83・Abel






 人々が自らの欲望により招き寄せてしまった穢れの波濤に呑まれ、一人また一人と醜悪な怪物へ姿を変えて行く有様は、まさしく地獄絵図だった。


 最初の一日で市民の八割が呪いの輪廻に加わり、悲鳴すら消え失せた。

 残る大半も数日と待たず噛み潰され、辛うじてでも外壁の先へ逃げ果せた幸運な者は、恐らく十人にさえ満たなかっただろう。


 ──そしてウルスラは、街の男共が抱く色欲に絡め取られ、呪いを編む礎石となった。


 マケスティアに来て五年余り。

 あと暫くで七等神官へ昇格し花刺繍はなししゅうの任期が明けると、妹の病も快方に向かっていると、そう喜んでた矢先の出来事だった。


『いや、いやぁっ! 来ないで、やめて……灰瞳ハイド……灰瞳ハイドぉっ!!』


 幾度と涙で目を腫らそうとも、終ぞ弱音だけは吐かなかった。

 そんな彼女が、ただ一度だけ俺に向けて伸ばした、救いを求める手。


 掴み取れなかった。煙の如く、すり抜けてしまった。

 何もかも、遅きに失したのだ。






〈──どうして!?〉


 呪いの萌芽に些か遅ればせ、長らく欲し続けた肉体を得た俺達。

 そうなるや否や、アイツは打って出ようと俺に言った。


を倒せば呪いは解ける! 私とアンタなら、それが出来るのに!〉


 しかし。


〈お前は兎も角、俺が手を出せば、却って事態は悪くなる〉


 穢れが骨肉を模った存在にも拘らず、不浄一切を斥ける性質を備えたアイツ。

 謂わば呪いの天敵。恐らくオリジナルと呼ぶべき女が持っていたチカラなのだろう。


 呪いの産物でありながらも、呪いから外れたパラドックス。

 故に抗える。穢れを斬り払うことさえ出来る。


 ──けれど、俺は違う。


 俺の全ては、純粋な穢れで織られている。

 然らば呪いを屠ったとて、俺が中心に成り替わるだけのこと。

 寧ろ均衡を打ち崩し、更なる混迷を生みかねない。


〈俺が寄ると、バケモノ共は震えて頭を垂れ下げるんだ。笑っちまうよな〉

〈っ……そんな……そんなのって……!〉


 しかも、どうやら俺は穢れが濃過ぎて、まだヒトガタを留めているほど奴等にとって、その身に孕んだ呪を暴れさせる毒に等しいらしい。


〈下らねぇ〉


 近付いただけで、ウルスラの半身が潰れた。

 穢れを払い、手を引くなど、以ての外だった。


〈まったく、下らねぇ〉


 身体を得ても尚、力を得ても尚、俺には何も出来なかった。何もしてやれなかった。

 それどころか、余計に苦痛を与えてしまう有様。


 俺は。


〈なんのために、ここに居るんだよ〉











【Fragment】 消穢しょうえ


 影の女が持つ異能。名が表す通り、己が身に触れる不浄一切を払う。

 これにより彼女は、自身を構成する穢れを斥けていた。


 けれどの低さゆえ、穢れの濃度が高いうちは浄化が間に合わず、影のように不安定な形態となってしまう。





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