82・Abel






〈──! ね、今の見た!? 小石掴めた! 一瞬だったけど!〉


 マケスティアが隆盛を極めるに連れ、俺達の存在は着々とを増して行った。

 新暦四〇年を跨ぐあたりには、勘の鋭い奴なら姿が見えるくらいにまで至っていた。


〈だいぶ輪郭もハッキリしたし、あとちょっとってトコよね!〉

〈……ああ。そうだな〉


 アイツはどうだったか知らんが、少なくとも俺は、この頃には薄々勘付き始めてた。


 あのバケモノ共が振り撒いたチカラの残滓に過ぎない俺達の身体を編もうとしているものが、何であるのか。その正体に。


 穢れソレを介し、俺達がカタチを得て世に顕れることが、何を意味するのかを。






 日に一回、夜明け間際に街の神殿を訪れる習慣が出来たのは、がマケスティアに派遣され半年経つかの頃合だったか。


 抜きん出て繊細な感性を持ち、誰よりも早く俺を見付けた、一種の異能者。

 他者との交流に飢えていた俺が、初めて得た知己。


 ──ただ、この日課にアイツを付き合わせたことは一度も無い。

 当時は別れて動き回る方が多くなってたし、敢えて誘うのも躊躇われたからだ。


『ぅあ……あぁっ……』


 当たり前と言えば、当たり前だろう。

 必死に声を押し殺して泣く者を徒に人目へ晒すなど、普通の神経なら考えない。


〈おい〉

『……っ……灰瞳ハイド……?』


 彼女はいつも聖堂に据えられた神座かみざの前で跪き、嗚咽を堪えていた。


 名をウルスラ。記念すべき最初の花刺繍はなししゅうの一人。

 勿論のこと皮肉だ。


〈また隈が酷くなったな。顔色も悪い。そろそろ死ぬぞ〉

『……ふふっ……貴方って、いつも大袈裟ね』

〈大袈裟なものか。人は簡単に死ぬ〉


 花刺繍はなししゅうとは、書類上には存在しない非正規役職を指す呼称。

 無銘神の威光を失い財政難に陥った神殿が、神官の中でも特に見目の良い奴を選りすぐって任じた、金策のための人員。


〈そもそも、お前に向いてる仕事じゃないんだ〉


 ウルスラの役割は、街の有力者への特別なだった。


 噂を聞き付けた市民からは好奇や侮蔑の目を向けられ、同じ神官達からも腫れ物扱い。

 必然、誰にも心を許せず、俺のような得体の知れぬ輩を話し相手とする始末。


『……平気よ。あと数年、七等神官になるまでの辛抱だもの』

〈そうか〉


 それでも逃げ出さなかったのは、病床に臥せた妹を想うがゆえ。

 高額な治療費のため、花刺繍はなししゅうに支払われる手当が必要だったのだ。


 ごくありふれた、探せば幾らでも見付かる不幸と苦労。

 だが当事者にとっては、唯一無二の家族に関わる大問題。


『心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だから』


 なればこそ涙を堪え、気丈に振舞い、勤めを果たし続けた。

 身も心も、すり減らしながら。


〈……嘘が下手な女だ。いつか本当に死ぬぞ〉

『ふふっ』


 そんな彼女の脆い部分を、ずっと見ていた。見ているだけしか出来なかった。

 友人となってくれた相手に、俺は結局、何もしてやれなかった。


 歯痒く重く、苦い記憶だ。






『まだ、貴方には届かないのね……』

〈そうらしい〉


 逢瀬を重ねるうち、ウルスラは然りに俺へ触れたがるようになった。


 寄る辺が欲しかったのだろう。

 俺に、それを求めていたのだろう。


 しかし、当時の未だ朧な我が身に能ったのは、ただ言葉を交わすことだけ。

 よしんば互いの手が触れたとしても、その時は。


 …………。

 なんとも儘ならぬ、滑稽な話。

 






 俺が肉体を得たのは、新暦四二年の暮れ。


 長い揺籃を終えた呪いが芽吹き、マケスティアを呑み込んだ五日後だった。











【Fragment】 灰瞳ハイド


 自らの名を定めなかったアベルには、交流した者の数だけ呼び名が存在する。

 そして灰瞳ハイドとは、彼の最初の名である。


 なお由来は、ウルスラと初めて遭遇した時の姿。

 霧状の輪郭に灰色の瞳だけが浮かんでおり、そこから取って名付けられた。





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