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 夜明けの少し前、汗を流したくて水に浸かる。

 暑い時期は、こっちの方が気持ちいい。


「ふぅっ」


 髪を伝い、肌を滴る水滴。

 祈術きじゅつを使わずとも僕が直接触れた水と空気は浄化されるため、浴槽の汲み換えをせずに済むのは結構な時短になって助かる。


「地味に便利なんだよね。地味に」


 掃除なんかも霧吹き一本あれば、どんな汚れだって払えるし。

 スラム暮らしで一切病気を患わなかったのも、多分これのお陰だし。


 尤も、日常生活に祈術きじゅつを持ち込むとか、教義的には不敬極まりないけど。

 僕って不良神官。






「ベルベット様。体調に何か違和感などありませんか?」

「んー」


 しゅばばば、と虚空に放たれる十発近いジャブ。

 残像で拳が四つくらいに見える。すっごい強肩。


「ぜっこーちょー」

「ですか」


 身体強化薬の副作用は、今のところ出ていない様子。

 本当に人体への害が無い代物なのか、或いはこの人が頑丈過ぎるだけなのか。


 どちらにせよ多用は避けたい。使うにしても、要所での切り札とするのが妥当か。

 上手くベルベット様を言いくるめなければ。あー面倒。


「お腹すいたわ。シンカ、朝食」

「整っております」


 ここで「少々お待ち下さい」とか返したら、機嫌が滑り台。

 短気な主人を持つと大変だ。常に一手先の行動が求められる。

 かったるぅ。






「おかわり」

「どうぞ」


 空のカップに注いだミルクティー。

 間髪容れず、ひと掴み放り込まれる角砂糖。


 ……シュガーポットが空になるのは、この街に来て何度目だろう。

 なんなら日に日に消費量が増えてるような気さえする。ああ由々しき事態。


「ベルベット様」

「あによ」


 狙うは糖分大量摂取直後の比較的上機嫌なタイミング。

 理不尽女王を操縦するには、的確な間を読むのが重要。

 成功率は予め稼がないとね。


「南側の制圧も片付いたことですし、本日からの攻略対象についてなのですが」

「ふふん、次のクジは外さないわ。今度こそ金鉱に突撃よ!」


 やる気に満ち満ちておられて大変結構な次第。

 が。少々ばかり待ったをかけさせて頂きたい。


「北西の工業区を推薦致します」

「……はァん?」


 斜に構えた怪訝な表情。分水嶺だ。

 もし天邪鬼が頭にチラついたら、話を深掘りする機会も与えられぬまま一蹴される。


「理由を聞こうじゃないの。言ってみなさいな」


 よし勝った。

 こんな入り口の時点で半分運頼みとか、よくよく考えたら酷い難易度設定。


 ともあれ、第一関門クリア。

 暫しの空白を差し挟み、努めて淡々と告げる。


「──クラリエッタが手に入るやも知れません」


 僕を見遣る金色の瞳が、静かに見開かれた。











【Fragment】 祈術きじゅつ(2)


 祈りの果てに祈術きじゅつへと至れるのは、女性だけである。

 信心の多寡に関わらず、男性には決して扱えない。


 嘗て無銘神が、そう定めた。

 特に理由は無い。格差というものを面白がる神の気まぐれだ。





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