第9話:識る覚悟

 改めて家族の部屋へと踏み入ることは、俺にとって勇気の必要なることだった。

 ケビンさんは大事な資料だと言っていた。

 これはいい機会なのかもしれないなとも感じたので、俺は快く了承した。


 会話してみて、彼の性格の良さを感じたからというのもあった。完全に気を許してしまっているような気もしている。

 俺が了承すると、ケビンさんは「すまないな」と言いながら席を立った。

 俺も、それに続いて立ち上がると父の書斎の方まで彼を案内した。


 案の定というか、ドアの前につくと躊躇いがあった。

 それを察しているのだろう。ケビンさんは何も言わず、待っていてくれた。

 最終的には、ドアノブに手をかけ、その扉を開いた。


 父の書斎に入ってみれば、なんてことはなかった。ケビンさんが一緒に居たからというのもあるだろうが、『もう父は居ない』という実感が襲ってくるようなことも特にはなかった。

 ほっと胸を撫でおろす。事故に対しての受容が、俺の中で始まっているのを感じていた。


◇◆◇


 ケビンさんは父の書斎を探し回っていた。


「うーん、ないなあ」


壁際には立派な書棚がいくつか置いてある。その書棚を探っているのだが、見つかりそうな気配はなく、彼は困惑しているように感じた。

 しかし、重要な書類なのであれば、そう簡単に見つかるようなものでもないのではなかろうか、とも同時に思っていた。


 結局、目的のものは見つからなかった。

 というより、探している途中で彼の携帯電話に連絡が入り、急遽会社に戻らなければならなくなったようなのだ。


「突然押し掛けてきたのに、勝手に帰るような真似をすることになってすまない」


 目的の資料が見つからないのと、俺に申し訳ない気持ちがあってのことだろう、彼は少しもやもやしている様子で、謝る様子を見せた。

 俺が、「そんなことないですよ」と言っても、彼は気にしている様子だった。

 彼が帰り支度をしている際に、興味本位から聞いてみた。


「探している資料ってどんなものなんですか?」


「とても大事な資料なんだ」


 そう言うとケビンさんは少し困ったような表情を見せた。

 そして、「内容までは教えられない」と付け足すと、再び申し訳なさそうな顔を見せたのだった。困らせたかったつもりではなかったが、そんな表情をさせてしまったことに俺も申し訳なく思った。

 そんな会話をしながらも、玄関先まで彼を見送る。

 そして、俺は最後にもう一度お礼を伝える。


「来てくれてありがとうございました。またいつでも来てください」


 彼の話や笑顔が好印象なのもあり、心が晴れたような気分になっていた自分が居たのもあった。

 彼は、来た時と同じにこやかな表情で手を振ると、「ありがとう、そうさせてもらうよ」と応えた。

 やはりケビンさんには今のような笑顔が似合うと感じた。

 きっと、彼の雰囲気がどことなく父の持っているものと似ていたというのもあるだろう。彼を見送る俺の心はとても穏やかなものだった。


 ケビンさんは再度お辞儀をすると、会社への道を歩いていった。

 最後に、「気を付けて」と一言だけ付け加えて。

 俺は彼の姿が遠く、小さくなりやがて見えなくなるまで見送った。

 そういえば、気を付けてっていうのは体調のことだろうか。

 ふと頭に引っかかったが細かいことは気にしないことにした。

 また彼に会える日を楽しみにして、家の中へと戻ることにした。


 ケビンさんを見送った後、俺は静かになった家の中で食器類の片づけをしていた。

 先ほどまで彼が居たからというのもあり、リビングには少し寂しさが残っていた。

 しばらくして、俺はケビンさんの探していた資料について考えていた。


 思えば、俺は父の仕事について何も知らなかった。

 どんな仕事をしているのか。生前は興味なかったのだが、今になって興味が湧いてきたのだった。

 好奇心というやつでもあるのだが、父の仕事について調べたくなってしまった。ついでに、ケビンさんの探していた重要書類も見つかるかもしれない。そう思い立った俺は、再度父の書斎へと足を運ぶことを決めた。


 一度入ったとはいえ、やはり家族の部屋へ入るのには躊躇いがあった。先程と違って、俺一人しか居ないということもある。

 加えて、入らなければならないという理由もないため、その気になれば、「今度でいいか」と入ることを諦めることも出来るのだ。

 でもなぜか、今だからこそ父のことを知る必要があると感じた。

 今日ケビンさんが来たのも、そう思い立ったのも、『運命力』の作用なのかもしれない。当たっているんだかわからない運命力に翻弄されながらも俺は今一度勇気を振り絞り、扉を開いた。

 開いてみるとやはり、扉は軽かった。


 先程も見た通り、書斎の壁際には多くの書棚が並べられていた。この中から目的の物を探すのは流石に骨が折れるだろうなとケビンさんを少し不憫に思った。

 書棚には、厚い書籍がずらりと並んでいた。また、入って正面にある机の上には仕事で使うのであろうパソコンや、ノート、文房具が整然と配置されている。仕事と関係なさそうなものといえば、机の上に飾られている写真立てくらいだろう。

 中には俺の持っているものとは違う写真が飾られている。仕事の合間にそれを見ては家族への想いを馳せていたのだろうか。


 俺は緊張しながらもそっと足を踏み入れた。

 先ほどは気づかなかったが、書斎には父の気配が色濃く残っているように感じられた。

 ケビンさんの探していた資料はこの部屋のどこかにあるのだろう。だが、それがどれなのか俺には分からない。

 とりあえず、先程ケビンさんが探していた書棚から探してみようかと目をやる。すると、一冊のノートが目に留まった。


「これかもしれない」とそっと手に取った。ノートの表紙には何も書かれていなかったが、中身を確認すると父の字で様々な文字や考え方が記されていた。

 あまり重要そうではないと感じながらも、ノートを読み進める。父の仕事について知ることが出来るかもしれないと思うと、好奇心に胸が高鳴った。

 しかし、同時に家族とはいえ他人の秘密を覗き見ているような気もして罪悪感が湧いていた。だが、興味には逆らえずノートを読み進めるのであった。


 内容は父の私的なメモのようなものだった。

 仕事についてわかるようなこともあまり書いて無く、その時々の時事問題などが書き記されていた。ヒントといえばヒントになるのかもしれないがあまりピンとくるものでもなかった。

 重要な書類でもなさそうだったので、他の場所も探してみることにした。

 結局、書棚を一通り探してみたが、どちらかというと資料的な意味合いの方が強く、仕事に関する内容も見つからなかった。


 続いて、俺は机周りを調べてみることにした。

 当たり前のような話ではあるが、父のパソコンにはパスワードがかけられており、見ることは叶わなかった。

 中身が見れれば手っ取り早いとは思ったのだが。

 仕方ないと諦め、今度は机の上のノートを見た。中身は新品のようでまっさらだった。


 机に備え付けのキャビネットも調べようと思ったが、こちらには鍵がかかっていた。一番使用しているであろう場所だからこそ、期待していただけに何もできず残念な気持ちになる。

 意外にも父の机まわりのセキュリティは万全だった。重要なものを仕舞うのなら、こういうところなのだろう。諦めようと思い、腰を上げた。


 腰を上げると机の上にある写真立てが目に入った。入室した時にも目を引いたが、中には俺の持っている者とは違う写真が入っていた。

 俺は、写真立てを手に取ると、もっとよく見ようと顔へと近づける。

 相変わらず、写真の中の家族は幸せそうな顔をしていた。父の為にもこの写真は元の場所に戻しておこうか。そう思い、写真立てを置こうとするのだが、ふと違和感を感じ取った。


 再度、写真立てに触れる。違和感は写真立ての裏側からだった。

 裏返すと、なにやら鍵が張り付けられていた。セキュリティは案外ガバガバなのかも知れない。


「やっぱりここの鍵だ」


 早速鍵を剥がし、手に取るとキャビネットの鍵穴にそれを挿す。

 手首をひねればがちゃりと音が鳴り、それはあっけなく開いた。

 今更ではあるが、父のセキュリティ意識が心配になった。

 中には少量の資料らしきものが入っていた。その中でも、とりわけ厳重そうに管理されているものが目に付いた。

 なんとなく、これは読まない方がいい気がすると感じた。

 ただ、ケビンさんが探しているものだと思ったので、あとで連絡を入れておくことにしよう。彼の安心する顔が目に浮かんだ。


 書類を机の上に避けると、今度は先ほどのものとは違い封筒が現れた。こちらにはなにやらメモのようなものが貼っていた。

 メモは、ケビンさん宛で、『自身になにかあれば家族に渡してほしい』といった内容が記されていた。

 中身を確認すると、手紙が同封されていた。手紙にはそれぞれ名前が書かれており、個別に宛てたものだろうと理解できた。

 まるで自身に何かが起きることを予見していたかのような準備の良さを感じ、同時に不安を覚えた。

 母や妹へ宛てたものを読むのは気が引けたので、そのまま封筒へ戻し、先程の資料とともに置いた。残りの処理はケビンさんに任せようと思ったのだ。


 息を飲み、手紙の封を切ると、二枚の便せんが現れた。

 それらを手に取ると、改めて、自身へ向けられた手紙を読みはじめる。

 書き出しは俺への謝罪だった。


『ノア、本当にすまない。これを読んでいるということは俺は既にこの世に居ないのだろう』


『お前には、幼い頃からあまり構ってやれず、寂しい思いばかりさせてきたと思う。最後もお前をこんな形で残していくことになって、本当に申し訳ないと思っている』


 俺の記憶ではいつも陽気な父の印象が強い為、手紙とはいえ改まって謝罪なぞされると調子が狂う。

 緊張感に、手も少し震えていた。


『お前には俺が死んだ後もたくさん迷惑をかけていると思う。昔からノアは周りに頼ることをあまりしない子だったな。もし、困ったことがあれば周りを頼りなさい。きっとお前思っているよりも、周りはお前のことを助けてくれるはずだ』


『それから、お前は男の子だから。どうか、母さんとシャーロットを守り、支えてやってくれ』


 手紙には父の想いが淡々と書き記されており、父からの想いが伝わってきた。

 父による思いを肉筆で感じ、死してなお家族や俺の心配をする父に俺は、「うるせえよ」と目に涙を浮かべながら悪態をついていた。

 父だけでなく、母もシャーロットももうこの世には居ないのだ。


『最後に。お前は今様々な岐路に立たされていることだろう』


『パソコンには俺が仕事で使用していた情報がいくつも入っている。中にはとても重要なものもある』


『もしかしたら、お前の役に立てるものもあるのかもしれない。真実を知る覚悟があるのなら、中身を見るといい。その覚悟がないのなら、それでもいい。その時は何も見ず、そっとデータを消去しておいてくれ』


 まるで俺の状況を知っているかのような内容まで書かれており、脈が速くなるのを感じた。

 覚悟ってなんだ。真実って何なんだ。

 パソコンの中身を――真実を知る覚悟がお前にはあるのか。

 手紙の中の父はそう問いかけてきていた。


『パスワードはもう一枚の便せんに書いてある。ノア、お前は俺の最愛の息子だ。愛しているよ』


 最後の一文までしっかり目を通すと、俺は拳を握り込み、二枚目の便せんを手に取る。

 父の言う通り、パスワードらしきものだけが、その便せんには記されていた。

 涙を右腕で払うと俺は、そのパスワードを打ち込んだ。


 パスワードを打ち込むとロック画面が解除された。

 デスクトップ画面には様々なソフトウェアやフォルダが並んでいた。

 その中に、とりわけ目立つ名前のテキストメモを発見した。それは、俺の名前が書かれているものだった。

 クリックすると、父の仕事に関してのことが記されていた。


 内容をかみ砕くと、父はとある諜報機関の構成員の一人だったということが書いて亜あった。

 父はその中で、テロ組織の調査をしていたようだった。

 テロ組織に近づく中で、父の存在は気づかれていたのだろう。自身の命が狙われている可能性があることを示唆する内容も記されていた。


 「テロ組織……か」


 その単語は、つい最近クローディアからも聞かされた言葉で、自身の中でも何度も繰り返された言葉でもあった。

 まるで冗談だと感じていた言葉が突如として、現実味を帯びていくのを感じていた。


 悪いことをしてしまったなと、彼女への後ろめたさを感じながらも、パソコン内の他のファイルも調べていく。

 それぞれのファイルには過去のテロ子行為に関してまとめられているものが殆どだった。

 調べ進めていくと、テロ組織は単一ではなくいくつもあり、それらも一枚岩ではない。それぞれ様々な思惑があるであろうことが分かった。


 組織にも種類があるようで、既に壊滅した組織も少なくはない。

 現役で活動しているものは、派手に活動しているいわゆる過激派といわれる組織や、ダミー会社の影に隠れ、水面下で活動している組織など様々なのもがあるようで、どこまでが真実かはわからないものの、素人目に見てよく調べられていると感じられた。


 父は仕事のできる人だったのだろう。この資料の出来や、ケビンさんの発言等を思い返すとそれが良く分かる。

 俺は吸い込まれるようにパソコン内のファイルを調べていった。

 すると、また一つ気になるファイルが目に留まった。


 内容は、先程から多く目にするテロ事件と遜色なく、事故レポートのようなものだった。

 だが、その被害者リストの中に見知った名前があるのを発見したのだ。

 『クローディア・イル・ノワール(7歳)』と記されたそれは、俺に事件への興味を惹きたてるのには十分だった。

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