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正面口と聖堂が直接繋がっている簡易型の神殿。
僻地に多い建築様式。まあベルトーチカ海岸は王国の北端だし、普通に僻地。
神殿の門を叩いて幾許も経ず一等神官の目録へと名を載せられ、必然的に下積み期間と呼べるものが一切無いまま王都で過ごした僕には馴染みの薄い構造。
半ば強制連行されたオリヴァ領の神殿も、そこそこ大きかったし。
「相変わらず、きったないコト。掃除くらいしなさいよ」
ベルベット様の言う通り、埃だらけカビだらけの酷い有様。完全に廃墟。
官邸が住むに足る状態で残っていたのは本当に幸運だったのだと、改めて思う。
「シンカ。アンタの手品で、ここも屋敷みたくパパッと綺麗に出来ないワケ?」
〔難しいかと〕
天井は殆ど崩れ落ち、空模様すら窺えるにも拘らず、闇が如し黒で深く覆われた屋内。
真夜中かと見紛うほど濃い穢れ。仮に僕自ら足を運び
マケスティアを浸す怨念めいた欲望が招き寄せた、神と悪魔の邪心。
それを僕一人の祈りで祓うなど到底不可能。官邸敷地内の清浄を維持するので精一杯。
力尽くの横紙破りは現実的な勘案に非ず。
やはり核を穿ち、渦を散らし、寛解させる以外に無いのだ。
そして。そんな芸当が能うのは、きっとベルベット様だけ。
強く、荒々しく、誰にも己を譲らぬ、この人だけ。
ちなみに褒めてはいない。全く。
瓦礫を蹴って道を作り、そう広くない聖堂の奥へと進むベルベット様。
半ばあたりで足を止め、肩に担いだ
「──つくづくオマエも暇な奴よね」
左手で視線を覆い、右手に
〈主よ、主よ、主よ、主よ。無知なる魂を御守り下さい。脆弱なる肉体を御守り下さい。孤独なる精神を御守り下さい。不確かなる明日を御守り下さい──主よ、主よ、主よ、主よ。無知なる魂を御守り下さい。脆弱なる肉体を御守り下さい。孤独なる精神を御守り下さい。不確かなる明日を御守り下さい──主よ、主よ、主よ、主よ。無知なる魂を御守り下さい。脆弱なる肉体を御守り下さい。孤独なる精神を御守り下さい。不確かなる明日を御守り下さい──〉
耳を欹ててみれば、壊れたラジオのように、同じ祝詞を延々繰り返し続けている。
明らかに正気を欠いた様相。夜道で会ったら怖いタイプ。
風体自体は、意外にも人の形を留めたもの。
けれど、あちこち破れた衣服の隙間からは、一際に濃く昏い汚泥が絶えず滴っている。
何より異質なのは、負の方向へと振り切った気配。存在感と言い換えても良い。
視界に捉えただけで、怖気が臓腑と背筋を掻き毟る。
磨いていた皿を一枚、落としてしまった。
ああ。間違いない。
彼女こそ、マケスティア南部を呑む渦の中心だ。
〔しかし何故、神官が呪いを……〕
「さーあーねー。なんか嫌なことでもあったんでしょ」
一見して無防備な背中に、ベルベット様が銃口を突きつける。
撃ち殺す気か。まあ、元よりそれが目的でここまで来たんだけど。
「ばんっ」
宝石の粉砕音に似た銃声。
銀の光弾が、音を置き去り飛来する。
そして、矛先が届く間際──しゃぼん玉のように、ぱちんと爆ぜた。
【Fragment】
神殿の聖堂に設けられる九角形の祭壇。
中心には無銘神が腰を下ろすための椅子が据えられており、同じ壇上に立つことは例え一等神官であっても決して許されない。
安置する椅子はなんでもいいのだが、概ねの場合、相応の品が厳選される。
取り分け王都の神殿では、総大理石の豪奢なアンティークが用いられている。
時折、ベルベットが人目を盗んで座っていた。
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