第5話:真実と疑念

 クローディアに誘われ、俺たちは深夜の公園へ出向いた。

 公園内には手ごろなベンチがあった為、そこに座ることにした。

 少し間を空けて、隣に座った彼女へ俺はさっそく切り出した。


「クローディア、君は何か特殊な能力でも持っているのか? 探偵のように、なかなか知りえないような情報を持っているように感じるんだが。それに、俺が生き残りだってこともどこで——」


 そこで、俺は気づいた。先程、彼女はは居ないことになっていると言っていた。

 だとすれば、彼女はどのようにして俺という存在に辿り着いたというのだろうか。

 そもそも、記録上では俺の立ち位置や存在はどうなっているのだろうか。


「ああ、生存者が居ないっていうのは、メディアが公表している情報だ。意識を取り戻すのかも分からない君を生存者としてカウントするよりも、ゼロって見出しにした方が都合が良かっただけじゃないかな。誇大広告みたいなものだろうね」


 俺の心情を読み取ってか、俺の言いかけた言葉に補足込みで説明してくれた。

 気分は悪いが、確かに誇大広告というのは、なるほど。納得はいく。

 

「そして、記録上だと君は、別の事故の被害者という形で処理されているみたいだ。メディア内部によっほど交渉の得意な人材が居たのか、そもそも公的機関に太いパイプを持っている会社が最初に言い出したんだろう」


 彼女の言うとおり、生存者が居ないという部分に関しては事故の真実の根幹とは関係なさそうだ。

 ただ、自社の利を考えて、人の生死の真実さえも捻じ曲げてしまうメディアや公的機関に苛立ちを覚えていた。


「なるほど、実際のところはどうであれ、確かに納得のいく話ではあるな」


「ああ、そうだろう。で、先程の質問の答えになるかどうかは分からないが、私は探偵ではない。今は、情報通みたいなものだと思っていてくれ」


 結局彼女が何者なのかは濁された気がする。どうやら素性は明かしてくれなさそうだ。

 しかし、と言ったあたりそのうち素性を明かしてくれるという意味合いがあるようにも感じられた。

 なんにせよ、今はクローディアの素性を追求することは諦めることにしよう。彼女がどのような人物で、どのような理由があって俺に関わってくることになったのかは、もちろん気にならないといえば嘘になるが、今は彼女の情報や能力——いや、クローディアの協力が必要だと感じている。


 無理に追求しようとして、機嫌を損ねてしまえばそれこそ協力も請えなければ情報すら得られないだろう。

 今の状況の主導権を彼女が握っているというのならば、俺はそれに従いながら進めていくしかない。


「わかった。そう思うことにするよ。……それで、実際のところ事故についての情報や真実はどこまで掴めているんだ?」


 腕を組んだまま、次の質問を聞いていたクローディアは、少し考えこんだのち、口を開いた。


「……とはいえ、私も事故の真実やその全容を完璧に把握できているわけではない。確証に至れなければ不用意に伝えるのも気が引けるしな」


「それに、情報という物は、隠したいものであればあるほど怪しさが匂うものだけれど、その分厳重に管理されているものでもあるから、アクセスするのも難しいんだ。ただ、私には”独自の情報網”がある。まだ調査段階といったところだが」


「なるほど、さっき聞いた以上の確実な情報は今のところはないってことか」


 思っていたよりは情報が少なかったので、俺は肩透かしを食らった気分だった。

 その独自の情報網とやらがどの程度かは分からないが、今はそこに期待をするしかないのだろう。

 そのあともいろいろと話をしてみたものの、これ以上の情報は出てきそうになかった。


 結構な情報遮断が行われていることから、誰かにとって不都合な真実が隠されている可能性が高いということだけしか分からなかった。

 何か巨大な組織でも関与しているとでもいうのだろうか。

 大規模とはいえ事故だ。運転手も、被害者も既に死んでいる。何を隠す必要があったんだろうか。いや、もしくはそれすらも真実ではないのだろうか。


「まだ一つ残っているよ。君に話さなければいけないことが。私が君に伝える為に出向く必要があった一番の理由がね」


 俺は、進展のなさそうな話に少々気落ちしていたのだが、反対に彼女は得意気な表情を浮かべてそう言った。

 なら最初にそれを言えと思ったが、それは内心だけに留めておくことにし、次に彼女が発する言葉に期待を募らせていた。


「一番の理由ってのは何なんだ?」


「あの事故の真実さ。それは、テロ組織による仕業だった。あれは、事故じゃなくて立派な事件だよ」


 そう言い切った自称情報通はまっすぐ、真剣な瞳でこちらを見ていた。その姿はまるで探偵が真犯人を糾弾きゅうだんするかのようだと感じた。

 反して、俺の期待とクローディアへの信頼は急落することとなった。

 テロの仕業というのは流石に冗談のようにしか聞こえなかった。

 なにせ、実際に体感しているのだ。霧に包まれたあの景色を。そして、車と車がぶつかる衝撃を。


 それにあれほどの事故がテロ組織の仕業であったのなら、その存在を国が隠蔽いんぺいするわけもない。

 それゆえに、彼女の先程の言葉は信じるに値しないと感じてしまった。そして、今までのクローディアの言葉さえ、真実味を薄めていくのを感じていった。


「おい、聞いているのか。私は今とても重大なことを言ったのだが」


 彼女の表情は依然、真剣そのもので、また、眼鏡の奥の瞳さえも例にもれず、無反応に近い俺を見つめていた。

 なんだって! と大げさにでも反応すれば良かったのだろうか。

 俺の中の彼女への信頼はほとんど喪失していた。

 だってそうだろう。自身の体験と彼女の述べる事柄に矛盾のようなものが感じられたのだから。


「それは、ちょっと信じられないな。流石に話が突飛すぎる。政治家の不祥事隠しと言われた方がまだ納得できる」


 そう言った俺の心の内で、真実とやらへの熱量が一気に消え去っていくのを感じていた。

 そして、俺は揣摩臆測しまおくそくした。きっとからかわれていたのだろうと。

 事故のことを知った彼女は探偵の真似事でもしていろいろ調べたのだろう。

 その過程で偶然にも俺のことを知り、ターゲットにされたのだろうと。

 記録上の生存者が居ないというのも完全なでたらめだったのかもしれない。メディアの情報に疎かった俺だからこそ、彼女の嘘に騙されてしまったと感じていた。


 最初から怪しいと感じていた筈だ。

 彼女の言葉を鵜呑みにするべきではなかった。

 無駄な時間を過ごしてしまった。

 などと、勝手な被害妄想とともに心の中で嘆いていた。


「信じられない……か。まあそれでも構わない。だが、一応忠告だけはしておく。奴らは生き残りとしての君の存在を知っている。そんな君を放っておくことはないだろうな」


 終いには、彼女の言葉が思春期特有の病気によるものだとさえ思えた。

 知るか、と心の中で悪態をつく。

 俺の知っているこの国は治安が良く、平和な国だった。テロ行為だなんて馬鹿げていると思ったし、テロ組織なんてものも存在するわけがないと思った。


「ああ、信じられないさ。まったくもって馬鹿げている。クローディア、君は最初から俺をからかっていたんだな」


 被害妄想的に加速していた俺の心情は怒りに満ちていて、悪態が口をついて出る。

 実際は怒りというよりは失望に近しい感情だったのかもしれないが。

 そんな俺に対しても彼女は冷静だった。


「からかってなどいないさ。私はいつでも真剣なのさ」


 依然として、真剣な眼差しを貫いていた彼女だが、俺の悪態にはさすがに傷ついたのか、表情に陰りを感じた。

 口には出さないが、「心外だ」とでも言いたそうな顔をしていた。


 それでも、俺には到底信じられるものではなかった。本気で相手にしても仕方がないとさえ思っていた。

 そんな心情もあり、俺は押し黙っていた。

 互いに黙り込んでしまう。


 そして、少しの沈黙が夜の公園を包んだ。時間の経過を知らせる時計の針の音だけが公園内に響いていた。


「忠告感謝する。君の話は聞いたんだ。もう俺に付きまとわないでくれ」


 気まずい沈黙を破るように、俺はぶっきらぼうに言い放つと、ベンチから腰を上げた。

 今の俺はこの場を一刻でも早く立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。

 そんな様子を察したのだろう、彼女もゆっくりと身を起こした。


「ああ、承知したよ。では、またもしどこかで会うことがあればよろしくしてもらうとしよう。その時は、もっと有益な情報を集めていることを期待しておいてくれ」


 立ち上がった彼女はやれやれといった風な表情で、なおもそう言った。あくまでも情報通というロールに徹するつもりらしい。

 そうは言われても、もう二度と会うことはないし、会いたくもないと感じていた。


「それと。老婆心から言うが、勉強熱心で魔術に傾倒するのもいいけれど、自身の体調には気を付けた方がいい。しっかり栄養を摂って睡眠の時間も確保しないと。この前のように道端で倒れてしまったら大変だろう?」


 本当に余計なお世話だと思った。そして、そんなことを言う彼女により苛立ちを感じていた。だから、返事をしなかった。

 クローディアは微笑みながら、「じゃあなノア君」と言い、手をひらひらと振り上げた。


 変わらぬ自信を貫く彼女はマイペースだと感じたし、そんなところもまた鼻につく。なおも返事をしないまま彼女に背を向け、俺は公園の外へと歩みを進めた。

 しかし、俺にある僅かほどの良心が働いた。最後まで無視するのもどうかと思い、振り向いた。しかし、彼女の姿は既にそこにはなかった。


「いつの間に居なくなったんだ……」



♢◆♢



 風がそっと吹き抜け、幽寂ゆうじゃくが広がる中、ただ一人歩く俺は今日の出来事を回想していた。

 夜風にあたったことで多少冷静になったのもある。心の中にはまだ彼女とのやりとりが鮮明に残っていた。

 事故がテロ行為によるものだというのはにわかに信じがたいものがある。

 一歩ずつ進みながら、彼女の言葉を——その意味を反芻はんすうしていた。


 微細でも彼女の言葉を信じているのだろうか。自分自身に問いかけてみるが、その疑念に対してはっきりとした答えを見つけることは出来なかった。

 遠くの街頭に照らし出され、自身の影が映る。自分が少し情けなく感じられた。


 どうして彼女の言葉に迷わされているのか。なぜそこまで関心をもってしまっているのか。その理由が明確には見えなかった。

 自己防衛的に、心の底では復讐先を求めているのかもしれない。全て誰かのせいにできたら、と。


 そんな答えの出しようのない思考に迷い込んでいると、いつの間にか家が見えてきた。

 玄関をくぐり、部屋へと向かった。

 室内に入ることで静寂が一層増したような気がした。

 薄暗く、魔術道具がそこかしこに散らばる異様にも思える光景も相まって、ここだけ世界から切り離されているようにも感じた。

 しかし、それが逆に心地よさを与えてくれていたのもまた事実だった。


 疲れた体をベッドに沈め、俺は一呼吸ついた。

 懐には学校に通っていた際、使っていた生徒手帳がある。それを手に持つと俺は一枚の写真を取り出した。

 家族全員が映っているものだった。

 父はいつも仕事で忙しかった。俺自身も積極的に家族と外出するような性格ではなかったのもあり、家族と映っている写真は多くない。

 歳を重ねるごとに、それは顕著になっていた。

 そんな貴重な写真だった。家の中を探してみたが、見つかったのはこの一枚だった。両親や妹の部屋へ行けば他にもあったのだろうが、やはり立ち入る気にはなれなかったので探してはいない。

 この写真は俺にとって、唯一残された形見のようなものだった。


 初めての家族旅行で撮影されたこの写真は家族との思い出を想起させた。

 まだ若さを感じる母と父。まだ幼さ全開の妹と自分。写真の中では無邪気に笑っていた。

 家族全員が揃っている姿を見ると当時の幸福な瞬間が蘇るのを感じる。柄じゃないと思いつつも、口元は綻んでいた。


 しかし、それとは別にどうしてこうなってしまったのかという厳しい現実が虚無感を呼び起こし、胸をしめつけた。

 この写真に対して前向きな気持ちで向き合える日が、いつかくるのだろうか。そんな疑問が心を漂う。


 そうして、躁状態と鬱状態を行き来し、気分は沈んでしまっていた。

 落ちこんだ気分は俺に事故の記憶を思い起こさせた。

 車の衝突音が耳に響き、我が家の車は横転した。漏れ出たガソリンからは、燃え盛る炎が舞い上がっていたことだろう。


 俯瞰で見えていたわけじゃないが、俺の脳はそう記憶していた。再現性のあるような事故の中に、テロリストなぞが関与する隙間があっただろうか。

 何度も記憶をイメージするうちに、吐き気を催していた。俺は一度、記憶の一切を振り払った。


 目の前には再び家族写真が現れる。写真とともに家族のことを思うと涙が頬を伝い落ちてくる。

 仮の話だ。

 本当にクローディアの発言が真実だとしたら。

 事故の中心にテロリストの思惑が潜んでいたとしたら。

 俺はその存在を許すことが出来るのだろうか。

 

 誰かが言った言葉だ。

 復讐は何も生まない。

 復讐しても死んだ人間が戻ってくるわけではない。

 死んだその人はそんなことは望んでいない。


 しかし、そんなことを言えるのは第三者だからだ。

 当事者からすれば、復讐をしてやって当然だと思うのは、憎んで仕方ないと思うのは、自然なことではないのだろうか。

 それが、自身への慰みにしかならないと分かっていたとしても。

 やらなくて後悔するよりはやって後悔した方がいい。よく聞く言葉だが、もっともだと思うし、しっくりくる。


「父さん、母さん。シャロ……俺は、そうすればいい……」


 俺は————。


 思考はまるで迷宮と化していた。

 膨大過ぎる迷い路をさまよっているうちに、俺の意識は次第に溶けていき、気づけば眠りの底へと引きずり込まれていった。

 深い眠りは俺の思考と混ざりあい、やがて海のようになった。寄せては返す波のように、俺の不安を押し流していくそれはそのうち、心の波立ちを鎮めて一時的な安穏をもたらせてくれたのだった。

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