受け答えできてるなら大丈夫だなー。体育祭開始までもう時間ないから、それまでに復活しとけよー?」


 そう、れいが言うように、体育祭開始までもう時間がない。あと数分だ。

 今日は体育祭当日。地獄の日が、ついにやってきてしまったのだ。


 だが、今日が終われば今までの体育地獄の日々から解放される! というわけで、とりあえず。


「無茶……言うなってのっ!」


 俺は言いながら起き上がる。


 うん。身体が痛い。連日の体育祭練習で全身バキバキのボロボロだ。精神まで疲弊している。


 ……だけどまあ、練習したからには勝ちたいな。

 俺は、自分で気づくくらいには結構負けず嫌いなところがある。そのおかげで執筆活動を続けられているまである。いや、それは言い過ぎか。けど、間違いではないと思う。


 起き上がりながら小さく笑みをこぼした壊を見て、零が呆れ顔で言ってくる。


「無茶じゃないじゃん。さ、早く移動しようぜ。みんなグラウンドに集まってるぞ」

「ああ、そうだな。行くか」


    ◇


「あーやっと来たー!」

「遅いよ~二人とも~」


 ようやく自分のクラスのテントまで移動した俺と零は、学年トップ2の美少女二人に迎えられた。


「悪いなー、壊が動かなくて遅れた」

「動かなかったんじゃない。動けなかったんだ。正直言うと、今もキツい。動きたくない」

「ということらしい」


 まあ、全身バキバキで痛いのは確かだけれど、全然耐えられる痛みだ。それでも、痛いものは痛いので正直に言う。


「大丈夫なの?」


 席を立って、夜宵やよいが俺の顔を心配そうな顔で覗き込んでくる。

 いや、近い近い。こいつたまに距離感バグるんだよな。


「ああ、まあ……大丈夫だろ」

「あんまり無理しないでね?」

「わかってるよ。ありがとな」


 俺が笑みを向けると、夜宵も笑みを返してくれた。心配してくれるのはありがたいが、せっかくの美人が憂慮一色になるのはもったいない。笑っていた方が絶対いいからな。


 それと、早くもう少し距離を取らないと、周りの視線が痛い。ものすごく痛い。なんなら筋肉痛の痛みより痛い。


 確かに、学年トップの美少女から直接心配されてるわけだし、そこらの男子は嫉妬心が膨れ上がりそうだ。


「お前ら! 絶対時雨なんかに負けるなよ!!」

『おー!!』


 急に背後からすごく一致団結した叫びが聞こえたかと思ったら、希空のあが男子たちを扇動していた。

 後ろに視線を向けると、こっちを見てきた希空と目が合った。すると、『ごめんな』とでも言うように胸の前で手を合わせて苦笑を向けてくる。


 こいつ、やりやがった。


 確かに士気を高めるのには、最適だろう。なんなら高まりすぎでお釣りがくるくらい高まると思う。その結果、俺の死期が早まるけれど。

 ていうか、こいつらのやる気無限に出てくるじゃん。なんか別クラスの奴まで触発され始めてるし。そのやる気、絶対別のことに向けた方がいいって。


「あはは~壊くんも大変だねぇ~」


 後ろでの盛り上がりを見て、朝姫あさひが能天気に言ってくる。もう、ため息と苦笑しか出て来ない。


「はあ……誰のせいだと思ってるんだ。まったく」

「ご、ごめんね……その……私だよね?」


 まあ大部分はそうだろうけど。


「夜宵だけじゃない。俺の周りには朝姫も零もいるからな」

「え? 俺も悪いの?」

「当然だろ。お前たちはこの学校のアイドルなんだから。まあ、俺がイケメンじゃないのがいけないのかもしれないが」

「え? 完全にそれじゃね?」


 逡巡しゅんじゅんの迷いもなく秒で零が肯定してきた。


「お前、殴られたいのか?」

「嫌に決まってるだろー」


 なんでかわからないが、零が相手だとヴァイオレンスになってしまう。いけないいけない。ま、実際に殴ることなんて……滅多にないが。


「ま、まあまあ~そろそろ始まるからその辺にしよ~?」


 朝姫がそう言ったところでタイミングよく、グラウンドにアナウンスが流れた。


『まもなく、体育祭を開始します。生徒の皆さんはグラウンドへ集まってください』


「あ! ほら、始まるって~行こ~」

「うん。行こう」

「そうだなー」

「はぁ……暑い……」


 四人さまざまに口にして、陽炎かげろうが揺れる炎天下のグラウンドに、その足を踏み出した。


    ◇


 パァン!!


『始まりました! 皆、僅差で走っています! 今パンがつるしてある所へ全員がたどり着きました! おおっと! 一組が華麗にパンを咥えて一歩リードしていきます!!』


 今はいくつか競技を終え、一年生によるパン食い競争が始まっていた。


 そして、今先頭をパンを咥えて走っているのは、俺の親友である零だ。


「やっぱり、パン食い競争でも、こう、みっともなくならないでイケメンでいられるのって、ずるいと思うんだ俺」

「そうだね……一回飛んだだけで綺麗に咥えてるものね……」

「まあ零くんは運動できるしね~」

「確かにそうだった」


 あいつは俺たちと一緒で、基本インドアだが、俺と違って運動神経は悪くないし、体力もある。あいつがやっていることには体力が必要で、そのために走り込みを普段からしているから、俺との違いが生まれたんだろう。


『一組、今一着でゴールしました! 余裕の一位です!』


 ゴールした零が、こっちに向かって手を振っている。黄色い歓声もところどころから響いてくる。相変わらずのイケメン面だ。走ったあとなのに疲れた様子も一切ない。俺は走ってすらないのに疲れてるっつーに。ほんとすごいなあいつ。


「にしても……エロいな」

「エッチだね~」

「えっ? えっ!? エッ!?」


 俺の呟きに朝姫が速攻で同意してくる。俺たちの口から突如出てきたワードに夜宵は目を白黒させて頭から煙を出していた。


「か、壊くん……零くんのこと、そんな風に見て……」


 ついに夜宵の思考がそこまでたどり着きそんなことを言ってくるので、しっかり断言する。


「断じて違うからな。客観的に見て、だよ。イケメンが汗を拭く動作とか、腹筋がチラッと見えるのとか、女性ってそういうところに結構エロスを感じるだろ? つまりはそういうことだ。……やっぱり、実物は超参考になるな」


 やはり頭の中で想像しないと文字に起こせないからな。だから、実際に見ていた方がイメージしやすく文字に起こしやすい。自分でやればいいじゃないかって? 俺に言わせるな。悲しくなるだろ。


 隣で朝姫もいろんな角度からスマホでめちゃくちゃ写真撮ってるし。いい画が撮れてるといいな。


「あ、もう数組しか残ってないな。そろそろか?」

「あ~ほんとだ~。それじゃあ夜宵ちゃん、行こ~」

「う、うん」

「いてらー」


 朝姫が夜宵の手を取って、手をつないだまま歩いていく。

 美少女が手を繋いで二人一緒に歩くとか……ありがとうございます!!


 その光景を脳内に焼きつけ、心の中で神を崇めるように拝んだのは、また別の話である。



 その後、残りの何組かが走り、パン食い競争が終了して零が戻ってきた。なんかパン食ってる。


「お疲れ」

「ほー、ほふはれー。ひっひゃくほっはほー(おー、お疲れー。一着とったぞー)」

「見てた見てた。おめ。あと、のみ込んでから喋れ」


 そう言うと、零がぱくぱくっとしっかりパンを平らげて、舌なめずりしてから口を開いた。


「あれくらい普通だけどなー」

「俺はその普通ができないんだがな」


 まあ今更だけど。

 自分の運動能力のなさに、手遅れだと感じていると、零がキョロキョロと首を振って、何かに気づいたのか首を傾げて聞いてきた。


「夜宵と朝姫はー?」

「二人は玉入れの準備に向かったよ」

「ああ、そいや次だったなー」


 そう、すこし前に二人がここを離れたのは次が出場種目だったからだ。そして、その次には……


「はぁ……もう少ししたら俺の騎馬戦か……吐きそう」

「ははっ、まぁ頑張れ。なんとかなるだろー。練習なんとかなってたし」

「それならいいんだがな。いや、まじでそうあってほしい」


 練習では騎馬が崩れることなく普通に動けていたし、俺自身も落ちることなくやれていた。あとは、ハチマキをとられたりしなければ大丈夫なはずだ。

 うん。大丈夫だ。大丈夫。……大丈夫。


「おっ、玉入れ始まったぞー」


 零の声に、沈み始めてた意識が覚醒して、視線をグラウンドに向ける。


「ほんとだ。あっ、あれ夜宵と朝姫じゃね?」

「んー? おっ確かに。朝姫ー夜宵ーがんばー!」


 二人の視線の先では、白い玉をいくつか持って投げ入れる夜宵と朝姫の姿が認められた。いくつもの玉が綺麗な曲線を描いて籠の中にスポッと収まる。


「なんか……うまくねー? うちのクラス」

「確かに……ほかのクラスの倍近くは入ってるぞ」

「これ勝ち確だなー」

「そうだな」


 ……え? マジで? 自分のクラスが勝つのは素直に嬉しいんだが、零も勝って、夜宵と朝姫も勝ったら、なんか流れ的に俺も勝たなくちゃいけない流れになってね? え? 勝てるかな? ……あ! いや、違う。これは、俺も勝てるパターンなんだ! このビッグウェーブに乗れば、なんとなく、きっと、多分、勝てるんだろう!! よし、やってやるぞ騎馬戦ッ!!



「ボロ負けしました。大変申し訳ございません。僕はクソザコです。いくらでも罵ってください」

「ふふふ……練習でも……ふっ……やんなかったのに…………本番で……ふふっ……やるとか……まじで……ふはっ」

「おいそこ、笑い過ぎだ」

「はははっ! 笑うだろふつー」


 ぷるぷる堪えていた零が堰を切ったように笑いだした。そんな零とは対照的に眉を下げて夜宵と朝姫が言ってくる。


「そ、それより大丈夫なの? その、頭から落ちたよね? 本当に大丈夫?」

「そうだよ~大丈夫なの~? 零くんも笑ってる場合じゃないよ~」


 思いの外、夜宵も朝姫もガチで心配してくれているように見える。少し申し訳ないな。

 しかし、そうなるのも仕方ない。俺だって見ている側だったら、それを心配しただろう。


 それもそうだ。俺はさっき――


    ◆


「よーし時雨、気合入れろよー!」

「お、おう。やれるだけのことは……やるよ」


 とは言ったものの、さっきからめっちゃ足がガクブル震えてるんだが? これがあれか? 生まれたての小鹿みたいだっていうやつか?


「時雨ー、はよ乗れー?」

「わ、わかった。今乗る……」


 俺は深呼吸して覚悟を決め、騎馬を担当してくれるクラスメイトの手に足を乗せ立ち上がる。


「ちょっ、時雨……」

「な、なに?」

「お前めっちゃ足震えてる……」

「……気のせいじゃね?」


 いや、まったくもって気のせいじゃない。その通り足は震えている。いや、でも、そう思いでもしないとやってらんないんだ。


「あ、ちょっ、時雨重い! 腕に座るな!」

「へっ?」

「腰! 腰上げろ!」


 あ、ほんとだ。いつの間にか座ってた。


「あ! 今度はまた足が震え始めたぞ!」


 そこでパァン! と、ピストルの音がグラウンドに響いた。開戦の合図だ。


「まずいぞ! こんなところでモタモタしてたらすぐ負ける!」

「時雨動くぞ!」


「え? 急にはむ――ってうわぁ!」


 えっ、な、なんか練習のときより動くの早くないか?


「なんか不安定だ! 時雨、足治んないのか!?」

「むり」


 それよりも、なんか目の前からもんのすごいスピードで突っ込んでくる騎馬がいるんだが? 目がギラギラしてる……っていうかもう、キマッてるだろ! なんかキメちゃってるだろ!? やばるぎるってぇ!!


「な、なあ? あれとやるのか?」

「タゲられてるし、やるしかないな」

「まじか……終わった……」

「ハチマキ取られなきゃ大丈夫だろ」

「そういう問題じゃ――うわっ!」


 もう来やがった! いや、騎馬であの距離をこの一瞬でとかどれだけだよ! ハチマキ取られたかと思ったわ。あっぶねー。


「時雨、あんまり揺れるなよ! お前の足、ただでさえ不安定なんだから!」

「いやでも、この相手ヤバいって!」


 目、血走ってるよ! ガチすぎだろ! 俺になんか恨みでも…………完全に否定できないのが悔やまれるっ!


 てかこいつ、まったく躊躇せずに頭狙ってきてやがるな。こっわ。頭動かしてなかったら目ん玉つぶれてそう。ていうか顔面抉れてそう。絶対に避けてハチマキも取られないようにしないと。


「おい時雨! 揺れるなって言ったろ! そろそろ限界だ――」

「あっまじ――」


 言葉を零した瞬間、なぜか右足に浮遊感が襲った。


「イッ――!!」


 やっば、足滑った! でも大丈夫、騎馬が支えてくれて――え?


『時雨――――っ!!』


    ◆


 ――ということがあった。

 俺が足を滑らせたとき、騎馬をやってくれていたクラスメイトが腕で一瞬支えてくれてたけど、俺の落ちる力に耐えきれなくてなぜか俺は頭から落ちた。どうやったら頭から落ちるのか、俺にも理解できない。


 そのクラスメイトには謝り倒されたけれど、実際俺の額のちょっとした擦り傷以外、特に何もない。なんなら足をガクブル震わせてた俺の方が悪いまであるから、ちょっと申し訳なさまで感じる。


「ま、唾つけときゃ自然と治るよ。ちょっとした傷だからな」

「そ、そうなの? ……じゃあ、ちょっと頭かして?」


 そんなことを言って夜宵がまるでハグ待ちのようなポーズをしてくる。


 え? いや、頭かすってなに? まさか、その……胸元に顔近づけろって言ってんの? ていうかそれで何をしようというんだ? なんか嫌な予感する……。


「ちょ、ちょっと待て。それで、何をするんだ?」

「え? 傷口舐めてあげようかなって」


 …………は?


「なんで?」

「だって、壊くんが唾つけとけば治るって言ってたから、私のもつければもっと早く治ると思って」


 俺がおかしいのか!? なんで平然なっていうか、俺の方がおかしいみたいな顔を向けてくるんだこいつは! つーかこいつ本気で言ってるのか!? あーもうわけわからん。


「あの、な……? 確かに、唾つけとけば早く治るとか言われてたりはするんだけどな? 夜宵は誰かが他人の傷口を舐めてるところ見たことあるか?」

「……? ないよ?」

「そうだよな? じゃあ、お前は人が他人を舐めてたらどう見える?」

「え……それ、は…………」


 そこまで言って、夜宵の顔がボンッと音を立てて真っ赤になった。多分、自分の言ったことを脳内シミュレートし、客観的に見てみて、ようやく言葉の意味を再認識したんだろう。


「心配してくれる気持ちは本当に嬉しいんだが、俺の言葉はあくまで言葉の綾だ。だから、実際にやる必要はないんだ」

「あ、う、うん……そう……だよね……」


 夜宵が耳まで真っ赤にしたままもじもじして目を逸らしてしまった。

 夜宵と二か月近くを一緒に過ごしてきて思ったが、こいつ意外と抜けてるというか、天然なところがあるんだよな。朝姫のナチュラル天然が夜宵まで浸食したのか? 少し心配に感じるけど……あまり気にしすぎても無駄か。


『体育祭午前の部が終了いたしました。これから一時間のお昼休憩になります。生徒の皆さんは――』


「お? 昼休憩だってさー」

「そうだね~確かにお腹空いたかも~」


 それまで俺が全力で無視していた、ニヤニヤ顔を向けてきていた零と朝姫がアナウンスを聴いて言ってきた。

 それに迷うことなく夜宵が乗っかった。


「そ、そうだよね! 食べ行こっか! ほら、壊くんも!」

「はいはい。今行くよ」


 今日は弁当にいつもよりは力入れたからな。喜んでくれたら嬉しいな。


 ……なんか最近俺の思考、どんどん主夫になってないか?


    ◇


「ほいっ。結構作ったから、遠慮なくたくさん食べてくれ」

「久々の壊の飯だ! 上手いんだよなー」

「うんうん。おいしいよね~私も久しぶりだな~。それじゃあいただきま~す」


 教室で四つの机を固め、それを囲うように四人で座り、持ってきたお弁当を中央に置くと、さっそく零と朝姫が手を伸ばした。


 今日の主食はおにぎりだ。おかかや昆布、たらこやしゃけ、ツナマヨとシンプルに塩とか、いろいろ握っておいた。梅は俺が苦手だから入れてない。あ、でも……


「あ、そうそう。言い忘れてたけど今日のおにぎりな――」

「~~っ!! からいよ~~~~っ! なにこれ~~~~!!」


 涙目になって鼻を抑えながら朝姫が叫んだ。


「あー……朝姫もう当たっちゃったか。今日は一つだけわさびをいっぱい入れたわさびマヨおにぎりが入ってるロシアンおにぎりにしたんだ」

「もうっ! そんな遊び心いらないよ~! お水ちょうだい~!」

「ごめんごめん。ほら、水」


 俺が水を手渡すと朝姫がお礼を言って受け取り、口直しするようにゆっくり水を飲んでいく。その横で零はぱくぱくと、唐揚げや玉子焼き、ポテサラにまで次々と手をつけていた。食べるのが早い。絶対よく噛んでないだろ。


 と、そんななか、静かにおにぎりを一つだけ取って全然手が進んでいない者が一人だけいた。


「どうした夜宵? お腹空いてないのか?」


 そう、いつもは家でなんでもおいしそうに食べてくれる夜宵が、しょぼんと眉を下げながらおにぎりをちびちび食べていた。


「あ、いや、その……」

「ああ、別に腹減ってないなら無理に食べることはないぞ?」

「えっ? う、ううん。別にお腹減ってないわけじゃなくって……」

「え? そうなのか? じゃあ、ちゃんと食べた方がいいぞ? 今日も暑いし、しっかり食わないと倒れるかもしれないし」

「そう……なんだけどね」

「うん?」


 なんか歯切れが悪いな……何か言いづらいことでもあるのか?


 そんなことを考えていたら、夜宵がそのまま言葉を続けてきた。


「その……ね? 壊くんの作る料理はすっごく美味しいから、朝姫にも零くんにもいっぱい食べて欲しくて。ほら、私はいつでも食べられるからさ」

「……そんなこと気にしてたのか?」

「そ、そんなことって……壊くんの料理を食べられないのは、私にとって死活問題なんだよ!?」

「そこまで!?」


 そこまで!? あ、心の声が先走って出ちゃった。


「そうだよ!! だから、たまにしか食べられない二人には、いっぱい食べてもらおうと思って……」


 って言ってるけど、人の目はやっぱり口ほどにものを言うな。すっごい食べたそうな目をしてるぞ。


「え~夜宵ちゃんそんなこと思ってたの~?」


 夜宵の言葉を聞いて朝姫がびっくりしたような表情を浮かべ、それをまったく感じさせないのんびりとした声音で言うと、夜宵は控えめに首肯した。


「う、うん……」

「もう、そんな心配しなくていいのに~。ね? 零くん? 壊くん?」


 朝姫が話を振ってくると、零は今まで止めていなかった食べる手を止めて、口に含んでいたものをしっかり呑み込んでからうなずく。


「もぐもぐ……ごくっ……ああ、壊なら言えば作ってくれるしな。いつでも食える」


 どんな立場でものを言ってんだこいつは。はぁ……


「まあ、毎日はごめんだが、うちに来た時くらいは作ってやるけど……」

「ほらぁ、壊くんもこう言ってるんだし、夜宵ちゃんも遠慮しないで一緒に食べよ? 一緒に食べた方が美味しいよ?」

「朝姫……うんっ! 一緒に食べるっ!」


 ちょっと曇っていた夜宵の表情が晴れて、満面の笑みを浮かべてうなずいた。

 朝姫もそれを見て満足そうにうなずくと、弁当箱に入っていた玉子焼きを箸で取って、夜宵の口元まで運ぶ。


「ふふっじゃあほら、あ~ん」

「えっ……あ、その……あ、あーん」


 少し頬を赤く染め、逡巡したのち夜宵は口を開いて、玉子焼きをぱくっといただいた。


「おいし?」

「う、うん。おいしい……」


 朝姫がニコニコ問いかけるのに対して、夜宵が目を逸らして恥ずかしそうにうなずいている。


 ……神か!! なにこのちょっとした百合展開!! はあ!? まじで最高なんですけど!? ありがとうございます!! いやまじでありがとうございます!!


 いやあ、ほんとなんかこの二人の周りだけ白いユリの花が咲き誇ってキラキラしているように見えるっていうかぁ……幻覚ではないことを祈るっていうかぁ……。


「……俺たちもやったほうがいいか?」

「いや、BのLは求められてないからやめておこう」

「ういー」



 そうして、四人で雑談しながらお弁当を食べ終わり、食後のデザートといってカットしてきたフルーツをしゃくしゃくしてると、ふいに朝姫が何かを思い出したかのように手を叩いて、自分のバッグをごそごそと漁り始めた。


 ようやく手を止め、バッグから取り出したのは。


「カメラか?」


 一眼レフのデジタルカメラだった。


「そうだよ~」


 言いながら朝姫が俺にカメラを押し付けてきた。とりあえず受け取っておくが、何が何だかわからない。


「なんだよ。これで何か撮って来いって?」

「うん。このあと午後の部始まるでしょ? その始めに私たちが出るから、それを撮っておいてほしいんだ~」

「ちょっと朝姫! な、なんで写真なんて……」


 うわっびっくりした。どうしたんだ夜宵のやつ、急に慌てて。


「あ~ごめんね夜宵ちゃん。壊くん、夜宵ちゃんのも撮っておいてね~」

「よくわからんが、了解した」


 ノリで敬礼してみると、朝姫も敬礼を返してくれた。のんびりしてるがノリはいいのが朝姫である。


「えっ? ちょっと何勝手に決めてるの!? あんな恥ずかしい格好撮らないでよ!」

「え~可愛いのに~」

「う~そう言ったって撮らせてあげないんだからね!」

「夜宵ちゃん」


 それまでのほほんとした雰囲気を纏っていた朝姫が、急に真面目な顔をして声のトーンを落とした。その雰囲気にごくりと無意識に喉が鳴る。


 ついに、朝姫がその口を開いた。


「これは夜宵ちゃんにとって壊くんのごはんがそうであるように、私にとって死活問題なんだよ。インスピレーションを得るには刺激が必要で、その刺激を得るのに手っ取り早いのが、美少女の可愛い姿なんだよ!!」

「大真面目な顔して何言ってるの!? ねえ壊くん零くん朝姫が壊れちゃった!! どうしよう!?」

「いや、朝姫は最初からそんなだぞ?」

「そうだなー。ぱくぱく」

「ええっ!? 知らなかったの私だけ!?」


 まあ、そうだろうな。ていうか俺たちしか知らないんだろうけど。朝姫、こう見えて普通にオタクだし。美男子美少女大好きだし。

 朝姫に隠すつもりは全くなかっただろうし、単純にそういうアニメに関する話を夜宵とは全くしてこなかったんだろうな。


 ていうかよくこの雰囲気で平然とフルーツ口に運べるな? さすが零。俺も食べよ。


「そういうことで、壊くんあとはよろしくね~」


 俺がフルーツをもぐもぐしながらグッとサムズアップすると、朝姫も満足げにうなずいてから、残りのフルーツを一緒にぱくぱくし始めた。夜宵だけはまったく納得していなそうだったけれど。


    ◇


 お昼休憩も終わり、午後の部が始まって最初の種目『応援合戦』が幕を開け、会場であるグラウンドは歓声で溢れかえっていた。


 それもそうだろう。グラウンドの中心では、学校が誇る美少女たちが萌える衣装を纏って踊っていたのだから。


「やっぱり、チアか」


 そう、ノースリーブのトップスからのぞく白くすべすべしていそうなおへそ、ひらひらと揺れるプリーツスカートから覗くほどよく引き締まった太もも。


「大変けしからん」


 盛り上がらないわけがなかった。


「よっし、通報な」

「冗談だ」

「わかってるよ。それより、気づいてたのかー?」

「ん? ああ、体育祭で可愛い衣装って言ったら、これくらいしかないだろう?」

「あー確かにそうかー。でも、他にもあるんじゃないか?」


 テントの下で隣に座る零に言われ、少し考えてみる。体育祭における、可愛い衣装。または体育祭だからこそ見れる衣装とは。


「やっぱ、ブルマか?」

「真面目な顔で言うなよ。ていうか今は普通に半ズボンだろ」

「それはそうだが。しかし、やはりブルマは古き良き文化だと思うぞ。とくにロリキャラにはよく似合う」

「真面目な顔で言ってるから数段キモい発言に聞こえるな」

「だが、やはりあいつらには今のチアの方が似合うな。ブルマは……似合わないことはないだろうが、なんか……しっくりはこない」

「もうやめとけー。それ以上はっていうかもうセクハラのライン踏んでるぞー?」

「ああ、すまんすまん。ついな」


 思考の海に身を投げ出すとついつい止まらなくなってしまうのは俺の悪い癖だ。たしかに、今思い返すとマジでキモい発言しかしてないな。ああ、でも応援合戦か。


「応援合戦なら、やっぱり男子と女子の制服を逆にして着るんじゃないのか?」

「お前そこまでアニメ脳になっちまったのか。うちは学ランじゃなくてブレザーだろー。ほとんど変わらん」

「ああ、確かに。……もうちょっと足上げてくんないかな……」

「それで、お前は何を撮ってるんだ?」


 そう、この会話の間にも俺は手を止めることなく朝姫に頼まれた写真を撮るという使命を果たしていた。


「何を撮っているかって? そんなの決まってるだろ。見せパンだ」

「よし、一一〇番――」

「まてまてまてまて、考えてみろ。朝姫が俺に撮ってほしいって言ったんだ。これは純粋に撮ってほしいだけではなく、資料として撮ってほしいと言っているんだろう。故に、合法なのだ」

「……まぁ、確かに。言ってることは間違ってはいないかもしれないな」

「だろ?」

「ただ、その行動や挙動、そして説明する際の言い方はただの変態だな。やっぱり一一〇番するか?」

「本当にやめてくれ。普通に死ぬ。社会的に」

「ははっ、冗談だよ。お前がそんな変態なのはもともと知ってるし、それに……お前があいつらを傷つけることをしないってのも、よく知ってるよ」

「……どうだかな」


 今まで続いていたコントみたいな雰囲気がしんみりとした空気になって、落ち着かなく、ちょっと話題を変えてみた。


「そう言えば、お前ん家は今回も親来てないのか?」


 問うと、零はすこし驚いたような顔をしたが、普通に答えてきた。


「ああ、忙しいんだとよ。あいつらの運動会くらいは顔出してやって欲しいんだがなー」

「……そうか」


 相変わらず忙しいのか零の両親は。運動会、俺も行くか。


「ていうか、それなら壊の家はどうなんだよ。お前ん家が来てないなんて、逆に珍しくね? いつもは来てくれてただろ?」

「あー、それはあれだ。俺、アパートに引っ越したじゃん?」

「ん? うん」

「それで、体育祭関連の連絡物を、必然わざわざ渡さないだろ?」

「うん」

「それでいて、俺は体育祭のことを結構直前まで忘れてたわけよ?」

「あー」

「急に体育祭来てくれとか言われても、忙しいだろうし迷惑だろ? だから今回は何も言ってないんだ」

「あー、なるほどなー」


 零が得心がいったようにしきりにうなずいてる。まあ、そんな理由がなくても俺は両親に知らせなかったけど。


 零の両親が来ないことはなんとなくわかってたし、朝姫の家も来れないのは知ってた。夜宵も親とケンカして出てきたわけだし、俺ん家だけ来るのとか何となく違う気がした。


 と、音楽が終わり、チアの格好をした女子たちがグラウンドから去っていく。


「終わったか」

「終わったなー。さて、本格的に競技が再開されるぞー。頑張れよ、借り物競争」


 ニヤッと口の端をつり上げていやな笑みを零が向けてくる。俺はそれに肩を竦めてすまし顔を浮かべ、答えてやる。


「頑張るも何も、借り物次第だろ?」

「ま、そうだなー」

「んじゃま、行ってくるわ」

「いてらー」


 零の送りの言葉を背に、俺は待機所に向かった。


    ◇


「ん~ただいま~」

「お、朝姫と夜宵。もう着替えたのか。もったいないなー可愛かったのにー」

「あんな格好で出歩けるわけないでしょ、恥ずかしい」


 自分たちの席があるテントに戻って、椅子に腰掛けながら言う。


「そんなこと言って~意外とあの格好気に入ってたくせに~」

「そ、そそそんなことないし!」


 もう、朝姫はそういうことばっかり言うんだから! なにか朝姫が食いつく別の話をしないと……。


「あ、そう言えば壊くんは? 借り物競争、もう始まってるよね?」

「ん? ああ、多分そろそろ走るぞ。ほら」


 そう零が指を向けた方向を見てみると、壊が位置にスタンバイしていた。他の走者も各々位置についている。


「もう始まるんだ~。壊くん一位取れるかな~?」

「まあ取れるんじゃね? 運がよければだけど」

「うん。運がよかったらね……」


 壊くんの運動神経の悪さとか……もう関係ないからね。運動神経が悪いとかそういう次元じゃないから。グラウンド半周走ったら息切れする体力に、ボールを投げればあらぬ方向に飛んでいくし、普通に走ってれば歩幅の問題もあるし五〇メートル走九秒台くらいは出るはずなのに十秒台だし。


 まあでも、この競技ならどんなに速くっても借り物を見つけられないとゴールできないから、壊くんが早く借り物を見つけられればチャンスはある。


 すると、パァンとピストルの音が響いた。位置についていた選手たちが一斉に走り出す。

 やはり、壊は一番後ろを走っている。


 他の選手に遅れて、ようやく借り物のメモが書かれている用紙を手に取り、壊が確認した。


「壊くんの借り物なんだろうね?」

「うーん……ギネス保持者とか?」

「それは無理があるんじゃないかな~? 無難に、好きな人とか~?」


 朝姫が零の予想を否定して、そんなことを言いながら何か含んだ視線を向けてくる。

 もう……口元ニヤけてるし隠せてないよ朝姫。


「そんなお題あるわけないでしょ? いない人にあたったらどうすればいいのよ」

「う~ん……まあ家族とかが選ばれるんじゃない?」

「そういうものなの……?」

「なあ、壊のやつこっちに走って来てないか?」


 壊のお題の予想で盛り上がっていると、零が急にそんなことを言い出した。


「そんなばかな……」


 言いながら、グラウンドに視線を向けると、本当に壊がこっちに向かって走って来ていた。


 えっな、なんで? まさか……まさか本当に好きな人とかじゃないよね? た、多分、親友とか幼馴染とかそういうところだよね?


 朝姫のお題予想を聴いてしまったがためにそういう思考になってしまってぐるぐるしていたところに、とうとう壊が到着してしまった。


 壊くんもう息切れしてる……。本当に汗拭ってる男の子エッチだ……。てか服の裾使って拭いてるからお腹見えちゃってるよ。息が荒いのも相まってすっごいエッチなんだけど今の壊くん。ねえ、どうしてくれるの? 零くんのパン食い競争見て壊くんと朝姫が言ってた意味ようやく理解できたよ。今にも鼻血出そうだよ。


「や……夜宵……」

「えっ? は、はいっ!」


 急に名前呼ばれたから思わず敬語になっちゃった。いや、それよりももしかして、借り物って……


「夜宵、お前しかいない。俺と一緒に来てくれ」

「――ッ!!」


 なにそのプロポーズじみた言葉――――ッ!! 思わずキュンキュンしちゃったでしょ!! 疼いちゃったでしょ!! どこがとは言わないけど疼いちゃったでしょ!! いやまあプロポーズじゃないことはわかってるんだけどさあ!! それでも勘違いしちゃうってぇ!!


「は……はい」


 差し出された壊の手を取ると、横からパシャリと音が聞こえてきた。


「うへぇ……美少女の乙女顔~さいこぉ~」


 よだれたらした朝姫がスマホでカメラを向けてきていた。連射してさらにどばどばよだれをたらしてる。なんだかよだれが砂糖にも見えてきた。しかし、壊は気にした風もなく手を引っ張ってくる。


「夜宵、行くぞ。転ぶなよ?」

「う、うん」


 真剣な眼差しで見つめられて心配されたらそんなの堕ちちゃうに決まってるでしょおおおおおお!! もう私の理性をこれ以上破壊しないでええええぇぇ!!



『ゴオオォォォォル!! 今一着でゴールしたのは一組です! あの運動が壊滅的で体力テストが最下位の時雨くんが一着で一学年のアイドル、明星夜宵さんと共にゴールしました!!』


「はぁ……はぁ……おい実況、余計なこと、言わんでいいわ」


 ふふっ、実況は同じクラスの千夜ちやちゃんだったんだ。そう言えば放送部だったね。


『いやいや、言いますよー時雨くん。君が連れてきた人は誰だと思ってるんですかー? 

ということで、時雨くんのお題は何だったんでしょうか! 夜宵ちゃんを連れてきたのは、つまりはそういうことですよね!?』


 あ、そう言えば壊くんにお題聞いてなかったや。結局なんだったんだろう。


『それでは、お題を見せてください!』


 実況の声に従って、壊がお題の書かれた紙を、お題を確認する係の人に手渡す。その際、すこしだけそのお題の中身がチラッと見えた。


 えっ!? い、今『好』って見えたんだけど!? ま、まさか朝姫の言ってたお題じゃあ……本当に愛の告白だった?


 ついにそのお題を係の人が確認して、マイクを口元に近づける。そして、お題の書かれた紙を広げ、みんなに見えるように掲げながら言った。


「お題は――『皆に、好かれている人』、でしたー!」


『うーん、文句なしの人選ですね! オーケーです! 一組一着、おめでとうございます!』


 ……うん。わかってたけどさ。こう、なんで期待させるようなことするかなぁ神様は。私悲しいよ。『皆に』と『好かれている人』を一段と二段に分けて書かなくてもいいじゃん。

いや、壊くんと結構長い時間手をつなげたのは嬉しいんだけどさ。あんなこと言われてキュンキュンしちゃったけどさ。

 はあ……皆って、壊くんも私のこと好きでいてくれてるのかな……。


 そんなことを考えていると、突然右肩に重さを感じてそちらに顔を向ける。すると、壊が寄りかかってきていた。


「ふぇっ!? か、壊くん? ど、どうした……の?」


 一瞬ドキッとしたけれど、よく見ると、壊の顔が青く息も荒くなっていた。顔中玉の汗で、焦点もどこか合っていないように見える。


「か、壊くん大丈夫!?」

「あ……悪い……もう、限界かも……」


 そう言い残して、ついに壊が気を失ってしまった。


    ◇


「んぅ…………んあ? ここは?」


 まるでマンガの目覚めた瞬間のテンプレセリフとともに目を覚まして、これまたテンプレート、寝たまま辺りを見回す。

 すると、左隣に見えた少女が顔を覗き込んできた。


「壊くん、大丈夫? どこか違和感とかない?」

「……夜宵?」

「うん、夜宵だよ。壊くん借り物競争のあと倒れて、保健室に運ばれたんだよ。軽度の熱中症だって」

「そう……か……」


 俺、熱中症でぶっ倒れたのか。水分補給もしたし、飯も食べたし、しっかり対策したつもりだったんだけど……日に当たりすぎたか? 普段登下校体育以外、日の下に出ないから耐性が無くなってたのかもな。


「それだけじゃないよ。壊くんの体力の問題もあるって。体力に限界が来たところで暑さにやられちゃったんだろうって。無理するなって先生言ってたよ」


 はあ、体力もつけろって話か。零にいい感じのトレーニングメニューでも教えてもらうか。いや、それはいいとして、続けられるかどうかの話だな。ま、どっちにしろ今考えても仕方ないか。


「そっか……違和感とかは特にないよ。……ありがとな、夜宵。看病してくれてたんだろ?」

「へっ!? う、ううん、別に、私は何もしてないよ!? なんか色々は先生がやってくれてたし、出場競技もちゃんと出たし……私は余った時間ここにいただけで……」


 夜宵が慌てたように首を横に振って俯き、ゴニョゴニョと言い始めてしまった。


「それでも、ありがとな」

「……うん……」


 俺が礼を言うと、夜宵はまた顔を上げて、優しく微笑んでくれた。なんだか、この顔を見ると安心するようになった気がする。……気のせいかもしれないけど。


「っと、そうだ。体育祭はどうなったんだ?」

「もう終わったよ。今一六時。みんな帰り始めてる頃かな?」

「おう、一組優勝したぞー」

「よかった~壊くん起きた~」


 急にガラガラッと扉が開かれたと思ったら零と朝姫が入ってきた。

 無事、一組が優勝できたらしい。全員リレーで俺が走ってないから優勝できた説推すわ。


「あ、時雨くん起きましたか?」

「あっ、先生」


 と、バカなことを考えていたら、零と朝姫の後ろにもう一人、担任のすずちゃんも来たらしい。夜宵もすずちゃんを確認して椅子から立ち上がって席を譲っている。


 その椅子にすずちゃんが座ったのを見て、俺も上半身を起こす。


「もう、具合は大丈夫なんですか?」

「はい。もう大丈夫です」

「歩けそうですか?」

「多分、問題ないと思います」

「そうですか。よかった……」


 本当に心の底から安堵したようにすずちゃんが吐息を漏らした。


「本当に心配したんですからね。今日はもう、お家に帰ってしっかり水分補給して、しっかり塩分も摂って、しっかり寝てください! いいですね?」

「は、はい……」


 すずちゃんの息を吐いてからの迫力がすごくて気圧けおされる形で頷くと、「よろしい」と言わんばかりにいい笑顔で頷いて、すずちゃんが椅子から立ち上がったので、俺も保健室のベッドから下りる。


「ほら、壊。おまえの荷物だ」

「さんきゅ」


 零が持ってきてくれたらしい俺のバッグを受け取って、普通に歩けることを確認する。


 うん。問題ないな。


「それじゃあ、そろそろお言葉に甘えて今日は帰らせていただきます」

「はーい、さようなら。また来週元気な姿見せてくださいねー」

「はい。さようなら」

「ばーいせんせー」

「じゃあね~せんせ~」

「先生、さようなら」


 手を振って送り出してくれる先生に一礼して、各々おのおの挨拶してから学校をあとにした。

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