72・Velvet






 肩口に伝わる、薄ら寒い喪失感。

 殆ど衝動のまま、硝子刀がらすとうを投げ捨てた。


「待ちな、さいっ!」


 落ちてしまう前に左腕を掴む。

 同じ大きさの金塊よりも百倍価値あるアタシの聖体、土埃なんかで汚してたまるか。


「らァッ!!」


 返す刀、勢い余って石畳へ刺さった大鎌を踏み付け、刃元まで地中に叩き込む。

 本当ならヘシ折りたいとこだけど、アホほど頑丈でチョッピリ難しいから苦渋の妥協。


 ともあれ、これでまた得物を潰し──


〈返して〉

「っはァ!?」


 赤眼女が軽く鎖を引き寄せた瞬間、易々と石材を裂き、その手に戻る大鎌。

 ふざけた斬れ味。あんなの、どこの市場に行けば買えるワケ。


〈隙あり〉

「無いわ、よっ!」


 胸の内で悪態を並べる最中、変てこナイフ越しに飛んで来る不可視の斬撃。

 しかも手元を隠しつつの一刀。剣速は遅いけど、至極見極め辛い。


〈やっぱり、隙あり〉


 半ば勘任せに身を翻すも、跳んだ先に迫る鎖鎌。

 弧を描いた軌道。太刀筋を読み損ね、横っ腹に人差し指が埋まる深さの傷を負う。


「づ、ぅぐ……」


 同時。ようやく左肩から血が噴き出し、疼痛を訴え始めた。


 完璧に真っ平らな断面。身体がダメージに気付くことさえ遅れる鋭さ。

 これなら、仮に首を断たれても数分は生き長らえそう。


「……笑える」


 どうしたものか。


 近寄ればナイフと体術。離れれば鎖鎌と飛ぶ斬撃。

 出血は筋肉で止められるけど、片腕じゃ文字通り手が足りない。


 …………。

 やむなしか。


 ここは潔く喉を掻っ捌いて、一回死──


〈──やりにくそうね。いっそ死んで仕切り直す?〉

「あ?」


 おもむろに攻撃を止めた赤眼女が、小首を傾げて言う。


〈どうせ暇だし、私は別に待ってあげて良いけど〉

「………………………………あ゛?」


 ぶち、と。頭の中で何かが切れる音を聞いた。


 なんつったコイツ。今なんつったコイツ。

 待ってやる? 愚民の分際で、このアタシに手心を施してやるって?


「……ざけんな」


 血の気が失せて行く左腕を、ひとまず口に咥える。


「こぉふ」


 割れ物だからと胸の谷間に挟んでおいた、細長いケースを抜き取る。

 

 一昨日、夜食を漁ってる時に見付けた身体強化薬。

 アタシの蒐集品でも特にレアな薬物が材料に必要らしく、少量しか作れなかった代物。


 きっしょいバケモノ相手なら兎も角、少なくともヒトガタではあるコイツに使うのはシラフじゃ勝てないと認めるみたいでムカつくから嫌だったけど、気が変わった。


「あんふぁは、ふぇっふぁい、こぉふ」


 二度とナメた口が利けなくなるまで、ズタボロにしてやる。






 首に針を突き刺し、薬液を一滴残らず注ぎ込む。


 血管を通じ、瞬く間に全身へと巡る熱。

 前に使った時より何倍も熱い。シンカの奴、さては薄めてたわね。


「ふうぅぅぅぅるるるる」


 漲る。活力が充ちて行く。


 空となった注射器を投げ捨て、ふと脇腹に違和感。

 指先を這わすと、血で濡れた傷口が塞がり始めている。


「ふーん。こんな効果もあったの」


 咥えた左腕を掴み直し、なんとはなし見つめる。

 もしかしたらと思い、別れ別れとなってしまった断面同士を重ね合わせる。


 暫し押し付け、ゆっくり離すと──何事も無かったかのように、ぴったり繋がった。











【Fragment】 参拾参式・抗神丹こうしんたん(2)


 参拾弐式以前のナンバリングとは、強化の方向性が異なる。


 従来モデルは『肉体のリミッター解除』を前提としていたため、跳ね上がった膂力に被投与者が耐え切れず、薬効を高めるほど命を縮めてしまう根本的な欠陥品だった。

 しかし、この参拾参式は『細胞を活性化させる』薬物であり、膂力のみに留まらず、肉体強度や身体機能をも悉く引き上げることで負荷を跳ね除けている。


 取り分け、回復力の向上は顕著。

 短剣の刺創程度なら、十秒足らずで塞がるだろう。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る