第3話:半分の月と金の瞳
早々に心療内科に通うのをやめて引きこもってしまった俺は、次第に怪しげなものに興味を持つようになってしまった。
『魔術』なんて。
まるでおとぎ話のようなものにまで手を出してしまう始末だ。
事故の影響で頭がおかしくなったのかもしれない。
かつては理性的かつ現実的な考え方を持っていたはずなのだが、今では妄想の産物とでもいえるものに憑りつかれてしまっている自分が居た。
家族を蘇らせたい。そんな夢物語のような目的のために、奇妙な資料やら道具やらを集める毎日を過ごしていた。
それが本当に正気のままの行動なのか。と、頭の中で在りし日の自身が語りかけているような気がする。
過去の自分が警告しているのか、それともただの幻想に過ぎないのかはわからない。
俺は本当に頭がおかしくなってしまったのか。それとも、事故の後遺症のようなもので、一時的に心身が乱れているだけなのか。
迷いながらも、今は自身の心に従い進むしかない。
「やれるだけやるさ」と呟くが、内心では絵空事だとは分かっているのだと思う。
それでも、少なくともこの感情と決別するためには必要な手段だとも感じていた。
夢物語のような目的だとしても、一縷でも望みがあるのならば、今はそれに縋るしかない——。
俺は右の拳をぐっと握った。
◇◆♢
叔父が定期的に金だけ寄こすものの、魔術関連の用品は非常に高額なものが多く、やたらと金がかかる。その為、俺はアルバイトに勤しんでいた。
我ながら馬鹿だとは思うが、生活に必要なお金以外の余剰分は全て魔術関連の品々に費やしてしまっていた。
そして、バイトと生活における最低限の時間以外は、魔術の資料を読み漁ることに没頭していた。
食費を削り、学校も休学し、自発的に外出する機会は少なくなっていた。
それほどまでに俺の頭はいかれていたのだと、自覚はしている。
周囲からすれば、俺の行動は理解し難いのだろう。しかし、魔術——その先に対する執念が俺を支配してしまっていた。
やがて昼夜逆転の生活になった俺はバイトの時間を夜間帯にずらしていった。
日の光を浴びることすら苦痛に感じ始め。気づけば肌は不気味なほど白くなり、明かりのついた蛍光灯かのように見えた。
あるいは俺は、もう死んでいるのだろう。
死んでいることに気づかないまま、永遠にも思える夢の中に閉じ込められているのかもしれない。ここ数日の人生はただの骸の妄想であり、現実ではなく夢の中で生きているだけなのかもしれない。
この荒唐無稽な考えさえも、今の俺には信じてしまえそうなほどに追い詰められているのだろう。
夢とも現実とも感じられるこの錯覚が、境界の曖昧なこの状態がいつまで続くのかは俺には分からない。
そんな考えが頭を巡る中、ふらつきを感じながら歩いていた。バイト帰りのことだった。
夜明け前。時間的にはそろそろ夜中の四時になる頃だろうか。
街は静かで、まさに眠りについているかのようだった。少ない街路灯が歩道を薄暗く照らしだしている。
街には俺の足音だけが響いており、
周囲にはただ闇が広がり、人工の音は他になく、静寂が支配していた。
時々、風の音が耳に届き、その音が夜の静けさに小さな穴を空ける。
少し歩けば時計塔の針が進む音が微かに響き、時間の経過を感じさせた。それだけが、この深夜の風景における確かな証拠だった。
帰路の中、俺は必要物について熟考していた。
契約書、肖像画、聖水、銀杯、短剣、蝋燭及び蝋燭台、香。それから、陣を描く為のチョークだ。
魔術に必要な道具や手順は情報源によって異なるのでややこしい。
それゆえに、成功への道筋を確実なものにする為にも、複数の資料本を読み漁り努力を重ねていた。
しかし、正誤の判断など素人目に出来る筈もなく、見極めることは容易ではない。
不用意に勘に頼れば、全てが正しく感じられたり、全てが間違っているようにも思える。
失敗すればまた別の手順で試すだけだが。
何を基準に進めようとも、最終的に運頼みなことには違いないのかもしれない。
そんなことを考えていると、突然目の前が真っ暗になった。
なんだ?
次第に手足の感覚が麻痺していくのを感じた。
俺はこの感覚をよく知っていた。そして、また貧血か、と思い当たる。
貧血で倒れるのは日常茶飯事だった。頻度の高さは、俺がいかに不規則な生活をしているかを示していると感じた。
慣れたものではあったが、一つ懸念点があった。今までは自宅で倒れることが多かったので時間の経過で貧血は収まっていたということだ。
しかし、今はまだ外に居る。救急車でも呼ばれたら面倒だな。
「迷惑だけはかけてくれるなよ」という叔父の言葉が脳裏を
「————い」
不意に聞こえた人の声で、俺の意識は戻ってきた。
「おい、君。聞こえているかい?」
目を開くと世界がぼんやりと歪んで見えた。戻ってきたとはいえ意識はまだ朦朧としており、思考にまではまだ至らない。
おまけに頭がクラクラする。
そんな状態でも誰かの声は俺の耳に届いていた。しかし、言葉の意味ははっきりと理解できず、音として捉えているにすぎなかった。
はっきりとしない中、体を動かそうと試みる。すると、腕がぴくんと動いた。
「やっと目が覚めたかい」
「ああ。また……か」
ようやく、備蓄されていた栄養素が十分に脳へと供給されたようで、思考に手が届くようになった。
だんだん正常さを取り戻していく意識の中で、声のする方に視線をむけると、眼鏡をかけた少女がこちらをのぞき込んでいるのが分かった。
彼女が声の発信源だったに違いない。その見た目は幼いようでありながらも、なぜか大人びた雰囲気が漂っているように感じた。
彼女の表情からは、子どもらしい純真さと謎めいた雰囲気が奇妙に絡み合っているように思え、その姿からは正反対の性質がひしめき合っているような——独特の空気感を持っていると感じた。
眼鏡の奥では、目じりが若干つり上がった瞳が妖しく光る。
まさに二律背反という言葉がぴったりなのかもしれない。相反する特徴が同時に存在していて、それは彼女の魅力を——不気味さをより一層引き立てていた。
「やあ。君はそこで寝ていたのだよ。いや、正確には寝ているというべきか」
俺の方をのぞき込んだまま陽気に話し始めた彼女はそのまま続けて、「大丈夫かね?」と尋ね、くすりと笑った。
改めて自身の状況を確認してみる。
どのくらい時間が経過したのかわからないが、貧血で倒れたのだろう。そして、そのまま今の状態に至ったというわけだ。我ながら間抜けだ。
そんな俺の心中をよそに、彼女は何も言わずに手を差し伸べてきた。
しかし、俺は差し伸べられた手を掴むことはしなかった。今の状況で言うのもどうかと思うが、人の助けを借りる気にはどうもなれないのだ。
俺は、自分の力で地面に手をつくとゆっくり立ち上がった。
「よっと……」
立ち上がると、少女はこちらを見ていた。暗くてよく見えないが、暗めの色の髪に、金色がかった瞳の色が特徴的だと感じた。
それから、立ち上がるまでは気づかなかったが、思っていたよりも幾分背が低かった。
どうでもいい情報ばかりだが。
「…………。なんだ、私の手じゃ不満だったかい?」
彼女は頬を不服そうに膨らませた。言葉遣いといい全体的に落ち着いた雰囲気が漂っている彼女だったが、そんな表情を見せると一気に幼さが帯びて見える。
その雰囲気は少し、シャーロットに似ているとも感じた。
「いや、普通に起き上がれるくらいの力はあったんだ。気分を害したのなら悪かった」
バイト以外で他人と声を交わすことが久々な気がした。
もっとも、バイトでもあまり人と話すこともないのだが。
「気にしなくていいさ。それに、別に気分を害してなどいない」
澄ました表情を浮かべ、彼女はそう言ってみせたが、俺には本意だとは思えなかった。
「そうか、ならよかった。どうやら君が助けてくれたみたいだな、感謝する」
そう言うと俺は小さくお辞儀をした。
実際には助けても立ったとは感じていない。ただの社交辞令みたいなものだ。
変に雑に扱って無駄な時間を過ごすよりは、表面上だけでも取り繕い話した方が、幾分事がスムーズに進むだろうと考えてのことだった。
それに、一応救急車を呼ばれることもなく済んだこともあり、感謝してないといえば嘘になる。
「まあ、気にしなくていいさ。助けたのは私の気まぐれみたいなものだしな」
そう言って腕を組んだ彼女は頷いた。
微かに笑みが見えたような気がしたが、感謝を述べられたことが嬉しかったのかもしれない。
「一応自己紹介をしておこうか。私の名前はクローディア・イル・ノワールと言う。君の名前は?」
「——?」
早々に立ち去るつもりだったのだが、話を引き延ばされた。
疑問とともに露骨にも嫌な表情をしてしまった。
クローディアと名乗ったその女性はクソ真面目な顔をして、そんな俺の方を見つめていた。
「名前だよ。名前を教えてくれないか?」
「えっと……ノア・アルバートです」
なぜ自己紹介を交わす必要があるのか謎ではあったが、名前を聞かれたので俺も名乗ることにした。
ただ生き倒れていただけの見知らぬ人間に対していきなり自己紹介を始めるような人間は稀な存在だろうと思った。
今の世の中、気まぐれだとしても救急車も呼ばずに助けようとすること自体が珍しいと思うが、こんな夜中に少女風の女性が外をうろついていることを加味すれば、普通とは思い難かった。
「じゃあ、俺はこれで」
助けてくれたことへの感謝は伝えたし、渋々ではあったが名も教えた。これ以上は何もないだろう。
自宅に戻れば魔術の資料が待っている。早々と帰宅することを所望していた。
そう考えて背を向けようとしたその時だった。
「おい。少し待て」
短い一瞬の静止とともに、がっしりと腕を掴まれた。
彼女のその雰囲気は少し異常に感じられた。
「……なにか?」
彼女の助けには感謝こそすれ、それ以上関わるつもりはなかった。
そんな思いが表情にでたのか、俺は険しい顔つきをしていた。
それを見て、彼女は断念したのか、掴む手の力が緩んだ。
「いや、なにもないさ。引き留めてすまなかったな。次は倒れないように気を付けてくれ」
「そうですか。それじゃあ」
結局何がしたかったのかは分からなかったが、俺は彼女の手を振りほどくとそそくさとその場を離れ、帰路を急いだ。
俺の腕を掴んだ彼女の力は見た目に反してとても強かった。
そんな彼女のことを考えながらも家路を歩いていく。
なんだったんだ、本当に。
♢◆♢
半分に欠けた月が煌々と輝く夜。
クローディア・イル・ノワールはベンチに座っていた。近くには噴水があり、流れる水は飛沫を上げ続けていた。
「ノア。なかなか気難しそうな青年だったな」
クローディアは不敵な表情で呟いた。
その足元には不吉の象徴とも呼ばれる黒猫が
客観的に見れば、彼女と黒猫がなにやら会話をしている不思議な光景に見えるだろう。
「まあ、君に話してもしかたないか……。言葉が通じないんじゃあね」
そう言った彼女はしゃがみ込み、猫の方へと視線を向けた。
たまたま持っていたのか、それとも常備しているのかスティック状のペットフードを懐から取り出し、手に取ると黒猫にそれを与えた。
暗めのミントアッシュの髪が風に揺れた。
「まだまだこれからさ。また会う機会もあるだろうから、詳しい話はその時にでも聞いてもらうとしようかね」
黒猫に餌を与え、会話をする奇人。
周囲にはそうとしか見えないが、少女は続ける。
「無論、聞いてくれれば。だけどね」
そう言いながら微笑むと、今度は黒猫の鼻をちょんとつつく。
黒猫は「みゃー」と鳴いた。暗くて表情は見えないが、彼女のスキンシップに喜びを示しているようだ。
クローディアは身を起こし、ゆるりと身体を一回転。そして、街の外へと足を踏み出した。
身長に対してあまりにも大きく、そして真っ黒なロングコートを風に靡かせ、夜に溶けるように消えていった。
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