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 ベルベット様に「チビ」は禁句だ。


 そも悪口全般ほぼほぼ禁句なんだけど、身長を論った罵倒は特に不味い。

 案外、小柄なことを気にしてるから。


〔あの〕


 恐る恐る声をかける。


 返答は無い。動きも無い。

 能面じみた無表情で、ただアベル様を見上げている。


 …………。

 どうしよう。すっごく怖い。

 これ宥めるとか、お腹空かせた虎の前に出た方がマシなレベル。


 でも一応やってみよう。人生なせば成る。


〔えっと、ベルベット様? その、ちょっと落ち着いて下さ──〕

「しね」


 無理だった。やっぱり人生、どうにもならないことの方が遥かに多い。


〈おぉ?〉


 抜剣と同時、投擲される硝子刀がらすとう

 切っ尖がアベル様の首元ギリギリを突き抜け──投げ縄ボーラの如く、鎖が彼を絡め取った。


「しねしねしねしねしねしねしねしね」


 立て続けの銃撃乱射。

 縛られ、動けない獲物目掛け押し迫る、銀に輝く十数発の光弾。


〔アベル様っ……!!〕


 思わず声を上げるも、視覚と聴覚をベルベット様とリンクさせているに過ぎぬ僕の言葉が届くことは無い。


 ──その筈なのに。一瞬、目線が重なった気がした。


「ちぃッ」


 と。横合いから鳴り響く、刺々しい舌打ち。

 確実に標的を捉えていた光弾は、しかし全弾が空へと突き抜けて行く。


〈随分と熱烈な挨拶だ〉


 じゃら、と鎖の擦れる音。僕達のすぐ側から。


 振り返ると、硝子刀がらすとうを肩に担いだアベル様の姿。

 良かった、無事だった。でも一体いつの間に拘束を解き、間合いを詰めたのか。


〈……遠目で見た時から思ってたが、随分けったいな剣だな〉


 物珍しげに剣を掲げ、灰色の瞳がガラス刃越しに此方を見遣る。


〈しかもコレ、停戦の鎖ソードラインか? イロモノにイロモノ混ぜるとか、いい趣味してるぜ〉

「ッッくたば──」


 硝子刀がらすとうを投げて寄越すアベル様。

 すかさず掴み取ったベルベット様が、斬り込むべく脚を踏み出し──大きく退いた。


〈ほう〉


 距離を置いた状態で剣と銃を構え、瞬きもせず見開かれた目。


〈本能的に危険を察知したか。流石、単騎で今日まで戦い抜いてきただけはある〉


 瞳孔が開き切った双眸に映り込んでいるのは、深い警戒の色。


〈それでいい。呪われた奴が不用意に俺へ近付くな。お前自身の穢れに殺されるぞ〉


 敵意が無いと示すためか、アベル様は諸手を上げ、静かに歩み寄る。

 そして。ちょうど二人の中間に居た僕の前で止まると、怪訝そうに首を傾げた。


〔……?〕


 おもむろに伸ばされる彼の手。

 その指先は、ここに居ない、感覚を送っているだけの僕へ向かい──実体の無い、ベルベット様の耳目を介した投影に過ぎぬ身体へと、触れた。


〔え〕

〈ああ。やっぱり居たのか、イヴァンジェリン〉











【Fragment】 街


 五十年間放置されている割、形を留めた建造物が多い。

 暇つぶしに、アベルがあちこち修繕して回っているためである。





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