61・閑話6






 王国北部、オリヴァ領。

 首都レジーナテレサ、第一領主館。


「父上! 失礼致す!」


 通りの良い男声が、屋敷中へと鳴り渡らんばかりの勢いで響く。


「領兵五百人、兵站整い申した! いつでも向かえますれば!」


 そう告げた本人もまた甲冑を着込み、万端の装い。

 背を向け、剣を磨いていた壮年の男が振り返り、ゆっくりと頷く。


「あい分かった、御苦労。ガルシアはどうした?」

「兄上は先遣隊五十人を率い、既に出発を!」

「……相変わらずだな。私の跡目を継ぐ気なら、そろそろ辛抱を覚えてくれねば」


 軽く溜息。

 併せて男──オリヴァ辺境伯は身を翻し、壁に立てかけてあった槍を取る。


「出るぞロバート。行軍中の指揮は、お前が取れ」

「はっ!」


 素早く踵を返し、足早に去る彼の次男。

 せっかちは兄と変わらんか、と肩をすくめた。


「──サミュエル様」


 ほぼ入れ違いで部屋を訪れたのは、小柄な金髪の女性。

 辺境伯の四人の妻の一人。此度の騒動の渦中と言える末娘を産んだ第四夫人。


「君か。ちょうど発つところだった。皆と共に留守を頼む」

「はい……」


 お世辞にも晴れやかとは言えぬ、深く翳りの差した表情。

 実の娘が家を出てからというもの、体調を崩すほど塞ぎ込み、食事も喉を通らぬ有様。


「……すまない。やはり無理矢理にでも別の土地を与えるべきだった」


 ここ一ヶ月、すっかり痩せこけた頬を撫ぜ、辺境伯は後悔を囁く。


「ひと目を見れば根を上げて戻るだろうと考え、割譲を承諾したが」


 よもや満足に家臣も連れず、行ってしまうとは。


「あのドラ娘は、本当に心配ばかりかける」


 ただでさえ辺境伯にとっても本意ではなかった末娘の絶縁。

 雇われの御者だけがオリヴァ領まで逃げ帰り、ことのあらましを伝えるべく謁見を求めてきた時は、生まれて初めて卒倒しかけた。


「ベルベットは必ず連れ帰る。後の話は、どうとでもなるさ」


 どの道、絶縁も割譲も形だけのつもりだったのだ。


 そも今件で元々非があるのは、婚約を一方的に破棄した王族側。

 ……向こうからされずとも、遠からずベルベット自らが御破算にしていただろうという明確な未来予想図は、置いておいて。






「では行ってくる。少しは何か食べてくれ、無事に戻っても君が倒れては元も子もない」


 妻の矮躯を抱き締め、辺境伯は部屋を後にする。

 残された第四夫人は、暫く無言で立ち尽くした後、唇を噛んだ。


「……嘘ばっかり」


 腹を痛めて産んだ娘の身を案ずるのは、当たり前。

 しかし。そこがどんな地獄でも、ベルベットが泣いて助けを求めるなど、あり得ない。


 オリヴァ家の末娘になど無用の長物。

 息せき切って呪われた街に向かわんとする夫も、二人の息子達も、そう考えてる筈。


 それくらい、母親である彼女は、重々承知しているのだ。


「貴方達が案じ、是が非でも連れ帰りたいのは──あの白首女しらくびおんなの方でしょうに」











【Fragment】 サミュエル・ロイ・オリヴァ


 オリヴァ辺境伯家の現当主。四十絡みの壮年男性。

 文武に明るく民心を重んずる名君だが、些か女癖に難があり、四人の妻と全員腹違いの四子を持つ、色々な意味で懐の広い人物。


 家族や領民に対する愛情は強く、領内に於ける支持は歴代当主の中でも指折りに高い。

 ただし末娘からの評価は「クソ父上」と低空飛行。


 ──尚、彼が嘗て大枚叩いて当時十七歳のイヴァンジェリンをオリヴァ領へと移籍させた真意は、あわよくば彼女をに迎えたかったため。

 何度か手を出そうともしたが、全てベルベットに邪魔され、未遂で終わっている。





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