42






「すやぁ」


 朽ちた酒場の片隅で見付けた、推定六十年ものの蒸留酒。

 それを樽一本まるまる飲み干し、すっかり酔っ払い、床に就いたベルベット様。

 オールナイトとはなんだったのか。まあ寝てくれた方が僕としては助かるけど。


「むにゃ……逆さ磔ぇ……火炙り……んふふふっ」


 寝言が物騒。

 どんな夢を見てるんだ、一体。






 虚ろな亡霊達が行き交う、深更の廃都を歩く。


 勿論のこと居住区を出るつもりは無い。向かってる先は時計塔だ。

 核をひとつ欠いたことで、渦の流れに如何なる変化が生じたのか、見ておきたかった。


 ──その道中、大鎌を携えた女性の影と鉢合わせる。


「こんばんわ」

〈…………こン、ばん、ワ〉


 が、下手にちょっかいを出さなければ危険は無く、なんなら挨拶も返してくれる。

 まさしく以て触らぬ神に祟りなし。ベルベット様も大概、余計な藪をつついたものだ。


「ホント短気」


 何もかも力尽くでゴリ押し過ぎ。

 生まれつきの強者とは、ああいうジャイアニズムの権化に育ってしまうんだろうか。


 もしそうなのだとしたら、僕は強くなくて良かった。

 スラムの子供が暴力に長けてたところで、行き着く先は犯罪者が関の山だし。






 長い上に急勾配な階段だるい。

 壊れたエレベーター、直そうかな。


 えっちらおっちら石段を上りながら、そんなことを思う。

 でも修繕の時間と手間を考えると、自分の足で往復した方がコスパ良さげ。

 人生って儘ならないね。


「ふぅ」


 胸の内で愚痴りつつ、数分かけて屋上に到着。

 扉を開けると、心地良い夜風が頬を撫でた。


〈ン?〉


 次いで、先客の姿が目に入る。


〈よ。幾日か振りだな〉

「……はい。こんばんわ」


 フェンスも手すりも無い縁辺に立つ、見上げるほど背の高い、灰髪の青年。


 夜景を背に振り返った彼。

 髪と同じ色の瞳が、薄布で覆われた僕の視線を拾う。


〈高い所が好きなのか? また前みたく足を踏み外すなよ〉

「特別好きなワケでもないんですけど……ええ、気を付けます」


 潰れたトマトみたいになるのは、流石に勘弁。

 それに、扱う祈術きじゅつの特性上、極めて穢れの影響を受けにくい身体とは言え、この街で死ねば僕も呪いに堕ちることは確実。

 そんな末路も出来れば避けたい。嫌だなー。


「貴方も、よくここには来られるんですか?」

〈たまにな。この時計塔は、街で一番景色が良い〉


 全面的に同感。

 重苦しく陰鬱な穢れも、高所だからか届かないし。


 …………。

 念のための備えで、二人分用意しておいて正解だった。


「よろしければ、お茶などいかがです? 今夜は水筒持参なんですよ」

〈そりゃ有難い。御相伴に預かろうかね〉


 腰を折っての慇懃な一礼。

 そう畏まられるほど大したものでもないんだけど。


「では──」

〈っと、ちょい待ち〉


 おもむろに上着を脱ぐ彼。

 次いで、それを自分の傍らに敷く。


〈間に合わせで悪いが、砂埃は凌げるだろ。座れよ、お嬢さん〉


 どちらかと言えばアウトロー系の形貌に似合わぬ、紳士的かつナチュラルな振る舞い。

 正直かなり意外。人って見かけによらないね。


 でも、お嬢さん呼びはやめて欲しい。くすぐったい。


「あ」


 改めて振り返ると、そう言えば今まで一度も彼に名乗ってなかったことを思い出す。

 こんなの対人関係の基本中の基本なのに。やらかした。


「──イヴァンジェリン」

〈あァ?〉


 遅ればせ、自己紹介。

 西方では珍しい響きと綴りを、口舌に乗せて紡ぎ上げる。


「僕の名前です。長らく名乗りもせず、大変失礼致しました」


 愛称はイヴ。若しくはイヴァン。

 呼び立てる際は、どうぞお好きな方で。











【Fragment】 無銘神官(3)


 旧暦五〇〇年以降、王国では女性以外が神官に就くことを許されていない。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る