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「すやぁ」
朽ちた酒場の片隅で見付けた、推定六十年ものの蒸留酒。
それを樽一本まるまる飲み干し、すっかり酔っ払い、床に就いたベルベット様。
オールナイトとはなんだったのか。まあ寝てくれた方が僕としては助かるけど。
「むにゃ……逆さ磔ぇ……火炙り……んふふふっ」
寝言が物騒。
どんな夢を見てるんだ、一体。
虚ろな亡霊達が行き交う、深更の廃都を歩く。
勿論のこと居住区を出るつもりは無い。向かってる先は時計塔だ。
核をひとつ欠いたことで、渦の流れに如何なる変化が生じたのか、見ておきたかった。
──その道中、大鎌を携えた女性の影と鉢合わせる。
「こんばんわ」
〈…………こン、ばん、ワ〉
が、下手にちょっかいを出さなければ危険は無く、なんなら挨拶も返してくれる。
まさしく以て触らぬ神に祟りなし。ベルベット様も大概、余計な藪をつついたものだ。
「ホント短気」
何もかも力尽くでゴリ押し過ぎ。
生まれつきの強者とは、ああいうジャイアニズムの権化に育ってしまうんだろうか。
もしそうなのだとしたら、僕は強くなくて良かった。
スラムの子供が暴力に長けてたところで、行き着く先は犯罪者が関の山だし。
長い上に急勾配な階段だるい。
壊れたエレベーター、直そうかな。
えっちらおっちら石段を上りながら、そんなことを思う。
でも修繕の時間と手間を考えると、自分の足で往復した方がコスパ良さげ。
人生って儘ならないね。
「ふぅ」
胸の内で愚痴りつつ、数分かけて屋上に到着。
扉を開けると、心地良い夜風が頬を撫でた。
〈ン?〉
次いで、先客の姿が目に入る。
〈よ。幾日か振りだな〉
「……はい。こんばんわ」
フェンスも手すりも無い縁辺に立つ、見上げるほど背の高い、灰髪の青年。
夜景を背に振り返った彼。
髪と同じ色の瞳が、薄布で覆われた僕の視線を拾う。
〈高い所が好きなのか? また前みたく足を踏み外すなよ〉
「特別好きなワケでもないんですけど……ええ、気を付けます」
潰れたトマトみたいになるのは、流石に勘弁。
それに、扱う
そんな末路も出来れば避けたい。嫌だなー。
「貴方も、よくここには来られるんですか?」
〈たまにな。この時計塔は、街で一番景色が良い〉
全面的に同感。
重苦しく陰鬱な穢れも、高所だからか届かないし。
…………。
念のための備えで、二人分用意しておいて正解だった。
「よろしければ、お茶などいかがです? 今夜は水筒持参なんですよ」
〈そりゃ有難い。御相伴に預かろうかね〉
腰を折っての慇懃な一礼。
そう畏まられるほど大したものでもないんだけど。
「では──」
〈っと、ちょい待ち〉
おもむろに上着を脱ぐ彼。
次いで、それを自分の傍らに敷く。
〈間に合わせで悪いが、砂埃は凌げるだろ。座れよ、お嬢さん〉
どちらかと言えばアウトロー系の形貌に似合わぬ、紳士的かつナチュラルな振る舞い。
正直かなり意外。人って見かけによらないね。
でも、お嬢さん呼びはやめて欲しい。くすぐったい。
「あ」
改めて振り返ると、そう言えば今まで一度も彼に名乗ってなかったことを思い出す。
こんなの対人関係の基本中の基本なのに。やらかした。
「──イヴァンジェリン」
〈あァ?〉
遅ればせ、自己紹介。
西方では珍しい響きと綴りを、口舌に乗せて紡ぎ上げる。
「僕の名前です。長らく名乗りもせず、大変失礼致しました」
愛称はイヴ。若しくはイヴァン。
呼び立てる際は、どうぞお好きな方で。
【Fragment】 無銘神官(3)
旧暦五〇〇年以降、王国では女性以外が神官に就くことを許されていない。
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