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「触れたり、は……しないのね」


 すかすかと無遠慮に僕の胸元を突き抜ける手。


 そりゃ謂わば幻覚幻聴。そこに居るように見えるだけ、声が聞こえるだけですから。

 浮遊霊、若しくはリアルなイマジナリーフレンドとでも思って頂ければ。

 うらめしやー。


「つまんな」

〔そう仰られましても〕


 ちなみに本体は、今も官邸で家事の最中。

 思考を二つに割いての並列作業。社畜じみた特技だ。意識高いサラリーマンか僕は。

 あな悲しや。






 ベルベット様の無造作な足取りに追従し、黒く澱んだ街中を往く。


 僕の祈術きじゅつで官邸敷地内を清浄に保っているギャップか、最初に表通りを抜けた時より更に強く、薄気味悪さと不快感が背骨を掻き回す。


「ふーん。確かに息がラクになったわね」


 穢れは質量を持つため、空気中へと混じれば必然的に一度の呼吸で取り込める酸素量は目減りする。湿度が高い日に息苦しさを感じるのと近い理屈。

 然らば、それを払いのけることで受ける恩恵は、地味なれど決して小さくない筈。


「てか、こーゆー大道芸が出来るんなら、もっと早く言いなさいよ」

〔申し訳ありません〕


 この七日間、どっかの誰かさんが人の話も聞かずタッチ&ゴーを繰り返してたもので。

 下手に引き止めたら八つ当たりされそうだったし。蛇の居る藪なんかつつきたくない。


 あと、一等神官の加護を大道芸扱いは、いかがなものかと。

 教会の人間が耳にしたら発狂しますよ。僕は気にしないけど。






「邪魔」


 居住区と商業区、街の中心部と南部とを仕分ける十字路。

 そこに屯する兵士達の亡霊を、小石でも退けるかのように蹴り飛ばすベルベット様。

 何があろうと、相手が誰であろうと、本当に道を譲らない人だ。


「マジ鬱陶しいんですけどコイツら。朝も昼も夜もワラワラと。なんなの暇なの?」


 横転させられた亡霊達は、しかし抗議の素振りすらも見せず、ただ立ち上がるのみ。

 緩慢な所作、虚ろな表情。ややもすれば、暴行を受けた自覚すら無いのかも知れない。


〔あ〕


 人垣を掻き分けた先で、静かに此方を見据える輪郭と鉢合わせた。


〈…………〉


 旧王国軍将校の鎧を纏った大男。

 初日の衝突を思い返し、意味も無いのに身構えてしまう。


 ──けれど、そんな僕の警戒に反し、彼は動かなかった。

 そしてベルベット様も武器すら抜かず、その脇を悠々と素通りする。

 向こうから避けたお陰で、蹴られず済んだ模様。


「アイツ最初以降チャチャ入れて来ないのよね」


 これも偉大なアタシの人徳かしら、などと上機嫌に謳われる妄言。

 言うに事欠いて人徳。言葉の意味を辞書で調べた後、百万回書き取りして下さい。


〔…………〕


 そっと振り返る。

 向こうに僕の姿は見えていない筈だけど、面頬越しに視線が重なったような気がした。


 諦めを帯びた、物悲しげな視線が。











【Fragment】 亡霊


 主にマケスティア中心部を逍遥する、穢モノに堕ちかけた半端者達。

 大半は既に自我を失くしており、生前の行動を緩慢と繰り返すだけの残響じみた存在。


 居住区は他区画よりも穢れが薄いため、彼等は未だ人の形を留められている。

 しかしそれも、結局は時間の問題でしかない。





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