第8話:父の痕跡
クローディアからの忠告を受けてから、早くも一週間が経過しようとしていた。
ありがたいことに彼女からの接触はあれ以降一切なかった。ある意味で、俺の平穏な生活が戻ってきたといってもいいだろう。
とはいえ、彼女の真意について無意志的に考えてしまうことがある。
心の奥底では、彼女の言うことが真実である可能性も、一概には否定できない自分が居るのだと思う。
人間の脳とは非常に厄介なものだ。ただ、そうだとしても俺のやることが変わるわけでもないのもまた事実だ。
不覚にもあの一件で睡眠の重要さを知ってしまった俺は、効率化を考えて睡眠に割く時間にも多少の重きを置くようになっていた。
そのおかげかは分からないが、この一週間は貧血で倒れるようなことはなかった。
今日はバイトが休みの日だった。一日を蘇生魔術の工程思案にあてることに決めた。
そう決めたや否や、俺は自室からいくつかの資料本を取り出した。
続いて、もう何冊目になるかわからないノートを手に取れば、資料本とのにらめっこが始まった。
頭の中にはいくつかのアイディアが渦巻いていた。
その中でも、実際の工程に組み込めそうなものを吟味し、ノートへと書き留めていく。
気づけば、思考の海を長時間泳いでいた。先程まで明るさを撒き散らしていた陽は、いつの間にか消え、代わりに月明かりがカーテンの隙間から顔を覗かせていた。
気まぐれでカーテンを開くと、俺の視界には夜の景色が映った。
十三夜というのだろうか。僅かに欠けた部分が、月の輝きを象徴している。明日には満ちていくのだろうと、その前触れとともに静かな夜の訪れを感じた。
ロマンチックなことをいつまでも考えている暇もなく、俺は現実に引き戻されると、思案に暮れる。
満ちつつある月が、あの金の瞳と酷似しているせいもあるだろう。
何事もなかった一週間。クローディアとの遭遇も、ましてやテロリストなぞの存在も当然影すらない。
彼女の言葉への猜疑心と自身の奥底での願望——所在どころか事実さえ不明の物へ向けられた復讐心が堂々巡りし、思考に渇きを与えているのを感じていた。
思えば、今までは喪失感という渇きに対して、蘇生への希望という水を撒いて凌いでいたような気がする。
この筆舌しがたい感情のやり場はどこへ向ければいいのだろうか。そんな俺の、至らない思索は脳内を蝕み、頭痛を引き起こしていた。
今日は、寝よう。
心の中で呟くと、俺は瞼を下ろした。
そして次の日、耳につく鳥の鳴き声で俺は目を覚ました。
時計の針は間違いなく朝を指していた。昨日早く眠った影響だろう。俺という者が早起きしてしまった。
ここ最近の生活習慣が祟り、俺の身体は日中の日差しがあまり得意ではなくなってしまっている。
普段と違う朝を迎えた俺は、身を起こすと、カーテンは開けないまま日常を再開することにした。
珍しく朝に目覚めたせいもあり、たまには世間の情報に目を向けて見ようとテレビをつけた。テレビの電源を入れるのは事故以来初めてだ。
環境が人を構築するというが、どうやら本当らしい。
それに、自覚がないだけで昨今のメディア事情が気になっている自身も居た。
適当にチャンネルを変えてみる。子ども向けの教育番組や、ワイドショー、バラエティ番組等が順に映る。だがそれらには全く興味は向かなかった。
最終的に、ニュース番組に変えると、それを見ながら身支度を開始した。
画面の先では、最新の事故や事件について、キャスターが淡々とした口調で伝えている。その言葉に私的な感情はあまり乗っていないように感じられ、とても頭に入りやすかった。
しかし、それと同時にこの情報も本当に全てが真実なのか。信頼性はあるのかどうか、猜疑の目を向けて見ていることに気づく。
やはり、少なくともクローディアの言葉が頭に残っているのは間違いないようだ。迷いのようなものを感じている自身に呆れを感じた。
朝の身支度が終われば、椅子に腰かけた。そのタイミングでテレビを切ろうと思ったのだが、一つ気になるニュースが耳に入ったので、思わず手が止まった。
キャスターの口からは、『連続バラバラ怪死殺人』という日常生活では聞きなれないワードが発されていた。
なんでも猟奇的殺人とのことで、現場には証拠の一つも残ってないようだ。
「……ほう?」
曰く、最新の被害者は一般の会社員二人組で、被害者の遺体はそれぞれ少し離れた位置にあったようだが、同様の凶器を使用されていると見られ、事件の関連性は高いものである。
片方の遺体は荒く、そしてもう片方は丁寧により細かくバラバラに切断されており、検死による身元の確認に時間がかかっていたが、今朝やっと確認がとれたとのことだった。
ニュースの内容をされに聞いていくと、今回同様の遺体が連日発見されているようだ。被害者たちはそれぞれある会社とその関連企業に関わっている人物のようで、計画性のある連続事件として捜査を進めていく方針だと報道されていた。
恐ろしい事件があったもんだ。
俺は依然バイト先で聞こえた話を思い出していた。
あれは噂ではなく事実だったということだ。たまには噂話にも耳を傾けた方がよさそうだと感じた。
そして、物騒な世の中になったことを痛感していた俺は、今度こそテレビを消そうとリモコンを手に取った。
テレビの電源を切り、自室に向かっているところで今度はインターフォンが鳴った。
今日は普段と違うことが良く起こる。
日常の再開だと思っていたが、普段とは少し違う一日になりそうな予感がした。
先ほどの事件が耳に新しいのもあり、警戒心を胸に玄関へ向かっていた。
おそらく、叔父が気まぐれに文句でも言いに来たのか、途中で行くことをやめた心療内科の看護士が様子を見に来たとかそんなもんだろう。あるいは、また新たな理由にかこつけてクローディアがついに家に押し掛けてきたのか。
考えられる来客なんてものは俺にとってそう多くないのだ。
ピンポーン。
インターフォンは再度鳴った。
「はいはい、今出ますよ」
俺は気だるげに答えると、玄関の扉へと手をかける。
おそるおそる玄関の扉を開くと、そこには知らない男が立っていた。
「やあ」
玄関先では、中肉中背のいかにもな優男がにこやかな顔をして立っていた。
男は暑い中、歩いてきたのだろう。額には汗を滲ませていた。
彼には悪いが、俺にはこのような男についての記憶がない。
お早めにお帰りいただこうと口を開こうとしたが、彼の言葉にかき消されてしまった。
俺の声が小さいせいなのだろうか、最近似たようなことが多い気がする。
「君が、ノア・アルバートくん……だね?」
そう言った男は笑顔をを崩さないまま俺に問う。暑いだろうにご苦労なことだ。
再度記憶に訴えかけてみるが、やはり彼についての記憶はありそうになかった。
それにしてもなぜ俺の名前を知っているんだ。
俺が次々と湧いてくる疑問に頭を唸らせていると、彼の方から答えが返ってきた。
「ああ、自己紹介がまだだたね。僕はケビン。簡単に説明すると、君のご両親の同僚……になるのかな」
思わぬ来訪者の正体は両親の同僚だった。どうりで記憶にないわけだと納得する。
俺は、両親から過去聞いたことのある話を思い出していた。
もともと父と母は仕事仲間として出会ったらしい。
母の方は妊娠を機に仕事はやめてしまったと聞いていたが、二人の同僚にあたるのであれば、彼は二人にとって旧知の仲にあたるのではないだろうか。
簡単に人を信用してはいけないと自制心が働きはするものの、両親と長く交友関係を築いてきたと思われる人物の来訪に、俺の胸は思わず高鳴っていた。
立ち話は何なので、俺は彼を家の中に招き入れることにした。
日光は眩しいし、外は暑そうだし。
「あの、ケビンさん。今日はどうして?」
くつろげるほど整頓されているわけではないが、家族で住んでいた当時と変わらぬリビングへと彼を案内した。
折角なので、父が好んで備蓄していたインスタントコーヒーを二人分入れた。
カップを差し出すと、彼は来訪時から変わらない笑顔で、「ありがとう」と答えた。
「僕がここに来た理由はいくつかあるんだけどね。一つは君の様子が少し気になってね」
「様子、ですか」
「ああ。あの事件があってから、元気にしているのかと……。勝手にね。ほら、君のお父さん……ジャックはいつも君たち兄妹のことを嬉しそうに話していたからね」
父の友人でもあるケビンさんから、外での父の話を聞けたことを俺は嬉しく感じていた。
流石あの父、とでも言うべきか、俺たち兄妹のことをよく話していたらしい。
思えば父は昔から親バカだったとは思う。俺の方は恥ずかしさもあり、邪険にしていた部分はあったが、シャーロットへの態度を考えれば一目瞭然だった。
「写真も何度見せてきたか分からない程だったよ。うちの子、かわいいだろうって」
相変わらずにこやかにしているが、昔のやり取りを思い出してか、その笑顔にだんだん愁いが帯びて見える。
過去に写真で見た俺と今目の前に居る俺を比べてだろう、彼は言葉を続けた。
「ノア君、君は……少し痩せたみたいだね。あんなことがあれば無理もないだろうが。食事はしっかりとっているのかい」
こちらをじっと見るその表情から、彼が心配している様子が伝わってくる。
「……一応は食べていますよ。それに、これでも僕は元気なんです」
そんな彼の様子の俺はそう答えることしかできなかった。
俺の様子を見て、余計に気を遣わせてしまったことが分かった。彼の表情が先ほどまでのにこやかな笑顔に戻ったから。
「いろいろ大変だろうけど、困ったことがあれば何でも言ってくれ。ジャックの友人として、何でも力になるよ」
ケビンさんは軽く自身の胸を叩く。その言動に、きっと信頼の厚い男だったのだろうと感じた。
事故以来、こんなに暖かい気持ちに触れたのは久々な気がして、目頭が熱くなった。
「……ありがとうございます」
心の中では少しだけ、気恥ずかしい思いをしていた。だからうつむき気味で、だが本心からそう答えていた。
俺の口元は緩んでいたのだろう。
「生前、ジャックには本当に世話になったんだ」
そして、ケビンさんもまた気恥ずかしそうに答えたのだった。言い訳っぽく聞こえたのはたぶん、照れ隠しだったからなのだろう。
そういった会話もあり、コーヒーを飲みながらやり取りをしているとリビングには和やかな雰囲気が流れていた。
「おっと、そうだった! すまないが、ジャックの部屋を見せてもらえないだろうか。実は、大事な資料をジャックが持っていたはずなんだ」
まったりとした時間を過ごしていると、ケビンさんはそう切り出した。
先ほど言っていた用件の一つとはこれのことだったのだろう。
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