第10話:少女の悲劇

 非常に騒々しい。

 混乱と騒乱。

 まだ幼かったその少女には何が起きているのか正しく理解できてなかった。

 今起きている現状が、ショーのような何かとさえ感じていた。

 わかるのは、暗く狭い場所に自身が居ることと、絶対に声をだしてはいけないという母の教えだった。

 だから、必死で息を潜めて、声をださないようにしていた。

 ただ、暗いのは怖かったので、少しだけ隙間を空けて。

 細い隙間からは父と母が何やら話していた。

 やがて、黒い服を着た集団が現れた。



◇◆◇


 事件は十四年前。『西部地方タワー占拠事件』と簡易的に名付けられていたその事件はある組織によって行われ、不幸にもその事件の渦中、多くの犠牲者を出してしまった。

 有名地ではないとはいえ、観光客が多少いるそのタワー状の建物内で事件は起きた。突如現れた全身黒服の集団は、鮮やかな手際でその建物を占拠していった。

 もちろん、建物内に残っていた数名の客も建物内に残されたままだ。その中に、家族で訪れていたクローディアも居たのだった。


「楽しかったねぇ。お母さん、今日の夕飯はなーに?」


 家族は、建物内での観光を済ませ、建物の出入り口へと向かっていた。

 そんな中、建物のガラス窓がバリンと割れる音とともにテロリスト集団は現れたのだった。


「入口の方から速やかに囲っていけ。客もだれ一人逃がすな。こいつらは人質にする!」

「了解。ちゃちゃっとやっちまいますか!」


 若くて威勢のいい男は軽々建物内に侵入すると指示役の男にに従い、他にもいた数名とともに入口の方から包囲していく。

 ただ事じゃない気配に、建物内の客は誰もが悲鳴をあげていた。


「騒ぐな!」


 悲鳴に対し、パーンと銃声が響く。

 威嚇としての射撃だろう。その音には騒げば殺すという意味が込められていた。


「たっ、たすけてくれぇ……」


 響く銃声を聞きつけると、辺りは皆怯えきっていた。

 縮こまり、震えている者もいた。


「大人しく我々に従っていれば今は殺しはしない」

「ほら、さっさと歩け!」


 次々と客を捕らえると、タワー三階の広い部屋へと集めていく。圧倒的な武力に命の惜しい客も従う他なかった。

 客の誰もが、この悲運を恨んでいただろうが。


 一方で、ノワール親子は走り出していた。ただ事じゃないことをいち早く感じ取ったからなのか、父のオリバーは娘のクローディアを抱えあげ、妻のグレースの手を引いてひた走っていた。

 逃げれば助かると思っているわけではなかった。彼は、せめて娘だけでも、そしてあわよくば妻も助かるよう最善を尽くさねばと。

 その思いだけを胸に走っていた。


「こ、ここなら……」


 走った先には土産コーナーとは名ばかりの小さな一角があった。

 一見隠れる場所がないようなそこに、オリバーは目星をつけた。

 土産類が丁寧に陳列されている下には補充商品用の引き戸棚があった。

 このくらいなら娘一人くらいなら入れるだろうと。そう思ったのだ。

 考えつくや、棚の中から補充用の土産を出していく。

 娘が入れるほどのスペースを作らなければいけないからだ。


 ゆっくりやっている時間がないことを気にしながら、彼はグレースとともに作業をし、やっとの思いでスペースを作ることに成功した。

 何をやっているのかと言いたげな表情の娘に、彼は自身の着用しているコートをかけた。大人用のコートで身を包むことで、より見つかりにくくなればと期待してのことだった。

 そして、半ば押し込むような形で娘を引き戸棚へと入れる。

 娘が入ったのを確認して、グレースは言った。


「いい? 絶対に声を出しちゃだめよ。何が起きても絶対! お母さんとの約束だからね」

「うん」


 娘は良く分からないながらも返事をした。約束をしたからには守らないと、と思った。

 その返事を聞いて夫婦は引き戸を閉めた。


 ひとまず、クローディアの安全は確保された。

 彼も、ここなら見つかることもないだろうと感じていた。次は、妻をどうするべきか思案しようとしていた時だった。


「こっちにまだいるぞ!」


 全身黒ずくめの集団が現れた。

 もはやここまでか、と彼は感じていた。だが、せめて妻だけでも逃がしてやりたかったと思っていた。


「大人しくついてこい」


 銃口を父の方へ突きつけたまま、集団は促す。

 下手に土産コーナーを調べられても困るので、従う他ないと思っていた。


「あなた! 逃げて!!」

「な、なにをっ……」


 グレースは突然叫び声をあげると、土産物の品々をテロリストへ向かって投げていた。

 テロリストたちは突然のことに動揺する。

 同じく動揺したオリバーは、どうして、と思った。


「いいから! はや――」

「ふんっ……!」


 そうこうしているとグレースの言葉が終わるよりも先に、テロリストは動いた。

 銃弾が腹を貫いていた。彼女はゆっくりと倒れ込み、腹からはどろどろと多量の血が流れ出る。

 オリバーの目の前で、妻は射殺されてしまったのだ。


「どうして……。グレース……」


 どうしてこんな行動をとったのか。

 彼には理解が出来ていなかった。今目の前で起きている惨劇に胸が張り裂けそうだった。

 そんな彼に、グレースは残りの力を振り絞って言葉を発した。


「そ、んなの……あなたを、愛…してるからに、決まってるじゃない……。オリバー……、おね...がい、いき、て――――」


 彼が妻を逃がしたかったのと同じくらい、また妻も自身の旦那を逃がしたかったのだ。愛ゆえの行動だった。

 最後の言葉とともにグレースは完全に倒れ込んでしまった。この瞬間、彼女は事切れてしまったのだ。


「グレぇぇーーーースゥ!!」


 オリバーの悲嘆に暮れた叫びがタワーに響いていた。

 その瞳には涙を浮かべ、無謀にも集団の方へ向かっていった。

 愛する妻を失った悲しみを胸に抱いていた。その瞳には復讐心を宿らせていた。


 とびかかった先は勿論先ほど銃を撃った男だった。

 男は、妻の仇だけでも取ってやりたかった。しかし、越えてきた場数の数が違う。そもそもオリバーは素人で相手はプロなのだ。

 無鉄砲に飛び込んだオリバーはいともたやすくいなされ、無慈悲にも複数の銃弾は身体を貫き、その場にどさりと倒れ込む。


「ありゃ、こいつも死んじゃったかなぁ。大事な人質だったのに」

「ちィ、面倒かけやがって。他いくぞ」


 集団はそれぞれ言い捨てるとその場を去っていった。

 残されたその一角。オリバーはもうすぐ自身が死ぬことを自覚していた。

 呼吸は荒く、身体は痛みを絶えず訴え続け、重くなっていた。

 それでも最後くらいは妻とともに居たかったのだろう。傷だらけの身体に鞭を打ち、床を這い妻の元へと向かった。

 そして、すでに事切れているグレースの肌に触れると、自然と瞼は閉じていった。

 死の間際、オリバーの唇は微かに震えていた。消え入りそうな声で、呟いていたのだった。


「ぼくも愛しているよ。グレース」


 重なり合った二人の命はそこで完全に途絶えた。



◇◆◇


 結局のところ、たくさんの犠牲を出したものの、機動隊の到着もあり、一日と経たずして事件は鎮静化したのだった。

 テロリストは人質を盾に絶えず要求していた。

 だが、気性が荒かったのもあり、なかなか要求に応えない公的機関に対して痺れを切らしては一人また一人と人質を殺していった。

 もちろん交渉は続けていたのだが、圧を与える為の行動なのか、一度殺してしまえばタガが外れたように一人また一人と殺していった。

 結果、自業自得ではあるのだが、人質のストックは切れ、機動隊が突入せざるを得なくなった。

 突入してしまえば数の利もあり、テロリストは全員手足を縛られたのち、警察へと引き渡された。

 こうしてあっけなくも事件の幕は下りたのだった。


「酷い有様だな」


 現場の惨状を見ているのはジャック・アルバートだった。

 彼は諜報員の一人として、現場の後処理及び、情報整理として、信頼のおけるメンバーとともにきていた。


「とりあえず、捜査員からプロファイルだけでももらってくるわね」


「ああ、メアリ―。すまないが頼んだ」


 ジャックの横にはケビンと、メアリーと呼ばれる女性が居た。

 凄惨な事故の状況に三人は心を痛めていた。

 しかし、自身らの仕事としても、状況の整理は必要だった。


 やれやれ、と表情を曇らせながらも、ケビンとともにタワー内を歩いていく。

 以外にも現場はそこまで荒れていなかった。

 テロリストや警備隊の突入の痕跡はあれど、人質が比較的素直に従っていたのもあるのだろう。著しく損壊した箇所は少なかった。

 もっとも、人質を収容していた三階はそこかしこに遺体が積まれ、それこそ惨状になっていたのだが。


 彼らは、他にも変わったことや見落としがないか、タワー内を見て回っていた。


「しかし、少なかったとはいえ、人質が全員殺されるなんて……」


 自身の思いを吐露したケビンはあんまりだといった風な顔をしていた。

 この仕事に携わってそれなりに経つジャックとケビンだったが、人質の大量虐殺に関わることはなかった。


「なんともいえないものがあるよな」


 ジャックとしても同じ気持ちだった。

 立ち止まり、そういう話をしていると、メアリーが戻ってくる。


「お待たせ、プロファイルもらってきたわよ。もう既にだいたいのことは把握は出来ていると思うけど……」


 戻ってきたメアリーは二人の様子に気づくと気を遣うように続ける。


「事件のあとはいつもそうだけど、あんまり気分のいいものじゃないわよね。でも、いつまでもそんな顔してないで終わらせましょ」


 表情は沈んでいるものの、気持ちを切り替えて調査を進めるように促した。

 三人の中には暗鬱とした空気が流れていた。

 落ち込んだ空気を入れ替えるように気合を入れると、二人も「そうだな」とだけ言い、他の場所も見て回ることにした。

 少し歩くと、土産コーナーへと差し掛かる。踏み入れると、若い男女が倒れているのが目に入る。オリバーとメアリーのものだった。


「これはまた……」


 二人の遺体を最初に目にしたケビンは手で口元を覆いたくなった。

 何度見ても遺体には慣れない。

 目を覆いたくなる光景や、遺体独特の匂いには慣れようと思って慣れることの出来るものではなかった。そしてそれは三人とも同様だった。


「人質、というよりは抵抗して射殺されたんでしょうね」


「いたたまれないな」


 遺体の状況を考察していると近くで物音が聞こえてきた。

 それは何かが壁に当たるような小さな音だった。

 その物音に三人は周囲を見回した。


「何の音だ?」


 周囲に音の発生源らしきものは見当たらなかった。

 三人は警戒するような表情をしていた。まだテロリストが残っているかもしれないと各々考えたのだろう。

 慎重に辺りを見回していると再び音がした。

 積み上げられた土産物類の方からしたのを察したケビンがそれに近づく。


「ここか……?」


 ケビンは並べられた土産の下にある引き戸棚を発見した。

 不安な気持ちはあったものの、おそるおそる開けると、そこには黒いコートに包まれ身体を震わせている少女が居た。


「おい、ジャック! メアリー! 来てくれ。女の子を発見した」


「なんですって!」


 二人もケビンの居る方へと近づいた。

 確かにそこに居たのはまだ幼い少女だった。


「おかぁ……さん?」


 少女は呟くと、はっとしたような顔をし、両手で自身の口をふさいだ。

 律儀にも母親の言いつけをまだ守っていたのだろう。思わず言葉を発してしまったのを隠すように口をふさいだのだ。

 メアリーは諭すように告げる。


「もういいの。もう喋っていいのよ」


 少女は母親の言いつけだからと少し悩んでいたが、近くに両親の居ない状況が不安になったのだろう。

 再び口を開いた。


「おじさんたちは、だれ? お父さんとお母さんは?」


「…………」


 状況から想像すれば簡単なことで、少し先には少女の両親であろう二人の遺体があるのだ。子を守るために命を賭したのだろうと、三人は何も言わずとも理解していた。

 メアリーは何も言わず少女のことを抱きしめた。彼女の視界を遮るように。


「ひとまず、帰りましょうか」


「ああ、そうだな」


 そうして、たった一人の生存者を発見した三人の諜報員はまだ幼いクローディアを隠すように抱き抱え、あまりにも凄惨な事件現場を後にしたのだった。

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